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2011.11.02
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カテゴリ:東北
山形県の最上川で発見された江戸時代の小判の話。24時間テレビでも川の捜索が行われたので私も知っていた。その経緯を下記の書物を参考に記事にしたい。

■八重野充弘『埋蔵金発見!解き明かされた黄金伝説』新人物往来社、2010年
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昭和36年(1961)7月31日、白鷹町の最上川で手製の箱眼鏡で魚取りをしていた12歳の上村義実さんが、川底から金色に輝く楕円形の小判を発見。うわさが町中に広まり、約半月の間に小判23枚、二分金9枚、二朱銀358枚がみつかった。

白鷹町の人々の記憶には、西村久左衛門の黄金伝説がよみがえった。米沢藩御用商人の西村久左衛門は、米などの産物を舟で酒田まで運ぶため黒滝の改修を藩に提案。財政難のため断られるが、1万7千両の自己資金を投じて工事を行い、米沢と酒田の間の水運を完全なものとし、藩主上杉氏も久左衛門も巨利を博することができた。その後久左衛門は現在の白鷹町最上川河畔に藩のため蔵屋敷を建て、近くに自宅も新築。そして自宅地下に子孫のため財産を埋蔵したといわれる。屋敷がどこにあったか全くわからないが、川っぷちにあった久左衛門の屋敷が洪水で流され小判が川底に沈んだのではないか、と憶測する住民もいた。

しかし、見つかった小判はすべて文政2年(1819)から11年にかけてつくられた文政小判で、二分金と二朱銀も同時代。久左衛門の河川改修は元禄6年(1693)から翌年なので、久左衛門埋蔵金説は否定された。

ところが、地元の郷土史家が、寛長公御代要覧という史料から、本庄家用人の小嶋俊親の日記の記述を見つけ出した。「天保元年(1830)7月10日、城下(米沢)の大和屋久左ヱ門から、荒砥の清水屋に80両を運ぶ飛脚が、鮎貝、荒砥間の最上川で溺死した。」

1830年は文政小判が流通した頃であるし、発見された金銀貨の総額が72両1分なので、金額にも矛盾がない。また、飛脚が溺死した場所は当時の渡し場の近くで、金銀貨がみつかった場所とも一致する。現金輸送飛脚の落とし金とみて間違いないだろう。

ただ、残り7両と3分が未回収となる。2008年夏の日本テレビ「24時間テレビ」で地元の子ども達とタレントが探そうと言うことになったが、生放送の当日は豪雨のために川が増水して中止。後日リベンジを図ったが何も見つけることはできなかった。

なお、61年に改修された小判その他は、はじめ25名の発見者がそれぞれ自宅で保管していたが、町が埋蔵文化財に指定して一括保存することとなり、昭和41年にかき集められた。時価総額2千万円といわれるお宝は、今、白鷹町役場の出納室の金庫に厳重に保管されている。
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■白鷹町観光協会のサイトに詳しい解説があります。





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最終更新日  2011.11.02 21:51:18
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