何のことはない。近くが霞むのは老眼のせいと一笑に付され、コンタクトをつけたまま老眼鏡をかけることになってしまった。
パソコンのディスプレイや手元の本の活字がまるで拡大鏡で見ているようにはっきりと見えるようになった反面、遠くが歪んでぼけて見える。頭もなんだか痛い。眼が疲れるので、眼鏡をとって窓の外をみると、今年は諦めていた椎茸が見える。7月8月に雨が少ないとかでこの地域の今年のキノコは3割しか出ていないという。また今年の3月頃(と思われる)痛めた肋骨が今もって完治していないこともあって、今年のキノコとりは早々と「行かない」宣言を出してしまった。それでも庭のキンモクセイが匂ってくるとそろそろだな!なんてオ思っているのだから哀れなものである。
神もそう思し召したか、なんと見えないのでつけた老眼鏡を外したとたんにキノコが眼に飛び込んできた。まるで白いは黒いのシェークスピアの世界だ。ともかく老眼共々喜ばねばなるまい。見えなかったものが見えたのだから・・・。
今日は終日、庭でダッヂオーブンで牛筋を煮込みながら、「沖縄論」以来しばらく放ってあった小林よしのり最後の2冊「勝者の余裕」「中流絶滅」を読み終えた。2007から2008年にかけて描かれた作品群のようだが、X言っていることはわかるが、現実世界でどれだけの実効性があるのか? 具体的にはいわゆる国民の覚醒を待つのだとしたら、それは永遠に無理だろうし、待てぬとすれば仮想敵国にしている北朝鮮やイラクのような国になるか、アメリカ追従を続けるしかないというのでは、あまりにむなしいような気がするのは小生だけだろうか。