カテゴリ:宮城
タイトルだけでも血が騒ぐ。1月29日河北新報「アングル」は、写真をふんだんに使い、牧山の自然と風景、そして由緒を伝える。山名に関して、要旨は以下だ。
・中腹に「魔鬼山寺跡」がある。蝦夷征討に派遣された坂上田村麻呂が石巻地域にいた魔鬼一族の首領の妻を倒して平定した。その妻の供養と平和を願い建てた寺があったとされる。 ・「魔鬼山寺跡」を示す石碑の前では、2本の木が絡みつき不気味な雰囲気(写真掲載) ・山頂の零羊崎(ひつじさき)神社の禰宜桜谷靖雄さんによると、山の名の由来は、魔鬼山や、かつて呼ばれていた龍巻(たつまき)山との説があるという。 ・山頂付近から石巻の海を一望できる。零羊崎神社は、海の神「豊玉彦命(とよたまひこのみこと)」を祭る(写真掲載) (記事要旨以上) 石巻観光協会サイト(内容)によると、零羊崎神社(牧山神社)のいわれは、応神天皇2年(271)に神功皇后の御勅願により創建されたと伝えられる。祭神は海の神である豊玉彦命。平安時代の延喜式神名帳では、牡鹿十座の筆頭として名神大社に列せられた。中世から近世にかけては神仏習合の天台宗鷲峰山長禅寺として信仰を集め、江戸期には春秋の祭礼に合わせ湊砂山にて須賀の市といわれる盛大な互市が開催された。明治の神仏分離で長禅寺は廃寺となり神社のみとなったが、現在の拝殿は長禅寺観音堂の遺構で、神社社殿としては県下有数の大きさである。 NHK仙台の「知っトク東北」で名前の由来を解説している(内容)。古事記に出る海の神豊玉彦命をまつっているが、宮司の櫻谷鎭雄さんによると、もとの名前は、涸満瓊別神(ひみつにさけのかみ)と言った。涸=干潮、満=満潮、瓊=たま、である。海をつかさどっていた神の名が後に変わって「ひつじさき」の読みになったと伝えられる。今の漢字になったのは、境内にも現れる羚羊(れいよう、カモシカのこと)を関係があるのではと考えている。羚と音が同じ零が当てられたのではないか。 石巻市民だった頃の若い私も、牧山にのぼった。地元の方々は「まぎやま」、それも鼻濁音でサラリと言うのだった。 ■関連する過去の記事(石巻と古代中世史、民俗などに限って) 田道将軍と石巻(2020年2月1日) 奥州三観音、奥州七観音(2017年1月21日)=牧山の梅渓寺 中世宮城の名族たち(その2)(2016年12月26日) 中世宮城の名族たち(その1)(2016年12月23日) 石巻市雄勝の地名「味噌作」を考える(2012年10月27日) 和淵山の歴史(2011年10月5日) 葛西氏と大崎氏(10年9月22日) 中世の留守氏(10年9月21日) 金華山と涌谷を考える(06年12月17日)(おくのほそ道) 田村三代記(田村語り)(2011年8月28日)=零羊崎神社の縁起に関わる お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.02.18 13:07:34
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