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2006年06月09日
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カテゴリ:国政・経済・法律
引き続き、横浜地裁判決に対する当ジャーナルの意見。前回(その4)で一応整理しているが、別な点で気になったことを整理する。条例を違法としたことの問題である。見解というより疑問点の整理かも(行政法の知識はないので法律論としてはピンぼけ。)
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1 条例制定行為の処分性
 今回の横浜地裁判決において、取消しの対象たる「処分」は改正条例の制定だ。
 一般に行政事件訴訟法3条2項にいう抗告訴訟の対象たる「処分」は、いわゆる行政行為のみならず、住民の権利利益救済の観点から広く解釈され、条例制定行為も、その施行により当然に直接特定者の具体的権利義務に法律上の効果を生じるような場合は、「処分」に該当する、とされる。
 判決では、住民の保育所で保育を受ける利益を法的利益を認定した上で、改正条例(特定の市立保育所を廃止する内容)は、別途に市長の処分行為を要しないから、「処分」に該当するとした。
 法的利益か反射的利益かは議論があるが、ここは訴訟要件の問題だから、まずは救済の間口を開けるという意味で、地裁の論理は妥当だと一応思う。

2 条例制定行為を違法とすることから生じる問題
 しかし条例制定行為を違法とすることは、典型的な行政庁の処分を違法とする場合と比較して、固有の問題を生じる。
 すなわち、条例は地方レベルの立法行為であって、住民一般に対して権利を制限し義務を課したりすることがあるし、権利義務に直接は関わらない行政組織、公の施設、財務、公務員関係などを関する事項を定める場合であっても、あるいは法律の委任事項を定める場合であっても、いずれにしても条例制定の影響は(法的効果というか事実上の効果というかに関わらないとの意図なので、影響の語を用いた)、特定の具体的住民ではなく、不特定の住民一般に及ぶのが通常である。
 本件のような公の施設の設置等に関する事項を定める条例も、当該自治体の住民に広く影響の及ぶ事項である。
 とすると、典型的な行政庁の処分の場合は、基本的には行政庁と処分の相手方たる具体的住民(抗告訴訟の原告)の関係であって、他の住民には法的な意味では判決の効果は及ばない(行訴法32条の第三者効はともかくとして)。しかし、条例制定行為の場合は、当該条例を違法とすることは、その条例の影響をうけるべき住民全体に判決の影響が及ぶことになる。条例に反対の人にも、賛成の人にも、一律に。

3 補足
 上記2では、典型的な行政庁の処分の場合と比較して、条例制定行為の場合の固有の問題と書いたが、むしろ程度の差というべきかも知れない。例えば、その中間的場合といえるような一般的処分、具体的には道路の公用廃止決定などの場合にも、同様の一般的影響がある。
 また、典型的な行政庁の処分の場合であっても、処分の相手方(原告)以外の第三者に軽視できない影響がある場合もあろう。
 例えば、原発差し止め訴訟や空港騒音訴訟などでは、訴えが認められれば、原告以外の付近住民も(原発賛成の住民も)事実上の効果を受けることになる。もっとも、この意味の効果は純粋な民事訴訟でも十分ありうることだから(隣のオヤジのカラオケ騒音を止めさせれば2軒隣の家も助かる)、行政事件の特性とは言えないかも知れない。
 そこで別の例。Aさんに対する課税処分が税法の解釈を誤った違法な処分として取り消されたならば、同様の条件の下で課税処分を受けた住民みんなに影響があろう。法的効果というかどうか別として。ただ、行政訴訟も具体的事件を前提とし、Aさんの訴訟はAさんにだけ効果が及び、他の住民の訴えもないのに他の住民に違法判断は下らないから、黙っている人には取消しの効果がでないだけ。もっとも現実には行政庁側が自主的に是正するだろう。
 これは、根源的には行政活動が住民に対して公平たるべきことに由来すると思われ、この点で(判決の既判力や対世効などの法的議論は別にしても)、行政訴訟の及ぼす実質的影響には特質があると思われる。この根源的特質が、典型的な行政庁の処分の場合と、条例制定行為の場合とで、現れ方の強さが異なる、ということだろうか。
 不勉強で的はずれかも知れないが、ある行政法の教科書では、取消判決の第三者効(32条)が利益を共通にする第三者にも及ぶか、との項目立てで、否定に解した裁判例の紹介と否定説の理由、また立法論として利益を共通にする第三者にも及ぼすべしとの説明がされており、上記の点に関係するのだろう(本棚に眠っている塩野・行政法II第二版1998年ではp.139か)。
 もっとも、これは典型的な行政庁の処分の取消しの場合を想定しており、条例を処分とみた場合には、事情が違う(より積極的に解されるべし)とも言えそうだ。

( なお、国政レベル(法律を違憲とする判決の場合)なら、一般的効力か個別的効力かの論点があって、具体的審査制をとる我が国の法制では、法令を違憲とする判決の効力はあくまで当事者にのみ個別的に生じるが、行政府は違憲とされた法令を誠実に執行する義務は解除され(むしろ執行を自制する義務が課される)、立法府は自主的に是正する法的(政治的?)責務を負う、などの憲法の議論があったと思う。
 条例制定行為の取消し判決の場合もこれと類似するとも言えるが、憲法81条の固有の議論として問題となる法令違憲判決の場合とは異なり、あくまで行訴法上の処分の一環としてみているから、やっぱり、上記のように処分の取消判決の第三者効の議論の一環なのだろう。 )

4 「客観訴訟」的性格
 行政法をマジメに勉強したことがないのだが、憲法解釈の伝統的な考え方からすれば、取消訴訟も主観訴訟であり個人の権利利益の実現救済のための制度であるのが基本。
 もっとも現行法上はこれとは別に、法秩序の維持や公共的利益の保全実現のための争訟手続である客観訴訟(塩野p.204では「客観的訴訟」)がある。これは憲法が保障する司法の概念(法律上の争訟)の外にあるというのが伝統的考えで(だから違憲審査や公開原則も当然には及ばないのか、などの論点につながる)、行政法上も典型的には原告適格(無限定となるはず)などの点で、主観訴訟たる抗告訴訟とは本質的に異なるのが建前のようだ。
 しかし、上述のように取消訴訟も実質的に客観的一般的な秩序の維持に奉仕する性格がある。典型的な行政庁の処分の取消訴訟であれば、原告たる個人にとどまらず住民一般に対して適法性の確保の影響が及ぶし、度々触れたように条例制定を処分と見た場合はなおさらだ。
 これを取消訴訟(広く抗告訴訟)の客観訴訟的性格とでも呼んで良いような気もする。
 
5 事情判決としたこととの関係
 ところで、地裁判決は改正条例の違法を宣言した上で、処分(条例)取消しの点は事情判決とした。
 少々意地悪く言えば、違法とするなら事情判決でなく堂々と条例を取り消すべき、という気もする。逆に言えば、事情判決とできるからこそ、違法判断に踏み込むことができたのではないか。意地悪い見方だが。
 なぜなら、地裁判決の論理は、「改正条例は違法だが、改正条例施行後すでに相当期間新しい保育環境で保育を受けた事情を重んじる」というものだから、とすれば、「改正条例施行前」や「改正条例施行後間もない時点」であれば、裁判所は条例(処分)を取り消したはずだ、ということになる。しかし、個々具体の処分が違法だというのではなく、現実に条例が違法だというなら、条例が住民に一般的に適用される以上、将来の潜在的原告のためにも事情判決を行うべきではないと思われる。
 このような私の考えからすれば、事情判決は、典型的な行政庁の処分の場合に想定され、条例制定行為を処分と見る場合は控えるべき、ということになろうか。
 塩野p.151によれば、立法者が典型的に想定したのはダムの設置許可を取り消した場合だそうだが、現実の裁判例では適用の大部分は換地処分に関するもので、他には地方鉄道の料金認可取消の事例のみ、という。

6 中間総括
 ここまで書いてわかったが、つまるところ、今回の地裁判断に関して私が割り切れないでいる事項(この日記で整理したいこと)とは、(典型的な行政庁の処分ではなく)条例制定行為を「処分」とみた場合の特殊性、ということである。
 そして、具体的には、判決の効力や事情裁決などの局面でどのように考えるのか、ということを整理したいのだ。
 しかし、塩野テキストなどを見る限りでは、この「処分」が条例の場合という特殊性に着眼して、(つまり、典型的な処分の場合と条例の場合との違いを明確に意識しながら、)これらを論じている記述はないようだ。

7 団体自治との関係
 本当は裁判所も条例を違法とすることは、できればしたくないはずだ。地方レベルとはいえ民選の議会による立法行為であって(実質的意味の立法かどうかは別として議会の意思形成の成果であることは間違いない)、なるべく尊重すべきとなろう。
 ところが判決ではこの点についての配慮は言及されていない。私は、ヤバイからあえて触れないようにしたのではないか、と感じたほどだ。条例可決の意思形成主体が市長ではなく議会であることを、あえて無視しているように感じるからだ。「処分」の主体についても、敢えてボカしているように私には感じられる。
 ちなみに国政ならばそうは行かない。立法の違憲性(法律の上には憲法しかないから、法律が「違法」とはすなわち「違憲」ということ)を肯定した判断はこれまで8件くらいはあるはずだが、処分の違憲性・違法性の審査とは異なる配慮が、当然にある。

 上記にグダグダ書いた整理のつかない整理(行訴法の解釈の観点)に加えて、団体自治をどう考えるべきなのか。
 この点が、今回の地裁判決で、私が一番感じていることのようだ。だからこそ、この日記の柱になっているように、条例を処分とみる場合の特殊性をどう考えるのか、にこだわるのだ。
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結局、内容を論じるのではなく整理に終わりました。

■この件で以前の日記
 ○保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その1 判決の論理)(06年6月6日)
 ○保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その2 判決の論理・続)(06年6月6日)
 ○保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その3 判決の論理・続々)(06年6月6日)
 ○保育所民営化が違法? 横浜地裁判決を考える(その4 見解)(06年6月6日)





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最終更新日  2006年06月09日 05時50分34秒
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