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テーマ:■ムービー所感■(484)
カテゴリ:イギリス映画
タクシー運転手のフィル(スポール)は、スーパーで働く妻ペニー、老人ホームに勤める娘レイチェル、そして無職の息子ローリーの一家4人で、ロンドンの集合住宅に住み、質素な生活を送っている。家族らしい会話もなく、虚無感を募らせたフィルは、仕事を放ってわずかな逃避行を試みる。が、その間に家族に悲劇が起こっていた―――。 『秘密と嘘』のマイク・リー作品。マイク・リーは今まで『トプシー・ターヴィー』しか観ておらず、それが日本をテーマにした可笑しな感じの作品だっただけに、とても真摯な本作に驚いてしまった。真摯とはいっても、一種突き放したような冷徹な目線があるのも事実。 階級社会イギリスの集合住宅を舞台に、独特のリアリティで、低所得者たちの赤裸々な苦悩を描いていく。 荒んだ日常にある虚無や侘しさは、観るのもつらくて途中で投げ出したい衝動に駆られる。これはきっとほとんどの人が感じるはずの、辛さだ。親から子へと連鎖する、貧しさやダラしのなさは、もっとも嵌まりたくないものだから。 富んでも貧しても、人生における悩みは変わらないはずだけど、貧しいがゆえの苦しさというのは絶対にある。それを目の当たりにして、では何が彼ら一家を救うのか・・・。答えは作品全体で語られているような気がする。 愛する気持ち、それ以外にはない。苦しくても生きている意味は、究極には愛する人に必要とされていること、愛それだけ。 印象に残るのは、タクシーに乗せた裕福な女性客との会話。 高級ホテルへ向う車内で、何不自由ない暮らしでも孤独には苛まれるのだと、フィルは知る。孤独と貧しさは全くの別問題だと。 別れ際、女性客がフィルに名を尋ねるシーンが印象的だった。名前を聞くこと=その人の人格を認めること。アイデンティティーのない、名もなきタクシー運転手は、このとき初めて、自分の置かれている危機を乗り越える可能性に気がついたのかもしれない。 そのまま無線と携帯の電源を切って、海へ向ったフィルの内心は、沢山の思いが渦巻く。寂れた海の、たとえ静かなシーンでも、すべての思いを吐き出す後半への序章となることがよく表れていた。 皺の深く刻まれた妻、肥満した子どもたち、疲れきった顔のフィル。映像からさえ憂鬱さでいっぱい。けどここに、美しい男優も女優もいる必要ない。 味のありまくるティモシー・スポールをはじめ、妻を演じたレスリー・マンヴィルなど、マイク・リー作品には欠かせない役者たちが揃っていたそうだ。 のめり込ませる自然な演技が好印象だったのは、出来上がった脚本は用意しないという、リー監督のやり方のおかげ。即興の演技はリアルさを倍増させて、激昂したシーンの緊張感は作り物の多くの作品を軽々と凌いでいく。 老人ホ-ムで働くもの静かな娘レイチェルは、わずかな台詞でありながら、家族のドラマにとって大きな存在だった。 おじいちゃんほども歳の離れた孤独な同僚に好かれ、情けない父親を優しく見守り、ただ静かに本を読んでいる。壊れた家族の有様を一番よくわかっていたのは彼女。 「俺をカス扱いしている・・・・」 「してないわ」 「でもそう感じるんだ・・・」 両親の会話を悲しい気持ちで盗み聞きしていた彼女は、母親に一言告げるのだ。 「カス扱い、してるわ」 夢も希望も持てなかった家族が、愛の所在を確かめることで再生していく物語。その先に不安を残したことで、リアリティは続く。 邦題の「人生は、時々晴れ」そのままに、また雨降りが来て曇り空になる日がくる。でもそこにまた愛があれば、やり直しはきくはず。 巨漢の息子ローリーの急病や、裕福な女性客との会話をきっかけとしたように、偶然に出会えれば。 現実の世界で、愛を再確認するチャンスに気づけているか、ふと自分の生活を省みたくなる、そんな映画だった。 お金なんかなくたって―というのはキレイ事、イヤな世の中だけど、それが真理になってるのだなぁ。 監督・脚本 マイク・リー 音楽 アンドリュー・ディクソン 出演 ティモシー・スポール レスリー・マンヴィル アリソン・ガーランド (カラー/128分/イギリス=フランス合作) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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