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奥円の日記 [全313件]
以前の記事で大河ドラマがつまらんと言っていましたが、先週のは面白かったと思います。やはり保元の乱が始まるまで待って良かったか。小日向文世さんの源為義が初めてしっくりきてたと思う。 山本耕史さんの藤原頼長も良かった。 唯一白けたのが清盛の一騎打ちか。 夜討ちに出て、一騎打ちして、朝になってしまう。 さて、次の大河楽しみに待とうかな。
ついこの間まで中国とベトナムが戦争の危機だったのに、今度はフィリピンと中国が戦争の危機です。 もう中国はやる気満々みたいですよ。 「中国 フィリピン」で検索するとNEWS記事は時々刻々事態の悪化を伝えております。日本のTV等のマスコミは余り伝えないようですけどね。 とにかく中国はガメツいね。なり振り構わず領土拡張しようとしている。正確には地下資源が欲しくてたまらない。 中国が主張する領有ラインみたら笑っちゃうよ。笑えないけど。 「お前、アホか!」と言いたくなる。 南シナ海のベトナム、フィリピンの海岸近くまで「中国領だ!」と主張してるんですもん。沖縄もそうだね。南西諸島近くまで中国は領有主張してます。日中中間線も中国側は本来認めていません。それどころか沖縄すら中国領だとほざいています。 朝貢してただけで古来から中国領というのは無理があります。 それを認めるなら韓国はおろか、(古は大和)、東南アジア、アフリカまで中国領が出来上がってしまいます。 こんな不安定な東アジアにおいて日本の防衛、外交は他国任せです。政治力に於いても日本の主張する未来像なんて有りゃしません。せいぜい鳩山の東アジア共同体か小沢の中国ゴマスリ外交くらいでしょう。そこに日本の自主性がどれだけ有ると言うのでしょう。 日本には現在「天」がない。己の見る世界に於ける普遍性である。天がなければ天下が治まるはずがないではないか。決して中国のように「我」を出せというのではない。日本が世界に訴える信がないのである。 まずは日本が自ら考え、自ら起つことから始めねばならない。 防衛に関しては現在の日本は「外堀を埋められた」状態。こんな城のままで篭城できるであろうか?真田幸村なら外に打って出るね。戦前における朝鮮、満州の位置付けは対ソ連の防波堤である。 即ち日本は外国に金を貸しまくってるのだから条約次第で外国に基地を置くこともありうる。ただしこれは米軍が各国で起こすイザコザを見れば不本意な選択である。 ならば日本、あるいは日米豪主導で東南アジア各国連合、対中防衛機構を組んでみてはいかがであろう。衝突が起きても、すぐ特定国へ向けてミサイルが飛んで来る事はなかろう。 国連なぞ所詮「連合国軍」。敗戦国日本の立場が上がる訳でなし、戦勝国&常任理事国の中国の暴走を止められるはずないではないか。
NHKスタッフは自分達の作った大河を見て面白いと感じるのだろうか。 感想は人それぞれであろうが、現に大河は低視聴率である。 もっとも「NHKは視聴率を気にせず良いものを世に出してゆけばよい」との意見もある。 大河ワーストは1994年「花の乱」14.1である。 では「花の乱」と「平清盛」どちらが面白い? 私は断然「花の乱」の方が面白いと感じる。 近年の大河ドラマはどれもこれも「花の乱」以下ばかりである。 大河ベストは「独眼竜政宗」1987年39.7という驚異の視聴率を記録した。 今このような数字は無理だと思うが、あれから質はかなり下がった。 バブルの頃はお金を沢山賭けることもできただろうが、今はそうはいかないのかもしれない。 今年に限らず近年の大河は緊張感(間)がない。 そして現代語をしゃべる。 当然当時の言葉は現代日本語と音がかなり違う。そこは信じられる嘘を付いてもらいたい。 とにかく大声で叫ぶが、腹から声が出ていなかったりすると貫禄がなく見えてしまう。 「平清盛」にしても公家が沢山出てくるのに公家言葉を上手く使う人が何人いますか。 「太平記」では片岡鶴太郎演じる北条高時。藤木孝演じる坊門清忠、近藤正臣演じる北畠親房 等皆すばらしかった。
私も大河ドラマに関しては時々記事にしますが、今「平清盛」の低視聴率が問題になってますね。 私はここ数年ほとんど大河ドラマは見ていません。 つまらなさに拍車がかかってもう見てられん状態です。 「平清盛」については良い題材なので、「少しは見てみるか」といった感じ。 しかし、「それでも大河はつまらない」(ガリレオかい!?) ただ保元・平治の乱を待つばかり。 「普通」に作れば面白い題材なのになあ。もったいない。 近年の大河は何故つまらないか? 第一に脚本家に歴史愛が足りないのであろう。 どうしても現代の価値観で物語を作ってしまう。 そうでは無く、現代の歴史観と当時の価値観を交えて作ってもらいたい。 全て当時の価値観ではついてゆけなくなるので、信じられる嘘をついてもらいたいのだ。 例えば「太平記」。これは私が一番大好きな大河なのだが、「幕府」という用語が使われる。しかし当時「幕府」という歴史用語はない。江戸時代に作られたものである。しかしこの言葉があることによって現在の歴史観で当時の価値観を面白く見る事ができたのである。 同様に信玄と謙信の一騎打ちも実際存在しない。謙信も第四次川中島の戦い当時は上杉政虎なので僧形ではない。 桶狭間は信長の正面突撃であったし、長篠の合戦では三千挺の火縄銃による三段撃ちは存在しなかった。 その他、日本刀は戦場のメインウエポンではなく 源義経も沖田総司も美形ではなかった(そうだ)。残念ながら。 でも史実通りではつまらないでしょ。そこは人口に膾炙してドラマを仕立て上げるのが脚本家や演出の腕の見せ所だと思うのです。 つづく
「阿耨多羅三藐三菩提=無上正等覚」とは日々大小悟り続ける意味だと以前述べたことがあるが、今回久々に法楽に酔うところがあったので喜びのまま書きなぐらせていただく。 空海の言「真言は不思議なり、観誦すれば無明を除く。一字に千里を含み即身に法如を証す」。(般若心経秘鍵より) さて、わかったようなわからないような。 真言にこれほどの力があるのか、俄かには信じがたい。 真言に空海は何を理解したのか一つの課題である。 そんしてその真言の奥深さの一端を垣間見てみたい。 私が理解したのは、「真言は証である」ということ。これでは解りにくいので、私はこれを「実法」と表現したいと思う。 華厳経に説くように天地自然は仏の説法である。空海もそう理解していたようだ。 『声字実相義』に五大にみな響きあり 十界に言語を具す 六塵ことごとく文字なり 法身これ実相なりとある。 ガリレオ・ガリレイも「アリストテレス主義者は真理は『物語の本』にあると思っているが、自然こそが真に偉大な書物なのだ」ということをどこかでいっていたそうです。 これが私のいう「実法」ということ。この仏説を以って無明を除く。 道元流に言えば「万法すすみて自己を修証する」「修証一等」ということになるが、道元の場合「修」に因分のニュアンスを感じる。 空海の場合、「証智」と表現すべきか。華厳ならば「性起」である。 「証」は果分である。空海は十住心論の如く智を以って統べる。証は対象としてではなく能智としてはたらく。「唯智論」の如くである。 これは果分可説であり、法身説法なのである。 禅では「文字になる以前」の境地に挑むがその境地が対象である以上、相対なのである。 真言は「文字になる以前」も文字であり、智で貫徹された一方通行なのである。 ここまで解れば空海の『即身成仏義』の理解も容易になるのではなかろうか。 六大無礙にして常に瑜伽なり 四種曼荼は各々離れず 三密加持すれば速疾に顕わる 重重帝網なるを即身と名づく 法然に薩般若を具足して 心数心王刹塵に過ぎたり 各々五智無際智を具す 円鏡力の故に実覚智たり 身とは対象ではなく智のはたらきとしての身である。 受としての身ではなく、証としての身なのである。 身は仏説であり、智が身を貫徹している。 身そのままが説法し、身は証である。 果分可説であり、自性法身の説法する自受用身である。
阿字観体験が終わり1時から写経会があるというので、前回参加できなかった写経にも挑戦してみました。 普段会社では筆ペンを使用しているので、そこそこ自信があったのですが甘かった。 筆選びが悪かったのか!?墨がすぐ掠れる。おまけに旧漢字。読めはしても書き順までは判らない。見本が裏側に左右反転されて書かれており、上からなぞるのだが、自分の書く漢字のバランスと全く違う。つまり習字の時間のように自由に文字を書くのとは訳が違うのだ。見本は勿論達筆だけどね。 もう散々な般若理趣経百字の偈ができてしまった。次回リベンジだ。
さて、2度目になる阿字観体験へ行ってまいりました。 品川にある高野山東京別院で行われています。 今回の参加者は過去最多だそうです。 前回3/10は中止だったので、その分増えたのでしょうか? 初参加の人が多かったので、その分初歩的な所をのみ重点的に行われました。 初歩的といっても私も今回二回目なので上手くできるはずもなく、姿勢が上手く整いません。姿勢といいますか足組みですね。全然安定しない。前回私が1/28に行った一回目の時もそうだったのですが、その時の方が集中できていましたね。 川上師も言っておられましたが「今回瞑想で得たイメージは忘れていって下さい。その時々によって全く異なってくる。また、実社会とは心の感覚が違って適応しにくくなる」ということです。 |一覧| |