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お雛様に関して、興味深い解説をみつけた。
もともと「ひいな遊び」という貴族の遊びが、江戸時代に一般庶民にも広まって「お雛様」になった。お雛様は、女の子が生まれたときに贈られる。祖母の、母の、娘の、孫のお雛様が並ぶ前で、その家を語り継ぐ。語り継ぐ中で、「ひいな」が「お雛様」に変わっていった。 世界中で、普通の人形に様をつけるのは、マリア様のような宗教上のものは別にして、二本だけだろう。日本の平和のなかで、家が続いてきた中から生まれた素晴らしい文化である。戦争の時に、お雛様は飾られなくなった。昭和60年頃に山形県大石田町で忘れ去れていたひな祭りが再開された。これは、町がかつて舟運で栄え、女性たちが平和な社会を語り継いできた象徴だからと、展示を再開したのである。それが今日、日本中で「お雛様」がブームとなった始まりであった。 ■池内了ほか『シリーズ・16歳からの教養講座3 高校生のための 人物に学ぶ日本の科学史』ミネルヴァ書房、2020年 (第4章 鈴木一義執筆) これによると、大石田町がお雛様ブームの始まり、しかも昭和60年と「最近」のことだ。自分には新鮮な驚きだ。 大石田町の公式サイト(大石田ひなまつり)に詳しく説明がある。 山形県の内陸にある大石田町は、かつて最上川舟運最大の舟着場でした。 江戸期になると、西廻り航路の整備により、上方との文物の交流が活発になります。大石田からは近隣から集められた米や紅花が運ばれ、その返りに京都、大坂から優美なおひなさまがもたらされました。 これらの「享保雛」や「古今雛」は大切に大切に守り継がれ、現在に至ります。大石田ひなまつりは、各家庭を訪ね歩き、飾り付けられたお雛様を見てまわる「おひなみ」という形式です。 大石田の舟運によってもたらされ、それぞれの家で大切に守り継がれてきたお雛様がお供え物とともに飾り付けられています。 それぞれの家庭での大石田流のおもてなし、舟運文化の歴史とロマンを体感することができます。 洋画家・金山平三は戦時中から戦後にかけて町に疎開し、大石田の四季を描いています。 「ひなまつり」は昭和22年ごろ、家々に飾られたお雛様を見てまわる子どもたちを描いたもの。 1990年代の初め、雛人形研究家の藤田順子さんは、大石田町の家々に残る貴重なお雛様をつぶさに調査し、「ひいなの隠れ里」として全国へ紹介しました。 これがきっかけとなり、大石田のお雛様を見に、全国から多くの方が訪れています。 『大石田のおひなさま』 藤田順子 著 より抜粋 大石田は「ひいなの隠れ里」であった。 1990年から続けて3年間、大石田の雛を調べた。この間わかっただけでも、20軒の家から、200体あまりの江戸時代の享保雛、古今雛のほか、竹田人形や、からくり人形がつぎつぎに出てきた。 このことが、1990年から1992年にかけて、山形、朝日、読売、毎日の各紙に、大きく取り上げられて、「大石田の雛の生い立ちにメス」とか「大石田は古代びなの宝庫」とかの見出しでニュースになった。 大石田が舟運で栄えた町であった、この町の特徴が、雛によって示され、知らされた。 「大石田ひなまつり」は、地元に伝わる「おひなみ」が復活されたもので、自宅展示で昔ながらの祭り方でご覧になれます。 また、町立歴史民俗資料館では、江戸時代からの貴重な雛人形のほか、大石田ならではの古い雛道具や、郷土人形・ままごと道具一揃いなどが特別公開されます。 (以上、公式サイトの説明から。) 今年4月の令和3年度大石田ひなまつりは、新型コロナの影響で中止だったようだが、ぜひ来年は訪れてみたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.10.26 21:57:14
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