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義母の入所で、週2回の洗濯物交換の通いもしなくてよくなり、私の余裕時間が 大幅に出来るかと思いきやそうではありません。 時間って、余裕って不思議です。 今までと同じではありませんか。 気分的に病院に行かなくっちゃって思わなくてよいことは確かですが それが生活に直接どう影響しているかと言えば、さりとてかわりなし。 その後の義母ですが、1週間に1度は面会に行っている程度ですが 病院暮らしとは、全然違います。 まず着ているものが、つなぎの寝巻から普段着ってこともありますが 表情が全く明るくなりました。 そして、以前のように冗談が飛び出します。 スプンから箸使いに変ったことも大きな変化です。 所違えば、違った視点で見てくださるので、高齢とはいえ上向きに変わることがあることに 感謝しています。 ホームの職員さんも皆やさしく、とっても良い雰囲気です。
病院の大まかな荷物は、前日病院から家に持ち帰った。 そして当日、特養からの迎えは11時過ぎ。 入所先で必要な着替えを車に積み、10時過ぎに病院に着いた。 ツナギから普段着に着替えたら病人らしさは無くなった。 荷物をまとめ、挨拶をしたところで、迎えに来られた。 看護師さんたちから「さみしくなるね」って言われて退院した。 本人は、どこへ行くのかは分かっていないが、いやではなさそうだ。 入所先に着くと「病院では、みなさんがさみしくなるねって言われました」と職員さんたちに 報告していたのを聞いて 病院では冗談を良く話し、看護師さんや介護士さんたちの人気者だったんだなあ 入所先に到着すると、食事の用意が出来ていて食堂に通された。 話しかけてくれる大勢の人たちに、あいそ良く答えていた。 明るい雰囲気で、ホットな方ばかりで安心して帰宅しました。
特養老人ホームから病院へ本人の容態を確認に来られたのは5日 2日後の7日に電話があり入所OKですと言われた。 そしてなんと連休明け、11日に病院に迎えに行きますとのこと。 何と早いこと、早すぎますとも言えない。 せっかく、入所できるのに・・・。 病院の生活から抜け出すには色々準備が必要だ。 ●つなぎの寝巻は身体拘束するので、使用しません。 ●日中は洋服で過ごし、寝る前にパジャマに着替えてもらいます。 ということなので・・・・。 ここ2年ほどはつなぎの寝巻しか着ることがなかった。 もう着ることはないかもしれないと、しまっておいた段ボールから 洋服やズボン、靴下を出し、日光にあてた。 服は足りるか、ズボンは履けるかと腰のゴムのチェック。 枚数は十分ありそうだ、老健に入所の時の物が間に合った。 荷物の準備は出来た。 つづく・・・
手術をして結石を破砕した義母は、メキメキ元気になりました。 まだ入院中ですが 熱も出ることはなく、脳や手先のリハビリ、足の運動を続けています。 そろそろ退院を考えてくださいと言われていたので 3年ほど前に申し込みをしていた、特養老人施設に再度お願いをしておきました。 そうしましたら、このほど入所の枠が出来たらしく、本人の状態確認に来られました。 入所できるかどうかは、会議に掛け入所ポイントの高い人からになるようです。 元気で医療行為がない人を入院させておくわけにはいかないんでしょう。 でも手術後、病院のリハビリでずいぶん元気になったことは確かです。 家で介護することは無理なので、退院後が施設になることは心が痛いが仕方ないです。 見なれない人たちと暮らす羽目になることが心苦しいけど慣れてくれるのを待ちたい。
義母の入院先の病院で、このほど夏祭りが行われました。 年2回このような行事があるようですが、この2年、一度も見に行ったことはありません。 祭りは夜でしたが、ちょうど都合がついたので、少し遅れましたが行きました。 会場は病棟の食堂。 寝たきりの人たちも、全員が集まっていました。 職員さんの何人かは浴衣を着て、夏色満開でした。 すぐに、義母のそばに行くと、水風船のヨーヨーとお菓子を持っていました。 次にかき氷を食べながら、中庭でする花火を眺めました。 次はカラオケです。 皆とても楽しみにしていたのに、機械が故障。 アカペラとなったものの、昔懐かしのメロディが皆の合唱となって 楽しく幕を閉じました。 皆さんとても楽しそうでした。
![]() パネルに総勢4人のひ孫の写真を貼り、名前を記名しました。 小さな子供の写真を見るのは、和みます。 ましてやひ孫なら喜んでもらえるはず。 昨年も同様、半年ほどベッドの横に置き見てもらいました。 同居しているひ孫とも久しぶりの対面です。 「べっぴんさんやなあ」を繰り返し そのたびに「ばあちゃん、この子は男やで」と言って笑いあう。 そして、そのひ孫の1歳の誕生日が前日の5日だったのです。 病室で一緒に、一杯写真を撮りました。 この写真は家でささやかにパーティーをしたときのものです。 大人の気持ち子知らずって感じ。
無事手術も終わり、順調な術後でしたので 元の病院に移る許可が出ました。 地域連携医療室から連絡があり、転院日決定。 入院時は息子と一緒に自家用車で行ったのですが、やはり足の効かない義母を 車に乗せるのは大変でした。 ので、今度は介護タクシーを手配しました。 これだったら、私一人で大丈夫。 しかし、当日は大雨で道路は寸断され、病院にたどり着くことが出来ず やむなくキャンセル。 次の日は、私の外来受診の日でNG。 3日後再び迎えにGO。 無事もとのさやに戻ったという感じで帰って来れました。 しかし、本人はまた違うところへ来たという感覚で 不安のようです。 見なれた部屋と、聞き覚えのある言葉かけで早く落ち着いてくれることを願っています。
入院するたび、付き添い泊をしていたが ここのところ足が効かなくなり、寝たきりになってからは泊まることもなかった。 しかし、手術となったらやっぱり・・・・。 看護師さんに、泊まりますと言ったら布団と簡易ベッドを用意してくれた。 部屋は、他の患者さんに迷惑をかけたらいけないと入院当初からHCU室に入れてもらった。 術後も同じ、看護師さん至近距離のHCU室。 カーテン1枚の隣のベッドは男性。 さてさて、眠れることでしょうか。 義母が寝ないことは予想できたので、眠ることが出来れば幸いと簡易ベッドに・・・。 義母は左手は点滴、右手指も何やら繋がってる。 付き添い泊をしたのは、点滴を外さないか見張り役をかって出たのであるが 私の眠気が・・・。 何としてでも見張っていなくてはと 義母の右手と私の左手をタオルで結び、ベッドの柵に固定した。 片手では点滴をいじることはできまい、これで少しは眠れそうだ。 数時間はうまくいった。 しかし、義母は目はらんらんとして、妄想にふけまったく眠らない。 そのうち、手が動かないのに気付き怒り出したのは深夜0時頃。 「手に負えません、眠剤とかは出してもらえないでしょうか?」 と、呼べば聞こえる範囲にいる看護師さんに訴えた。 「いつもなら良いですが、今日は麻酔を打ってますしねえ」とダメみたい。 と、そこへ主治医が・・・・。 えっ、わざわざ見に? なんと当直の当番のようでした。医者もたいへんだなあ。 というわけで、直々主治医に聞くことが出来、眠剤を出してもらうことが出来ました。 しかし、飲んだにもかかわらず、いっこうに眠りにつかない。 私が困っていると看護師さんが 「点滴を外した時は、その時でまた刺し直しますのでゆっくり寝てください」と やさしい言葉を頂きました。 しかし、ゆっくり寝ることも出来ず朝になりました。 幸い、点滴は朝まで手に収まっていました。 朝食後、ゆっくり眠りについたのを見届けて帰宅した次第です。 │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |