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2008.11.04
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カテゴリ:国政・経済・法律
会計検査院の指摘した「公金不正問題」を鬼の首のように土曜の朝刊一面に取り上げた読売の姿勢を、私は、この季節柄、財務省に担がれて地方バッシングの片棒を担いだようなものだろう、と喝破?した(読売新聞と東北(10月21日))。

ところで、その読売が30日には、「『予算使い切る』官の悪弊」と題して、預け金が横行する背景には確保した予算を全て使い切るという悪弊がある、と解説している(30日付け「スキャナー」)。国の担当者が使い切りを助長したような実態も報じており、読売も多少改心したか。いや、これでもまだまだ片面的な見方に過ぎず不十分である。

私は、地方自治体の使い方に問題があることは否定しない。出元が国費だとしても、自治体の予算として編成され、自治体の公金として公の事業に支出されるのだから、常に厳格に運用されるべきで、国の使途指定を含めて関連通知に従って実施されなければならないことは当然である。

しかし、問題の本質はそこではない。

たしかに、これを契機に「裏で」「予定外に」自治体の財布を増やそうとセコセコやっていたのなら、国費の適正な使用という規律に反しており、許されないだろう。だが、予算使い切りは、国そのものの姿勢であり、半ば公然と、国と意思を通じて行われていたのだろう。もっとも「預け」などという不透明な手法を旧態依然かつ漫然と組織的に続行した地方自治体の幹部は責められるべきだが、国の地方整備局や農政局自身はどうなのだろうか。

読売の最初の記事では、税財源の移譲を叫ぶ地方がこんな不正を働いているようでは分権も心許ない、というトーンだった。これぞ財務省の言いなりなのだが、問題の核心は、それこそ国の省庁の予算執行の実態そのものなのだ。

決して地方の悪を弁護する気はないが、例えば国費を含まない単独事業ならば、事務費の使い切りはほとんどないだろう。逆に、職員数の削減や給料カットが、なぜ国では進まないのか。財務省は、国の方が夕張より厳しい、地方はまだまだムダが多い、と今でも言うだろうが、地方に許されない赤字国債を乱発しているから財政が厳しいのは当然である。そんな皮相的な解説に乗せられているようではいけない。

今日(3日)の河北新報には、他県で露呈した補助金不正経理について内部調査は一切行わないとする村井宮城県知事の姿勢を解説した記事が出た(県内版)。おそらく、読売より遙かに実態を反映した解説だ。さらに、

まだまだ手温い体質というのは、国にこそあるのだ。地方に「使い切り」してもらった方が事務処理上都合が良い。おそらくは、予算維持のために、自治体に使うよう指示している傾向が、相当根強く残っているだろう。節減や効率性など、どこ吹く風。地域経済の減速で市税が減少し、職員の給料をカットし、光熱費を削り込むような地方自治体のことだから、国費の「ユルユル」さは一種の有り難さだろう。これを可能な限り事務費に充てようとするのは、よくわかることだ。地方整備局や農政局が、今になって掌を返してあれはダメだ、という義理ではないだろう。

ということは、地方に流すカネ以外に自らの直営の事業費や事務費についても、同様の意識で仕事をしていると容易に想像される。国営事業のムダが顕在化しないのは、大型投資に寄せる地方政治の圧力と、地方自治体が負担軽減のために国事業採択を望むことなどによって、構造的な理由があると思うが、それでも事業費や事務費の「使い切り」実態は、およそ地方自治体の比ではないだろう。入札の実態や落札率などを丹念に地方と比較すれば、おそらく相当無駄な実態が浮かび上がる。

そして、何よりも整備局や農政局そのものの存在だ。地方への税財源の移譲(また道州制の主張の一部にも)は、これを廃止して、国と地方を通じたムダをなくそうというもので、明らかに理由がある。しかるに、道路、河川や農地監督の権限移譲でも抵抗を試みているのは、ご存じの通り。およそ自己改革のモチーフは働かないから、政治力しかないだろう。

読売の2日の記事には、事故米の不正転売事件を受けて、農水省が業者救済のために150億円を投入しようとする姿勢を批判するものがある。30日の記事と同じ社会部だが、表示された記者名は異なる。この記事の指摘で重要な点は、端的に、農水省自身のずさんな管理体制(もっと根本には食糧管理体制に対する無責任体質)を、財政支出による救済でごまかそうとしている、との点だ。悪く言えば、自分たちの監督の非をカネで上塗しましょうネ、というもので、業者救済の名の下に責任を曖昧にするものだ。これほど公金の使い方として情けないことはない。

政治的風向きを機敏に読んで、省益保持と組織防衛に抜け目がない。千円のカネも節約している小規模自治体の苦労を、むしろ見習って欲しいものだ。

河北新報は、かつて「新・過疎時代」など地方の実態から国政問題を説き起こすテーマを非常に得意にしていた。宮城県民の私も誇りに思ったものだ。この際、地方の悪は悪として糾弾して良いが、さらに徹底して地方の行政と経済の隅々にまで血管のように行き渡っている国の関与を、丹念かつ大胆に抉って見せて欲しい。これこそ国民的視点というものだ。

動かせるのは、政治でなければ、マスコミだろうが。





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最終更新日  2008.11.04 06:52:17
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