支援依存症“不登校・ひきこもり・ニート支援依存症”というのは、支援“される側”ではなく『不登校・ひきこもり・ニート』などを“支援する側”が、支援活動等をすることにより、自己、当事者、その他の人に苦痛や迷惑な行為を、繰り返しやってしまうことをを指す―by巨椋修(おぐらおさむ)― “支援依存症”というのは、わたしの造語です。 ここでいう“支援依存症”というのは、『支援される側』ではなく、『支援する側』の人が、支援活動にのめり込むあまり、本人がつらいとか苦痛を覚えてもやめられなかったり、『支援される側』の人や、第3社が、迷惑を被ったりすることを指します。 実際問題として、そういうことを目にすることや耳にすることがあります。まあ。一種の“共依存 ”というやつですね。 支援者自身が、支援することに過大な労力を費やし疲れきってしまったり、職業をないがしろにしてしまったり、家族や周囲の人に迷惑をかけてしまうことがあります。 それどころか、当事者に余計な支援を押し付けて、困らせてしまったりすることがあります。これなど、文字通りの『余計なお世話』になりますね。 『不登校・ひきこもり・ニート』の支援者というのは、元々本人が当事者であったり、当事者の親であったりすることが多いのですが、ときとして 当事者を救うためと称して、当事者を自分が救われるための道具として利用してしまう。 ということになることがあります。 そもそも依存症とは、はじめに“快感”があります。 アルコールなら、酒を飲んで気が晴れた。いい気持ちになったとかいう“快感”ですね。 やがてその快感を、繰り返し求めるようになる。 そのうち、度を過ごしたりして失敗したり、二日酔いになったりするのだけど、やめられなくなる。 自分の体に悪い。周囲の人に迷惑をかけているとわかっているのだけど、やめられない。 これが、アルコール依存症。 アルコール依存症の周辺事態として、共依存 というものがあります。 アルコール依存症の夫がいる。妻がいるも迷惑を掛けられていて、なんとか夫にお酒をやめてもらいたい。 それで、夫を病院に連れていったりする。 夫がお酒をやめそうになる。 ところが…… 妻としては、何となくもの足りなくなる。 これまで、だらしない夫の面倒をみていたのに、夫がお酒をやめて“マトモ”になってしまったら、これまで「だらしない夫の面倒をみるけなげな妻」という自分の役割がなくなったように感じる。 自分の存在価値がなくなったように感じる。 やがて、せっかくお酒をやめそうだったのに、 「まあ、がんばっているんだから、一杯くらい飲んでもいいんじゃないの」 などと、足を引っ張るようになる…… これが、共依存。 この共依存 を、支援者にも当てはめることが出来る場合があります。 『不登校・ひきこもり・ニート』で困っている人に手を差し伸べる。 感謝される。 気分がいい。 自分は必要とされているんだと思う。 気分がいい。 人から相談を受けたり、アドバイスをすると、ちょっと上になっているようで気分がいい…… この気持ちいい。気分がいい。人の為になっているという快感があるから、より支援活動に身が入ります。 しかし、過剰にそれを追い求め過ぎると、自分の苦痛をかえりみずにやってしまうことがある。 自分の仕事をないがしろにしてしまったり、家族を犠牲にしたりすることがあっても、ついついやり過ぎてしまう。 アドバイスをするとき、気分がいいと思うようであれば要注意です。 当事者に自分なりの解決法を押し付けたり、“よけいなお世話”をしたり…… そしてこういったことを繰り返してしまうとすれば…… それはもう“支援依存症”と言っても過言ではないでしょう。 そうならないように、「支援するのもほどほどに」して、自分自身を守るようにした方がいいのです。 支援者の方は、ご用心、ご用心。 |