カテゴリ:仙台
昔むかし、将軍様の前で南部、津軽、佐竹、伊達の殿様方がお国自慢をはじめた。
南部公は、我が城の真西に見える岩手山は南部富士として美しく国のどこからでも見える山でござる、という。 じょっぱりの津軽公は、津軽富士なる岩木山の頂上に立てばエゾまで見るから、南部富士は目の下という訳ですな、とヒゲをなでた。 佐竹公は、津軽富士はエゾまでしか見えませぬ。我が出羽富士鳥海山はエゾばかりかオロシヤまでも見えますぞ。津軽公も江戸に来るときご覧になられたはずじゃ、と津軽公をたしなめる。 だまって自慢話を聞いていた伊達政宗公は、笑いながら、我が国には伊達富士とよぶ大きな山はござらぬが、青葉城の真西に面白い形の山がござる。海のどこからでも見えるので漁船の目印となり、山の色やかかる雲の様子で農民の仕事運びの目当てになるそうじゃ。エゾやオロシヤは見えるが領民全部に親しまれ頼りにされているこの山が、伊達藩自慢の山でござる、と静かに話した。 城下ではこの山を太白山と呼び、名取の人たちは名取富士、おどが森と名付けて、政宗公のやさしさを語り伝えた。 また、昔むかし、おいでにオトワという娘が居た。ある晩外で用を足していると、地鳴りがして目の前の森がむっくりとおがって(盛り上がって)、ついにはトンガリ山になっていく。オトワが大声を上げるとピタリと止まった。これを聞いた人たちは、もしオトワに見られなかったら富士山よりも高い山になったべな、と悔しがり、オトアモリと呼んだ。 そこから、オドガモリ(生出森)と呼ばれるようになった。 この山の頂上には、ゴロゴロした岩石で、むかし大男が腰掛けたという大きな一枚岩がある。大男は、岩に腰を下ろして、右足を高館の吉田の田に入れ、手を太平洋に伸ばして魚介を取って食っていた。ときどき村に出てきて、百姓の仕事を助けたが、秋の忙しいときには何百人分の稲束を運んだそうだ。 ■せんだいむかしばなし編集委員会『せんだいむかしばなし』宝文堂、1989年 (小野和子さんの執筆部分から) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.10.09 12:38:33
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