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2013.04.02
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カテゴリ:仙台
以前記事にした。福田町二丁目の十一面観音堂だ。

■過去の記事
 十一面観音堂(シリーズ仙台百景 27)

木村孝文『宮城野の散歩手帖』(宝文堂、1999年)を久々に読んでいて、あるページに四野山観音堂とある写真をみて、もう6年前にブログ記事にした際の写真を思い出したのだ。

以下は上記文献の説明だ。
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四野山観音堂は、延暦年間坂上田村麻呂の創建、あるいは天平宝字元年の勧請とも伝えられている。

木ノ下の国分寺より宮城野原を通り、旧四野ヶ原(現卸町・扇町)から四野山観音堂に至り、雲洞院に北上する道を古街道といい、原町、苦竹を経て福田町に至る道は新道街道といっている。宮城野原から続く地帯は、新田開墾のはじめ頃には、四軒の家すなわち四家(よつや)があったとのことで、同音文字の四野(よつや)によって、四野(よつや)ヶ原といわれたという。(菊地勝之助『みやぎ郷土小辞典』)

四野山観音堂の本尊は十一面観音で、もと高さ一寸八分(約5.4cm)の黄金仏だったとのことであるが、一時紛失したが後堂前の柳の樹の空洞で発見したが、再び紛失したという。現在のは木像である。このいわれによって、当観音を柳の観音ともいっている。

安永3年の風土記には、観音堂の別当は羽黒派修験四野山不動院で、繁応が慶長3年に開院したこと、またこの観音堂は奥州三十三番札所の七番と書出されている。しかし他の文献では奥州三十三観音の中には入っていない。

境内には十五基の石仏が造立されている。弘安9年の板碑は裏面は庚申塔に利用されている。彫りくぼめに一面六臂の青面金剛を浮き彫りにし、邪鬼を踏み、下には三猿、上には日月瑞雲が刻まれている。
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最終更新日  2013.04.02 21:48:16
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