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テーマ:★☆沖縄☆★(2838)
カテゴリ:沖縄☆思いやり愛、心セラピー、ヒーリング
現在の沖縄は、晴れていて強風
ぬるい風が吹いております さて、昨日は、250アクセスいただきまして 皆様、本当にありがとうございます! 昨日と言えば 野球の練習試合に、我が子が行った後で Aから電話があり、今日の野球行ってもいいのかわかんないってことで、 じゃあ、監督に電話してみるからってことで、 電話すると、運動場がぬかるんで中止と決まり Aに「Mの母ですが・・・」と電話したら こやつ 「ああ、俺」って 私しゃ、あんたの彼女じゃないつーの「ああ、俺」って誰に言っている?小学4年生! って感じですが、まぁええわって思いつつ、 Aは、午前中、遊びに来た で、 日曜日の夜は、薬の効果で2時間は睡眠取れたものの、 赤ちゃんがいるので、これ以上は、眠れなくても何も出来ずに真夜中耐えるだけ せっかく朝方睡魔が襲ってきて、ようやく少し眠れそうなときに うちのガキんちょが、叩きおこしてくれたせいで、徹夜明けみたいな状態で一日過ごしました のちに、今度はめずらしく、 クラスメイトのお兄ちゃんが遊びに来て、一度6時に帰ったものの 一時間して、遊びにきたから「(うちの子6時以降出すわけにはいかんので)家の中なら、私が居るからいいよ」と、面倒みました。 そんな日々ですが、 今日は、長崎原爆の日 なぜに私が、この日を話するかと言いますと 去年のブログに書いたか覚えてはいませんが、 私の母が長崎終戦時の生まれで、 じつは、 母の父、すなわち、私のおじいちゃんが、被爆者なんです! 原爆投下の日、母は、まだ胎児の状態で 原爆投下された長崎市に住んでいました。 その翌日、おじいちゃんは棟梁でして、弟子と一緒に 長崎市の公園に、大量の黒くなった死体を回収作業していました。 その作業中に、黒い雨が降り、それをあびながら作業していたそうです。 その年の12月に超早産で生まれた母は、2週間の命と診断され、おばあちゃんの母乳も 原爆の影響で、出なかったために、初乳飲めなかった状態で、重湯と母の祖母の体温で 奇跡的に生き続け私を産み、孫である我が子をみるほど、生命力が強かった分、病気も多かったのです そして、黒い雨に打たれたおじいさんは、 白血病で、33歳と言う若さで、亡くなりました。 そのため、本来は、おばあちゃんが働くべきなのに、働かず、 私の母、当時15歳で、大阪に出稼ぎに行って、5人の兄弟と母親を食べさせてきたんです。 今の日本があるのは、こういった状態でも生き抜いた人々のお陰でもあるのです。 だから、私は、原爆投下された 11時2分に黙祷を毎年捧げています。 皆様も、ぜひ、平和のために、黙祷を捧げてください お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.08.09 03:26:58
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