綿矢りさの第3作目となる長編小説『夢を与える』(河出書房新社)を読了した。
2007年に出版されたときに、読んでみようかなどうしようかなまあいいや読まなくて、と思って読まずにいた作品だけれど、村の格差図書館に行くたびにタイトルが目に飛び込んできて、じゃあ借りて読もうかと思ったとたん誰かが借り出して1カ月以上待たされているうちにとても読みたくて仕方なくなっていた。ということで、内容に関してはあまり期待していなかったけれど、気分だけは期待に満ちて読み始め、そしてほぼ一気通貫といった感じで読了した。

夢を与える
よく書けている、と読みながら感じた。ストーリーは直線的で伏線も工夫もないのだが、それだけに書けていないととてもじゃないが読み進められないリスクを背負うことになる。だが、最後まで一気に読ませるだけの力がこの作品にはあった。
フランス人の父親と日本人の母親のひとり娘の夕子。ハーフ顔は愛らしくチャイルドモデルとなり、やがてアイドルとなり、若気で周囲が見えなくなる恋愛で破滅してしまうまでが描かれている。だから、展開に面白さを求める作品ではない。直線的なプロットのベルトコンベアーに乗せられた主人公・夕子の微妙な変化を読み取っていく作品である。スリリングであり、真実に人間らしいイメージの創出に成功している。たしかな実力の備わった作家であることがこの作品を読むとわかる。たぶん、本はさほど売れなかったと思うけれど。
この作品を読んでいる途中で、ふと、ある考えにとらわれた。それは、綿矢りさにとっての『夢を与える』という作品は、三島由紀夫にとっての『金閣寺』に相当するのではないか、という考えである。二人の作家をどう重ねてもズレが出てしまうので、なんでそんなこと考えるのよ?と聞かれても明確に説明しかねるのだけれど、『夢を与える』を読み進めながら、ラッキーマンの頭の中には、自ら火を放ち炎上する金閣寺を北山から眺めている僧のイメージが浮かび、居座ってしまったのである。
ことこまかに心理描写などがされているわけではないのだが、主人公・夕子が感じる疑問、葛藤、懊悩、一途さはリアルに伝わってきた。作品の前半の部分を読んでいるころには、この作品は一人称で書いてもいいのではないか、と思っていたけれど、三人称で書くことによって一人称的な主人公を第三者的視点で読み進められる効果があると気付いた。
主人公・夕子は、タレントゆーちゃんという金閣に火を放ち、消失するさまを茫然と眺めている。自ら崩壊しながら、その様を外から眺めている。二次元的なストーリー展開のうえで、そんな不思議で立体的な感覚が得られる作品である。