60.硫黄島玉砕(10) スプルーアンス閣下のご恩情に感謝します
(ウツボ)奇想天外の話がある。参謀の堀江少佐は栗林中将にとんでもないことを言った事がある。「閣下、いっそのことこの島を爆破して、海中に沈めてしまったらどうでしょう。そうすれば、アメリカ軍に取られる心配も無くなります」と。(カモメ)そうすれば、飛行場もなくなりますから、米軍にとっても打撃を受ける訳ですね。映画「硫黄島からの手紙」ではこの言葉は西竹一中佐のせりふになっていましたけど。(ウツボ)堀江少佐の手記では堀江少佐が自分で言ったとしている。(カモメ)そうですか。(ウツボ)どちらかが言ったのだろうね。どちらにしても、もちろん島を沈めることは不可能な事だがね。堀江参謀の奇抜な提案というか、思いつきに、栗林中将は「そうだね」と言っただけだったが、関心を示す気配もあったと記されているんだ。(カモメ)硫黄島の戦いは、米軍が昭和20年2月19日上陸し、5日間で占領する予定だったのが、3月26日の玉砕まで1ヶ月以上もかかり、栗林兵団はよく戦いました。(ウツボ)そうですね。米軍のスミス将軍は回顧録で「われに驚くべき大損害を与えたのは栗林将軍であった。彼は一人十殺を訓示し、寸土たりとも敵に委してはならぬと戒めた。息絶えんとする日本の捕虜に質せば、彼は申し合わせたように、栗林の偉大なる統帥に心酔し、これを激賞して已まなかった。真に名将といわねばならぬ」と述べ、栗林中将の智勇を評価している。(カモメ)実際、米軍の損害は日本側を上回った訳で、特に第四海兵師団は兵力の半数を失い、攻略前にハワイに引き揚げる有様でしたね。(ウツボ)そうだね。前回でも紹介した海軍上等兵曹、金井啓氏の例のように、栗林中将ら司令部が玉砕した後も、なお生き残って抵抗を3ヶ月も続けて、餓死寸前に捕虜になった者も多数いた。(カモメ)また、米軍の投降の呼びかけにも応じず、集団自決した兵士のグループも多数いたということです。(ウツボ)その中で、某中尉は自決後、米軍指揮官レイモンド・スプルーアンス中将宛てに、遺書を残していた。その記録が残されているんだ。(カモメ)米軍指揮官宛に遺書を残している軍人は他にもいましたね。(ウツボ)うんいた。高級指揮官だったかな。ところで、その某中尉の遺書は、「スプルーアンス閣下のご恩情に感謝します。我々に命を粗末にせず、出てきなさい、と投降を呼びかけてくださり、さらに缶詰など食べ物を投げ入れてくださいました。みんなでいただきました。美味しかったです。けれども私たちは生き延びる事はできないのです。日本武士道の精神に従い、全員で自決いたします。最後に閣下の武運長久をお祈りいたします」という趣旨の言葉が書かれていたんだ。さらにその資料には、硫黄島は落ちたが栗林中将と栗林兵団の名はさらに高く上がったという趣旨が記されているんだ。(カモメ)日本武士道の精神が出てきましたね。(ウツボ)ここでの武士道の精神は「切腹」、つまり自決という形をとった訳だ。(カモメ)日本帝国陸軍将校である、その中尉は、戦陣訓で「生きて虜囚の辱めを受けず」と教えられていたので、誇りを持って軍人として、武士道精神を最後まで貫いた。(ウツボ)だが、戦陣訓というのは、勝つための方法論の一つだ。東條英機が昭和16年に軍人勅諭の具体的実戦方法を記して配布した。だからそのような思想を植えつけざるを得なかった。でも本当は、もう玉砕して負けたのだから、生きていて捕虜になることは仕方がない。(カモメ)でも当時の状況では中尉は恥ずかしい事だと思った。(ウツボ)だから、どういう教育をするかは重要だ。人の命さえ奪ってしまう。硫黄島で生き延びた人たち1023人は、ちっとも恥ずかしくはない。あの人たちは心の一隅に生きる正当性を感じていた。だから自決はしなかった。(カモメ)恐らく、死んだ仲間のことを思うと、自分達だけ生き延べられないと、追い詰められた気持ちがあったと思います。(ウツボ)それはそうかもしれない。一方、昭和20年8月15日、玉音放送のあと、日本軍の指導者であった将軍達の何人かが自決した。だが、多数の将軍は生き延びている。硫黄島の兵士はよく戦って義務を果たしたんだ。(カモメ)ところで「名をこそ惜しめ=硫黄島魂の記録」の著者、津本陽氏の話があります。津本氏が取材で硫黄島を訪れた時、案内してくれた海上自衛隊の幹部の人が話してくれたものです。(ウツボ)硫黄島には海上自衛隊の基地があるからね。(カモメ)そうです。その幹部が宿舎で、夜、トイレに行こうと思ってベッドから降りたら、旧日本軍人が車座になって酒を飲んでいた。「お前も一緒に飲め」と言われ、歓談しながら飲んでいたら、ベッドから降りてきた同僚に「そんなところでひとりで座って何をしているんだ」と言われて、ハッと気がついたそうです。(ウツボ)作り話ではないだろうからね。本当にあるのだね。不思議な事だね。(カモメ)まだあります。島を訪れた日本の某首相が記念塔の前で撮影したら、無数の人魂が写っていたそうです。(ウツボ)硫黄島で戦死した英霊達が、日本のために戦った自分たちの事を忘れないで、と言っているのだろう。(カモメ)そうですね。魂のメッセージですね。(今回で「硫黄島玉砕」は終わりです。次回からは「戦艦陸奥爆沈」が始ります)