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2006.06.06
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カテゴリ:国政・経済・法律
(■保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その1 判決の論理)(06年6月6日)に続く記事です。)
(■保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その2 判決の論理・続)(06年6月6日)に続く記事です。)
(■保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その3 判決の論理・続々)(06年6月6日)に続く記事です。)
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さて、今回の判決内容と控訴審の行方は、民営化政策一般に対して大きなインパクトを与えよう。各種の論評を是非読みたいが、とりあえず当ジャーナルとしての見解を整理。

1 はじめに - 地裁の判断を導いたもの
 この判決は、結論として横浜市の民営化の違法性を認める結論に振った。
 この種の訴訟では丁寧すぎるほど丹念に検討したと思う。私は訴訟に詳しい訳ないが、そんな気がする。それも、違法性を肯認する踏み込んだ判断を理由づけるための地裁の苦心か。ちょっと右顧左眄している論述も気になるが、それだけ微妙な裁量(利益調整)ということだ。地裁が結論として違法の側に振った根底は、判決理由中には明確にされていないが、平成9年児童福祉法改正における「措置から契約へ」の論理だろうか。原告主張として引用されている(p.8)。

 判決の論理を導いた地裁の判断の構造は次のポイントに集約される。

(1) (ア)「保育所選択権」及び(イ)「保育所において保育を受ける権利」を法的利益として認定し、加えて、(ウ)手続上の権利(不利益処分)を認定した上で、利益衡量において、条例制定の処分性(争点1)を肯定。取消訴訟において違法を認定する以上(結論を事情判決とするとしても)、訴訟要件として「処分」を認定しなければならない。どこに「処分」性を見いだすか。民営化の公表時点では権利侵害が曖昧すぎ(紛争として未成熟)、条例制定後は市長の格別の処分行為を要しないから、結局、条例制定をもって処分と言わなければならない(原告主張も同様)。
(2) その上で、裁量論の枠組みで逸脱濫用を認定し、処分の違法性(争点2)を肯定。具体的には、民営化の目的自体は違法とすべきまでもないが、民営化の実施時期の設定の点で問題。すなわち、特別に急ぐ理由もなく、また保護者の納得を得られていない状況から、「平成15年12月の条例制定の時点で平成16年4月に民営化を実施」しなければならない特段の事情なく、他方で児童・保護者の不利益をみれば、裁量の逸脱・濫用と評すべき、とする。
(3) 上記(1)(2)の結論はいずれも児童・保護者側の利益に重点を置いた判断だが、これを導いたのは、(判決理由中に明記ないが)「措置から契約へ」の論理を重視したのか。

2 判決の判断への批評
 上記(1)は法解釈論としては適切だろう。条例は通常は規範定立作用だが、かといって一般的に処分性を否定してはいけないだろう。実質的にみて、救済の門戸を広げるかどうかの判断だから。より実質的に言えば、改正条例により保育実施解除がなされたと同じ効果が発することを直視したものだ。
 (2)は、要するに価値判断だ。児童福祉法の解釈論が展開されているが、平たく言えば、市町村は必要なだけ保育所を用意する義務があり裁量の余地は少ない(p.16原告主張)とみるかどうか、だ。そして、この言葉でいえば、「必要なだけ」の点に、具体的な個々の保護者の要望どおりの保育環境でサービスを提供することまで含むかどうか、だ。そこに上記の「措置から契約へ」の論理(上記(3))を重視し、保護者の立場に立って判断したのだと思う。一方的な保育所の廃止なのだ、という判断だ。

 私は、結論としてこの事例で自治体の民営化判断を司法が違法としたのは行き過ぎと考える。整理して述べる。

第1点 民営化の目的の議論
 地裁も、民営化を選択した目的自体は違法としないが、それは当然だ。立法が民営化を禁じているのでない以上、行政の合目的的判断として尊重すべきだ。そして、そこに財政問題が入り込むことも当然だ。自治体経営の判断は、福祉立法の解釈の見地からだけ判断できるはずがない。
 ただ、地裁判決は、民営化の目的について、審議会や厚生省提言にあるような「保育所運営の効率化目的」ならまだしも、横浜市のいう「多様な保育ニーズ対応目的」は若干趣旨が異なる、という。また、「市の財政難解決目的」や「市長の人気取りと独自の価値観達成目的」が主目的ならば、民営化と関連性(必要性)がないこと(原告の主張)を示唆するように読める(後出の民営化の時期の議論も合わせ読むとなおさら)。
 具体的事件の結論に影響しないことだが、この判断構造は、つまり自治体の総合的な民営化判断を制限するものだ。「財政難解決目的」は、むしろ積極的に斟酌して民営化しても、1つの判断として尊重されるべきだ。
 そして地裁が軽視していると思うのは、団体自治の論理だ。「市長の人気取り」は確かに困るが、それだって自治の論理と言えなくもない。改正条例が民選の市議会の審議を経ていることも重視されるべき。「多様な保育ニーズ目的」や「財政難解決目的」によって、例え保育サービスの量や質を低下させるとしても、自治体の総合判断であれば、尊重すべきだ。
 ちょっと挑発的にいえば、「カネが無ければサービスもできない」のだ。「裁判所が歳入を約束できるのか」とも言える。
 生活保護の具体的権利性(憲法25条)の議論と似ている。究極的には民主制の論理(市長や議員の当落)で決着させるべき事項だ。
 もっともこの点は地裁も積極的に論じていないから、私も少し言い過ぎ。

第2点 民営化の時期の議論
 地裁は、民営化の内容、具体的には「時期」の点で違法を認定。そのポイントは...
 ○ 市は一貫して民営化実施の姿勢を崩さず、条例もこれを追認。
 ○ 市の民営化目的である「多様な保育ニーズ対応目的」からは急ぐべき理由がない。
 ○ 市の本意は財政事情だろう。
 ○ 引継ぎ・共同保育の期間(3ヶ月)で十分かは理由がない。保護者の納得を得るのも困難。混乱のあった先行事例も参考にすべきだった。
 つまり、保護者の納得がポイントなのだ。しかし、住民が納得できれば違法でなく、納得できなければ違法だ、というのでは行政施策は遂行できない。もちろん、そういう分野もある。例えば土地収用は市民法の論理で任意に解決しなければ、収用の手続を経なければならない。しかし、施設民営化という判断を、一面的尺度で判断しているように思われる。
 まさに、ここは判断だ。地裁は、徹底的に児童・保護者の法的利益を重視している。上述の通り「措置から契約へ」の論理が根底にあると思う。
 硬直的な行政対応への非難があるように思う。それであれば、事実行為としての対応の非を指摘して、損害賠償を認めればいい。取消までさせるのは、踏み込み過ぎではないか。
 この点の地裁の判断を実質的に見れば、児童・保護者の法的利益回復を重視し、行政の硬直的対応の非難度を重視し、取消にまで至ったのだ。バランス感覚の問題だ。

第3点 民営化の児童に与える影響
 これを大きく見るかどうかによっても、結論の価値判断は異なる。判決は、民営化後相当の期間にわたって相乗的な混乱は容易に想像できる、という。そうだろうか。ここは大いに異論がある。
 それなら保育士の人事異動もダメなのか。その点は判決も言及していて、転勤は一定の保育環境確立を前提にしているから、廃止とは違って許される、という。また、市の「保育士配置換要綱」には異動は当該職場の3割までとしていることも指摘しているが、それは市側の保育サービス継続性確保の自主的な規律であって、取り上げるべきでない。
 要するに、実質は保護者の不安感のケアの問題なのだ。不安感をどこまで救済する必要があるのか。私自身も最近まで民間と公立と通算8年間通わせた。一時期は無認可保育所にも出さざるを得なかった。保育内容は園によって違う。当たり前だ。民営から自宅に近い公立に移す際には従来の慣れ親しんだ環境を離れることにためらいはあった。横浜の事情を知らないで言うなと言われても敢えていうが、親の不安感はそんな程度でないのか。判決を読む限りでは、横浜市は相当の配慮をしていると思う。
 例えば裁判を受ける権利は憲法で保障される重要な人権であり、真実解明は公益でもあるが、地裁の論理ならば、裁判官の異動は到底許されないとなるのか。
 そこまで言わなくても、例えば、義務教育を受ける権利は重要だから、公立義務教育学校の廃止も困難になろう。小学校廃止を決定しても、その時の1年生が卒業するまで6年間はその学校を残さなければならない。でも、6年目は生徒も先生も少数で教育活動の充実は望めない。
 また、保護者の了解の有無で結論が変わるのはおかしい。お叱りを受けるだろうが、住民の了解を重視しすぎると、大衆政治になってしまう。大衆側には権利はあるが、行政に対する責任がない。

第4点 団体自治の観点の欠落
 上記の第1点でも触れたが、地裁の判断には、団体自治の観点がスッポリ抜けている。たしかに民選市長だから全てOKであっては困る。また、条例でも処分性を認めて良いし、議会を通過したからすべてOKとはいえない。司法による救済が必要な場合が有ろう。
 しかし、それなりに手続と代替措置を経て施策を決定している。また市議会審議に重大な手続的瑕疵があったわけではない。
 判決は引継ぎ・共同保育に3か月しかない点を非難するが、それは地裁が処分性を認めた時点である条例可決時点と民営化(保育所廃止)実施時期までの期間が3ヶ月というだけで、審議会や説明会など事前のプロセスを無視しており、妥当でない。
 少々挑発的にいえば、地裁は保護者の声を重視しすぎなのだ。保護者も納税者であり、財政問題に無関心でいいはずもない。保護者はみんなそう思うはず、の論法だ。

第5点 政治的姿勢への配慮
 もちろん判決の理由とされていないが、この問題をめぐっては、保護者側に中田市長の政治姿勢への反発が根強く存在していたようだ。そして、中田市長は、一部保護者の意見で左右されない、とかえって意を強くしているようだ(横浜市HPでの市長記者会見)。
 このような政治的姿勢は、その過程で名誉毀損など権利侵害があれば格別、その姿勢の是非自体を裁判所が判断することは極力慎重であるべきだ。
 地裁は政治的姿勢ではなく、行政の硬直的な姿勢を非難しているのだが、民営化施策は無色透明な個別行政の対応問題ではなく、市長の(議会も?)施策に連なる問題である。とすれば、むしろ慎重な配慮があるべきだ。
 裁判所が政治に巻き込まれてはならないという点もある。しかし、より重要なのは、団体自治の論理だ。事例精査を怠ったとか、3ヶ月が短い、とかいうだけで政策判断を審査できるだろうか。

3 最後に
 判決翌日の新聞の解説などは、拙速な民営化に慎重な議論を要する、とか、保護者の声を聞くべし、などの論調で、判決を非難するものはなかったように思う。新聞が、住民側の立場で解説するのは、ある種の社会的バランスだから、それで健全だと思う。
 ただ、個別的権利救済の観点だけでなく、財政事情やサービス効率化の観点などを積極的にすくい上げて、民営化政策と法的限界を議論することは重要だ。控訴審の判断も注目だが、個別の事件の判断いかんだけでなく、より一般的に議論を深めるべき。
 自治体政策担当者としても、実践的に非常に関心があるはずだ。
 もし一部の政治勢力が地裁判決をタテに、大衆迎合的な受け狙いで取り上げていくとすれば、民営化の真の議論を忘れ、また民主的政策形成を尊重しない、狭い了見に堕するように思う。
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以上が現段階での整理です。特に福祉行政における「措置から契約へ」の点は不勉強であり、後日見解が変わるかも知れません。





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最終更新日  2006.06.06 06:11:20
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