Daily Life129
TWIM33
after TWIM6
Book (biology)4
Movie9
思いつき作品7
Music3
Translation5
Okumura's Artwork21
Theory of Everything13
Exhibition Info31
Ideas7
全21件 (21件中 1-21件目)
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all photos by Ken Sasaki=====府中市美術館でのワークショップ第二回(最終回)、無事に終わりました。協力してくれたみなさんに感謝。今回は、最初の導入の段階で、りんごやカボチャ、冷蔵庫やありの巣などを使って「内側」という概念を伝えるときに(っていうかそこまでしなくてもけっこうわかってるみたいではあるんだけど)、あんぱんの袋からパンを取り出して「さて、何が入ってるでしょう?」と子供たちに聞いて、「あんこ」「あんこ」と口々に言うなかパンをほおばり、実はクリームが入ってるのを見せて(事前にすり替えてた)、「あんぱんの中にあんが入ってると限らないように、みんなの中にも何が入ってるかわからないよ。町があるかもしれないし、宇宙人が住んでるかもしれない」と言ったこともあってか、前回より「空想」度の高い絵が集まった(ってこの一文長過ぎ)。導入以降の僕の仕事は、ひたすら誉めたり、「これ何?」「ここどうなってるの?」と子供に聞くだけなんだけど、今回もいろいろと面白い返事をもらえた。一番笑ってしまったのは、「海苔が好きだから」という理由で味付け海苔を描いてた子かな。あとは、上半身には「市」があって、下半身には「区」があるという子とかね。前回同様、20日土曜の朝まで府中市美術館の創作室で展示中です。といっても中からではなく、外からしか見えません。美術館入り口向って右に少し行ったところです。む、いま気づいたのだが、今回の作品を「外からしか見えない」状態で展示するっていうのは、けっこうコンセプト的に深い気が。
Dec 17, 2008
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"Fictional Anatomy 1"Fuchu Art Museum Workshop Room23 - 29 Nov. 2008Selected works(c) 2008 Haru Hirose(c) 2008 Riko Seichi(c) 2008 Soyon Yun
Nov 29, 2008
all photos by Ken Sasaki------ワークショップの第一回、無事に終わりました。お力添えをいただいたみなさん&参加していただいたみなさんに感謝!当日の流れとしては、持参した小さなスーツケースを開けたり、そこから取り出した果物を切って中身を見せたり、あんぱんをかじったり、いくつか参考画像を見せたりしつつ、「何かの中」というコンセプトと、「自分の体の中を想像して描く」というテーマを子供たちにわかってもらう。↓子供たちを紙の前に立たせて、輪郭をなぞって紙に描いていく(お父さんお母さんによって)。↓その輪郭の中を自由に埋めていく。クレヨン、ポスカ、水彩など。という感じ。学芸員の成相さん、写真撮影のみならず臨時アシスタントとしても働いてくれた佐々木君、さらにボランティアの方おふたりの力によって、なんとかスムーズに進んでいった。「自由に想像」といったものの、「心臓」とか「胃」とか「骨」とかはやはり描かれていた(おそらくドクンドクン感じたり、食べたものが入る袋があるはずだって考えたり、骨のかたさを触ったりして、体験的に知ってるのかも)。流れる血や、バイキン君や、食べたもの(特に好きなもの)も頻出。あと、うんち!食べ物がうんちになっていく過程とか、けっこうリアルだったり。もちろん各臓器の繋がり方や位置は実際とは違ってたけど、むしろ実際とは違ってる図を僕は見たかったので、すごく面白かった。次回は、「もしかしたら体の中に街があるかもしれないし、宇宙人が住んでるかもしれない」ってことも言ってみよう。土曜日の朝まで作品は飾られてるので(美術館入り口向って右側、外から見えます)、みなさんビエンナーレを見るついでにぜひ~。
Nov 23, 2008
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突然だけど、明日、府中市美術館でワークショップ(というかお絵描き教室、というか僕にとってはプロジェクトベースの作品)をします。開催中の「府中ビエンナーレ」の関連企画です。あと、12月13日にも二回目をやります。対象は4歳から7歳の子供で、下のチラシにあるとおり、自分の体の中のようすを自由に想像して、カラフルな絵にしてもらいまっす。僕の問題意識については、下のチラシ2枚目を見てもらえばわかるかと。以前書いたことともたぶんつながってます。ワークショップ後、子供たちが描いてくれた絵は、ワークショップをした部屋の窓に一週間(次の土曜の朝一番まで)展示されます。外から見えるので、みなさん、ビエンナーレのついでにぜひ見てください。また報告しますー。ああ、不安&楽しみだ。flyer designed by Hajime Nariai
Nov 21, 2008
いやはや、最後に投稿してからずいぶんと時間がたった。mixiにはけっこう書いてたんだけどね。釜山で盗まれた作品は、当然ながら出てこなかったけど、主催者側から誠意ある対応ももらって、結局作り直した。たぶん盗まれてから実質二週間弱で新しいやつが展示されたと思う。mixiでいろんな人の助言も受けて、つばの焦げカスを綺麗に作る方法も確立できたし、けっこう僕としては良い経験だった。盗む人なんているんだなーってことも身にしみてわかったし。二週間あるべきものがなかったってのはもちろん見にきてくれた人に申し訳なかったし、自分も不本意だったけど。再制作を決めてから数日は、毎晩部屋でつばを焼いてた。換気扇をフル回転させたが、臭いは部屋に染み付いてしばらく取れず。そして換気扇のせいで外にも漏れ、明らかに同じアパートの人たちは臭かったろうと思う。警察とか来なくてよかった。こんな感じのものが効率良く取れるようになって...。最終的にこういう形に。福岡~釜山で撮影した映像といっしょに展示してるから、本当は釜山で吐いたつばを使わないとウソなんだけども。その点でも、やはりつらい事件だったな。で、再制作&再送付後、しばらく翻訳やらもうすぐやるワークショップの準備やら玉川の授業の準備やらで毎日睡眠時間を削りながら二週間弱がんばってたら、体が悲鳴をあげた。mixiで「実録」したけど(というかマイミクのみなさんの支えでなんとかのりきれた)、偏頭痛、肋骨損傷、帯状疱疹の三重苦。生まれてはじめて偏頭痛ってものになったけど(最初は脳がおかしいと思ってCT撮ったりもしたんだけど結局偏頭痛と判明)、あんなにつらいとは。強烈なズッキンズッキンと吐き気。特に朝は地獄。三日以上続いてからおさまった。この偏頭痛の最中、武蔵野美術大学の油科に呼んでいただいて、希望学生の講評と僕の作品を紹介するレクチャーていうかプレゼンっていうかをしてきました。なんとか頭は暴発せず持ちました。肋骨の方はというと、偏頭痛に襲われるちょっと前、新御茶ノ水の駅で雨の日にずっこけて、右の背中を強く打ち付けたのがそもそもの発端。青いアザになって、痛かったけど、頭痛の方がもっとつらかったのでとりあえず放っておいてた。で、頭痛がおさまりかけたときに、「偏頭痛の間はくしゃみや咳をすると頭に響いて超痛かった。いまやるとどうなるかな?試しに思いっきりくしゃみしよう」と思って実行したら、「ハックション」という音に「グゴギッ」という音が重なった。後者は、右背中の肋骨が鳴らした音だった。とんでもなく痛くて、その場にへたりこみ、神を呪いました。たぶん新御茶ノ水の時点で脆くなっていたのが、くしゃみの衝撃で限界を越えてしまったのだろう。レントゲンを撮ったけど折れてるかはわからず(肋骨は複雑なのであまりわからないらしい)、とにもかくにも安静にしてろってことで痛み止めとコルセットみたいのをもらった。数日したらだいぶ痛みは良くなって、いまは寝るときと起きるときにちょっと痛いくらい。もうすぐ完治すると思う。でもってでもって、偏頭痛の途中くらいから、お腹には帯状疱疹ができてた。チクチク痛む人もいるみたいだけど僕のは痛くもかゆくもなかったので、ふと気づいたときは「なんじゃこりゃ」とびっくり。肋骨がおさまりかけてきたころ皮膚科に行って薬をもらい、こちらもいまはほぼ完治。まだあとが残ってるけど。そんなこんなで30代突入のせいか体のガタを実感しつつ、来週土曜は、ずっとやりたかった体関係の幼児対象ワークショップを府中市美術館で。また書きまっす。
Nov 15, 2008
展示風景の画像がアップされてます。見逃した方、こんな感じでしたよ。http://www.misakoandrosen.com/exhibitions/08/01/ちなみに、だれも気づいてくれなかったことだけど、この展覧会『I Me Mine』に出したすべての作品のタイトルには、IかMeかMyが入ってます。そりゃーそんなこと誰も気にしないよね。実はここ二年は花粉の時期に外国にいたため発現する機会がなかったんだけど、もともとはひどい花粉症の持ち主なのだが、なぜか今年はまだ発症しておらず、もしかして二年の間に消えたか?と期待しているけれども、おそらくすぐにそんな期待は裏切られるだろうと確信している奥村でした。
Mar 5, 2008
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Echo: Kleines Konzert fuer Lina und SayoIdee: Yuki OkumuraTrompete: Daniel ErismannKameras: Wang Ya-hui / Yuki OkumuraKooperation: Misa Shimomura, Lina und SayoOrt: Zimmer 6, Laboratorie Village NomadeZeit: 11:30 am, 25. September 2007
Sep 27, 2007
先週水曜日、国立台南藝術大学で講義をした。っていうか、僕の映像作品とTOEを見せて、ちょっと話した。黄健宏教授の「影像哲学」クラスにて(対象は修士/博士)。↓あいかわらず顔(色)がヤバい奥村。隣は黄健宏教授。↓全体の様子。これはトークがはじまったばかりのもの。途中からもっと増えてけっこうぎゅうぎゅうに。念のため。↓「Theory Of Everything」上映のようす。うつってるのは泉太郎の、専用のマスクをつけてポッキーを食べる作品。で、全体として、僕の講義のテーマは「新一代的身體裂解」だった...らしい(新世代の分裂する身体、みたいな)。講義前も、講義中も、講義後も、数日後にネットでこのページを見るまで、こんなタイトルとは知らなかったけど(笑)(っつうかリンクページで僕のメルアドが 思いっきり公開されてる。まあいいや)。でもどうやら黄教授のクラスでは最近「身体」がキーワードになってるようで、その点ではたしかに僕の作品は興味深い例かもしれない(って自分で言うな)。生徒のひとり(博士課程)で、知り合いのキュレーターでもある王品Huaさんも言ってたけど(Huaは左が馬で右が華)、僕の2004年くらいまでの作品はもろに身体パーツだし、その後の映像も、風船やゴルフボールが僕の身体の代替物としてふるまっているとも捉えられるし、実際NY以降の作品には僕自身の身体自体も映像に入ってきてるし。で、彼女が僕の作品について言ってた中で一番印象に残ってる言葉は、「想像性的身體」。というのも、中国語の発音では、これはしゃんしゃんしんだしゃんてぃーとなる。話を聞いてて、なんだかしきりにしゃんしゃんしゃんしゃん言ってるなあと思ってたんだけど、こういうことだった。っていう響きの問題はいいとしても、日本ではまだ見せれてないNY以降の作品で、映像の中で僕自身がテレポーテーションしたり、なんつうかトランスフォームしたり、ある物体をメタモルフォーゼさせる媒介物になったりするんだけど、そういうのは現実には無理で、映像の中でしか起き得ない非現実的な身体っていうか。彼女が「想像性的身體」に込めたのは、たぶんこんな感じの意味...だったような気がする。そんなこんなで、生徒さんや黄教授と、僕の作品やらTOEの作品やらについてあるいはその背景について(背景を語ることってどうなんだろうっていう疑問は常にあるのだけど、とりあえず)、日本と台湾の相似と差異について語りつつ、3時間(長!)は過ぎていった。とにかくみなさん楽しんでくれたようだし、満足だす。この機会をくれた&協力してくれた方々、ありがとうございました。さて、作品作らなきゃ...。
Mar 14, 2007
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昨日、Uchida Bldg Complex屋上で、その場にいた人たちからつばをもらって、フライパンで焼いた。若い女の子たちにはドン引きされたけど、自分のつばがほかの人のつばといっしょに焼かれ、水蒸気に変わって昇っていくのをみんなに見てもらえて、臭いを体験してもらえてよかった。試しに使った油の臭いが混ざっちゃったのは失敗だったし、集まったつばの量が少なかった(そりゃそうだ、突然吐けと言われても)のであまりブクブクせず、煙もあまりモクモクしなかったのは残念だったけれども。でもまあ、あの時間あの場所における必然だったわけで、それはそれでいいのだ。来てくれたみなさん、協力してくれたみなさん(特に企画者のおふたり)、ありがとうございましたー。all photos: Yusei Siow
Nov 26, 2006
BCCからの転載で失礼します:みなさんこんにちは、冬ですね、奥村雄樹です。NYから帰国して二ヶ月半、だいぶ東京にも慣れてきました。…が、また一月から台北で三ヶ月レジデンシーに参加することになってます。それに向けて、最近はとりあえず翻訳や文章の仕事などをしつつ充電しております。さて、今週木曜(すぐですね)からはじまるCET2006参加企画・近藤ヒデノリ×新野圭二郎キュレーション「vol. 0 シーンの予感」に参加しますので、ご案内します。展覧会全体についての詳細はこのメールの末尾を参照していただきたいのですが、とりあえず僕が何をやるかというと、次のふたつです。○イヴェント(というかパフォーマンスというか)「その場にいる人たちからつばを集めて、フライパンで焼く/水蒸気が空に昇っていくのを皆で眺める」場所:Uchida Bldg Complex屋上 www.uchida-bldg.org日時:11/25の「12時間ダイアローグ」の途中、四時くらいを予定★雨天中止の可能性あり参考:いぜんアメリカでやったときはこんな感じ○田中功起氏との対談「普遍について」場所:Uchida Bldg Complex www.uchida-bldg.org日時:11/26 17:00?(2時間くらい)作品あるいは作品を作るということに関して、たぶんかなり濃密な話ができると思います。みなさんとお会いできるのを(そしてつばをいただけるのを)楽しみにしてます。奥村雄樹ps: 約一ヶ月ほど前まで、迷惑メールの設定を厳しくしすぎていました。どうやら、知らずに削除していたもののなかに、みなさんからのメールも含まれていたようです。「メールしたのに無視されてる!」と思っている方がもしいらっしゃたら、ぜひ再送をお願いしますm(_ _)m。==========================================展覧会のご案内=CET06参加企画 近藤ヒデノリ(TOKYO SOURCE) × 新野圭二郎 共同キュレーション「Vol.0 シーンの予感」?フラットな世界以降の新しい美術の流 れ?2003年より始動し、今年で4回目となるCET(セントラルイース ト東京)(URL:www.centraleasttokyo.com)。今年もさらなる変貌を遂げて11月23日より開催されます。その1イベントとして、美術家/CMプランナーの近藤ヒデノリとアーティストの新野圭二郎が、様々な表現者たちを巻き込みながら、今回を第0弾として、身体感覚× 精神性×他者性(体感×反網膜的×他者性)をキーコンセプトとした、流動的に変わり続ける 11日間の展覧会をキュレーションします。会期中は平面、立体作品の展示を始め、音楽イベント、ライブペイン ティング、トークイベント、アクション、12時間リレートーク、飛び入りパ フォーマンス、またアーティスト×来場者のダイアローグなどなど、下記の企画の他にも会期中 に変化し、拡張を続ける動的な展覧会となる予定です。-------------------------------------------------------------------------------参加作家(予定):参加作家:在本彌生、内沼晋太郎、奥村雄樹、鈴木 ヒラク、 土屋貴哉、高田洋三、田中功起、n-mark、永戸鉄也、森田浩彰、森弘治、新 野圭二郎、近藤ヒデノリ、他多数空間構成 三宅祐介(Miyake Architects)制作運営 ウチダビルコンプレックス開催日時:2006.11.23(木)?12.3(日) ※会期中27日(月)休みOpening party: 11.23(木):19:00? at White House *森田浩彰パフォーマンス、新野圭二郎アクションなど多数Preclosing party:12.2(土):20:00? at White House *飛び入りパフォーマンス、ゲストライブなど多数入場料:500円11日間フリーパス:1000円開催場所:展示:White House (ホワイトハウス) 12?20時 中央区日本橋堀留町1-5-6 URL:www.centraleasttokyo.com東京メトロ日比谷線小伝馬町駅徒歩5分、東京メトロ日比谷線人形町駅 徒歩5分Bar & Event: Uchida Bldg Complex中央区日本橋大伝馬町15 - 3 Uchida Bldg. Complex 3F?5FTel & Fax : 03-3663-0518 URL: www.uchida-bldg.org都営新宿線馬喰横山駅A1出口徒歩2分、東京メトロ日比谷 線小伝馬町駅1番出口徒歩3分Barの営業時間:11/24(金), 28(火)?12/1(金)20:00?24:0011/25(土) 12:00?24:00 11/26 (日)15:00?24:00*期間中、様々なゲスト来場、企画等あります。詳しくは、Web(www.uchida-bldg.org)をご覧ください。Eventの詳細:11/25(土)12:00? at Uchida bldg complex 12時間フューチャーダイアローグ 「フラットな世界以降の美術の可能性について ?キュレーターと作家、異分野の表現者を交えた12時間窒息ロングトーク」他、n-mark「OPENMEETING」、在本彌生、ARIKOスライドショー、奥村雄樹イヴェント、「フィクションとしてのインタビュー・1」土屋貴哉×近藤ヒデノリ など11/26(日)at Uchida bldg complex 17:00? 対談「普遍について」田中功起×奥村雄樹(2時間くらい)「フィクションとしてのインタビュー・2」田中功起×近藤ヒデノリ 他-------------------------------------------------------------------------------以上、皆様のお越しをお待ちしております。お問い合わせ:Tel & Fax : 03-3663-0518 Uchida bldg complex 新野 Mail info@uchida-bldg.org
Nov 22, 2006
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なんだか告知ばかりで、僕の内面の動きを日記で伝えられなくて申し訳ないんだけど(誰も求めてないが)、今回は渋谷のアップリンクでの上映のお知らせ。このサイトでも見れる旧作「Transfer」と「Loophole」が上映されます。24日火曜の6時から/26日木曜7時半から、「Another World」というプログラムにて。企画は橋本誠氏。くわしくはこちらを。http://www.uplink.co.jp/factory/log/001455.php僕は26日に見に行きます。上映後、かんたんなアーティストトークみたいのもあるみたいです。= = = = = = = = =26日までの三日間はまたまた西の方に出張。出張大好きだけど、けっこうたいへんな仕事で、ちょっと気が重いっす。ここ最近はひたすら朝から晩までこのプロジェクトのために働いていたのだが、これが終われば、もうちょい生活に余裕ができると思う。できすぎても困るんだけど。ちなみに、前の日記で書いた、とある本を和訳する話は、諸事情あってポシャってもうた。うう。くわしくはまた書きますー
Oct 22, 2006
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日本時間の10月10日午前7時あたりから、アムステルダムをベースとするOnline Video Showcase「PARK 4DTV」で、僕の映像作品「Transfer」が24時間にわたって上映されます。http://www.park.nl/park_cms/public/index.php?thissection_id=1&PHPSESSID=493f020fb925d731184bf1133faef891フルスクリーンでも見れちゃいます。24時間限定なので、急ぐべし!!!!...って、ここならいつでも見れるけど。今回のPARK 4DTVでの上映は、本物より画質はだいぶ荒いし、いちおうダウンロードできないようになってるし、問題ないとは思うんだけど、「アーティスト」としてやっていく場合に、こういうオンライン上映ってどうなんだろとちょっと思ったりはする(そんなわけで、とりあえずYoutubeからは実験的作品以外は撤収したのだけども)。ネットでやるということが必然性を持つ構造の作品であれば意味もあるし、可能性もあると思うんだけど、この「Transfer」は、昨年9月の個展の会場で見せないと意味がない構造(最後のシーンが展示会場)だから、そういう意味でもちょっと疑問あり。でも核になる部分は映像単体でも伝わるだろうからいいか...ととりあえず軽く考えて、今回はOKしてみた。あと、関係ないけど、今日、数週間ぶりにプールで泳いだ。なんと自宅アパートから5分くらいのとこにあって、しかも体育の日ゆえに無料だった。気持ちよかった。朝起きたら確実に筋肉痛だろうけど。
Oct 9, 2006
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今週末、自宅アパートで展示します。映像と生身の僕、そして部屋全体を構成要素とするインスタレーション(になる予定)です。画像や情報はこちらをどうぞ。Yuki Okumura: Can't Get You Out Of My Head↑昨日まで泊まっていたsandman KKさんに写真を撮ってもらいました。作品や展示について、くわしくはまたあらためて書きます。うーん、うまくいくといいな...。mixiの方々へ:今回の作品(まだできてないけど)は、僕のmixiでの顔写真と深い関係があります。だからどうってことはないのだけど。
Aug 20, 2006
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僕の作品「Countdown in NYC」、前回オンライン公開時/グループ展で発表時はみっつ番号がみつかっていなかったのだけど、数日前についにすべて発見し、Complete Versionとして改めてアップ/DVD替えした。うーんやはり、前回の状態でのオンライン公開は見送って、この状態ではじめから見せて反応を聞きたかったな。こちら:http://www.youtube.com/watch?v=apYIKJBVuYEここで、この作品に関する僕の考えをちょっと書いてみる(自分の作品について語りすぎるアーティストっていやだよな、と最近思うのだけども、でも~~)。僕は人間の脳による世界の認識に興味をもっている。ここでは、たとえば「数字の連続を見ていると人間の切り替わりが見えない。人間の切り替わりを見ていると数字の連続が見えない。このふたつの異なる相を、人間の脳は同時に認知することができない」ということ。フォーカスの問題っすね。このことは、ようするに有名なこういう図像で起きていることと同じ。が、僕は、それを動いている映像において、次々と画面が切り替わるなかで、実現させたかったのだと思う。「いやいや、人間も数字も同時に見れるよ」と言うかもしれないけれど、実際のところ、たぶんあなたはこの映像を見るにあたって、ふたつの相の間をあたなも気づかないくらいの高スピードでシフトチェンジしている。人間と数字の、偶然と必然の、規則と不規則の、連続と切断の、有機と非有機の間を。また、ステートメントに書いているように、僕は「人間の脳によって認識されたところの世界」と「客観的/物理的な世界そのもの」とのギャップに興味をもっている。いいかえると、人工的な概念が僕たちの認識におよぼす影響(それは、僕の身体系作品、たとえば"Romance"において、それが陰毛であると知る前と知った後とでは、同じモノが別のモノのように見えてくる、ということと同じ)に関心がある。ここでは、僕らが数という概念を、そしてアラビア数字という記号を知っているからこそ、「カウントダウン」という意味が生じてくるということ。さらには、年越し時などの盛大なカウントダウンの盛り上がりを知っているからか、この作品においても、特に10を超えてから、0に近づくにつれて僕らの脳内にある種の高揚感が生成されるということ(みなさんどうすか?感じる?)。各数字/人間の切り替わりは一定(ひとり一秒)であるにも関わらず。こうした作用を生成するために、たとえばリズムを一定ではなくだんだんスピードアップさせるとか、0からはじめて99で終わらせるとか(99だとその先があるので、高揚感は生まれないだろう。高揚感は、0という果てに近づくこと、それによる「期待」というか「予感」というか、において生まれるんじゃないか)という選択肢は採らなかった。いぜんこのblogでちょっと盛り上がった(?)「偶然と余剰」について言うならば、僕はいぜん、僕が考えていることのひとつはいかに偶然を作品に取り込むかということだ、という意味のことを書いたけども、実際そのことは本作においてある程度成功していると思っている。が、その偶然を「余剰」として立ち上げるための努力をしているわけではない(僕にとってこの作品の核はあくまで上述のようなことなので)。けれども、一定のルールにのっとったうえで、見る人が自由にその視線を動かすとき、「余剰」が顔を出すこともあると思う。たとえば数字を忘れて人や風景だけを一定時間見るとき、とか。逆に言えば、その程度だな。あとあと、もうひとつ考えてたこと。僕は、基本的に、作品は観念的であってはならない、見る人の全身にバンッ!と到来するものでなければならないと思っている。観念的な作品とはつまり、過度に文脈に依存した作品。その作品を「理解」するにあたって、見る人が非普遍的な何らかの情報を「知っている」ことや、何らかの「思考」を経ることが必要とされるようなもの。たとえば波田陽区(最近テレビにでてるのかな?)についての作品があったとして、その作品の射程は彼について知っている人に限られてしまう。アフリカに住む人はそれを「理解」することはないだろう。僕が漢数字やアルファベットを使わなかったのは、世界に住むほとんどの人間がアラビア数字をすでに知っているから=誰もが「理解」できるから、なのだ。いや、この問題はそんなに単純ではないのだけど、とりあえず。ちなみに、突然だけど、帰国は9月9日あたりになりそう。
Jul 23, 2006
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いまLocation Oneで展示中の2つの映像作品を、Youtubeにアップしちゃった。ほんとはこういうのは展覧会が終わってからにしたいのだけど、日本のみなさんのほとんどは来れないだろうし、ちょっとオンラインで見せなければならない相手もいたので。"Supersonic"http://www.youtube.com/watch?v=QaXb4pSixPY"Countdown in NYC"http://www.youtube.com/watch?v=CAapAO7W_oY前者はいままでの風船作品やゴルフボール作品での試みを、僕自身を使ってやってみた感じ。僕自身が僕のアパートから展示会場まで、くしゃみを契機に瞬間移動を繰り返しながらやってくる。…ちょっといままでのに比べると無理があるかもしれないけど。なので本来は展示会場で体験してもらわなければ意味がないのだけど、とりあえず映像単体で公開してしまいます。後者は、映像単体の作品として。とはいえもちろんNYで見られるのがベストだけど。これは作るのがたいへんだったけど楽しかった。前者の撮影と編集のストレスを緩和してくれた。いまだにみっつ番号がみつかってないんだけど、探すべきか放置すべきか。。。いずれにせよ、どちらもNYを舞台にしてて、そうじゃなければこうはならなかった。ACCとしても僕をNYに送った成果がわかりやすく出てていいんじゃないかしら(なんのこっちゃ)。つーわけで、こんなんでました~。
Jun 6, 2006
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さてさて、お待ちかね(?)、Opening Reception中のつば焼きパフォーマンスのこと。おおそうとも、焼いてきたとも。場所は、なんていうか、バックヤードの孤立した部屋。ほんとは展覧会場のエントランスでやる予定だったんだけど、オープニングゆえ飲み物や食べ物が出されてるので、つばを焼いたときに生成される恐るべき臭いを考慮してこうなった。会場の片隅にその部屋へのドアが。夜八時過ぎ、パフォーマンス開始。観客は30人くらいか。みんな僕から距離をとってる(笑)。まあその場で補充する僕もどうかと思うが。さて、もともと僕が考えていたのは、僕のつばではなく、観客のみなさんからつばを集めてそれをフライパンに注ぎ、混ぜ合わせて焼くというものだった。でもマイミクのeizoさんに相談したところ、不特定多数の人々のつばにどんなウイルスが潜んでいるかわからないので衛生的に問題だということで、僕だけ、もしくはある程度信頼のおけるSpoolの/Trans-boundary Experiences展のスタッフのみなさんのつばを使うことにするっていう方向性に。…なってたはずなのだが、現場に行っちゃうとどうにも理性が緩んでしまい、ついついノリで、えと、やっちゃいました…。eizoさん、いろいろ相談にのってもらったのに、無駄にしちゃってすみません!!そして母よ、いただいた体を祖末にしてごめんなさい!…観客のみなさまにプラスチックの使い捨てコップを配り、そこにつばを入れてくれとお願い。それを僕のもとに持って来てもらった。さ、火をつけて、と…ためていた僕のつばをフライパンに注ぎ(左で撮影してるのは岩本さんのhusband・ ステファン氏)、その後観客のみなさんのつばを一杯ずつ注いでいった。ウイルスが僕の体内に入る危険性を可能な限り減らすために、できるだけしぶきがあがらないように。まぜまぜ、まぜまぜ。ここらで岩本さんが「どうぞご遠慮なく近づいてようすを見てみてください」と声をかけるが、ほぼ全員引いている。でも昨日の日記にも書いたこの男の子は鼻をつまみながら見に来てくれる。僕のつばがこんなことになってるよパパ!もくもく、もくもく。奥村の眼鏡も曇る。ぶくぶく、ぶくぶく。A:くさいッ!くさいわッ!B:でも彼、なかなかイカさない?とかなんとか。ここで僕は余計な一言を発した(これが凹んでた原因)。…ひたすらぶくぶくもくもく言ってるだけで動きが無くて、臭いし、観客のみなさんの時間をとっちゃって悪いなあ、と思って、なんだか少し不安になってきて、「黒こげに焼けるまであと10分程 かかります」と宣言してもうた。ついついいつも、大事なところで自分を卑下しちゃうんだよなあ。いま思えばもっと自信を持って、「もうちょい時間はかかるけど、おそ らくみなさんの人生においてこれを 見る機会は二度とないです! もう少しお待ちを!」と言うべきだった…。というかそもそも僕は声を発さずに岩本さんにしゃべってもらうつもりだったのに、ついつい口が。うう。などと激しく後悔するのはなぜかというと、この宣言をしたところ、みなさんさーーーーーーっと部屋を出始め、一分後には誰もいなくなってしまったのだ!!岩本さんやステファン、Spoolスタッフのアンディやザックは残ってくれたのだが。僕は「やべえやってもうた!」となったのだけど、彼らは「みんな帰るなんて凄い!これもまたInteresting!」とゲラゲラ笑ってる。それで救われたし、あとからビデオを見てみると確かにこれはこれで面白い。で、ひとり寂しく焼き終わり。…みんな10分たったら戻って来るという淡い希望も抱いていたのだけど、案の定みなさんそんなことは忘れて会話に夢中だったのか、ほとんど帰還せず。とはいえ4~5人は戻って来てくれたし、彼らと個人的に会話できたのはよかった。みんな嬉しそうだったし。特に印象的なのはやっぱこの子ね。ぼ、僕のつばがこんなことになってるう。え、え、え、、、、えーーーんこわいよ~~!!(←脚色)というわけで、「いまなら結果が見れます」という張り紙と共にフライパンを放置して、僕はふたたびオープニングに戻ったのだった。あとからSpoolのスタッフの女性に、「僕のパフォーマンス見た?」と聞いたら、「ここ(エントランス)で働いてたので見てないよ。でも"経験した"わ」と言われた。最初はよく意味がわからなかったのだけど、あとから聞いた話だと、やっぱりバックヤードから臭いがお酒や食事のあるエントランスに届いてしまい、かなりキツかったとか。でもみんな優しくて、誰も文句を言わなかったのだ。うう、ありがとうーすみませんー。まーとにかく、この夜の体験が、観客のみなさんそれぞれにとって忘れ難い思い出になっていますように。おしまい。教訓:ここはアメリカなんだし、もうちょい自己主張しましょう。
Apr 14, 2006
さて、こちらNYは一度春になりかけて、ブロンドガールズが半袖ミニスカで街に繰り出したかと思ったら、またもや冬に逆戻り。まじで寒い。で、いまさらではあるのだけれども、大阪のstudio Jでやった個展(もう二ヶ月前になる)に出した映像「Loophole」のストリーミングを開始しました。=> こちらこないだ北京でやったスクリーニング「万物理論」のページの一部っす。アップしてくれた山+小さんありがたう。ただ、このページの映像、いろいろな人から「見れない」という声もけっこう聞く。よくわからないけど、QuicktimeのPlug-inの問題か、特にWindowsでは見れない人が多いっぽい(関係ないけど、ここ米国では、そして中国でも、Windowsのパソコンを「PC」、マックのパソコンを「Mac」と呼ぶ。僕らの感覚ではMacもPCの一種なのにね)。ので、疑似体験用に、いちおう静止画も。=>こちら右上のふたつの画像のうち右側をつぎつぎにクリックしていくと、順番に見れます。あと、展示風景も念のため。=>こちらそれと、文章の仕事の近況としては、LOAPSで連載してる「現代美術の柱」。ひそやかに少しずつ更新しとります。=>こちら- - - - - - - - - -さっきまで野球を見てた。いやー勝ったねえ。それにしても、WBCでの米国の敗退は、審判の故意の誤審(と書いちゃってもいいっしょ)も含めて、どこか、ここ数年の米国の戦争における「敗北」と重なる気がする(たとえ勝ち進んでいても同じだけど)。自国の利益を、そして大会社の金儲けを最大限に優先しようという歪んだ動機に駆動された催しは、結局自らの弱さを全世界に知らしめる結果に終わるっていうか(とはいえすべての場合においてそうであるわけでは ないだろうけど。もし常にそうだとすればある意味 希望なのかもしんないけれども)。もちろんこれは米国に限らないし、戦争や野球に限らない。そして、何かをやろうとするときに、誰もがこうしたイビツさから完全に逃れることはできない。ので、最低限、可能な限りフェアであろうとする態度が、そして自分が清廉潔白ではありえないとう自覚が大事だと思う。自戒を込めて、なんかこんなことを考えちった。僕もまた、イビツさのツケを払ったこともあるし、いまも、のちのち響いてくるであろうイビツさを少しは抱えながら生きてる気もするわけで。
Mar 19, 2006
先日土曜、無事に大阪の個展はオープンしました。レセプションに来ていただいたみなさま、ありがとうございましたm(_ _)m。僕としては納得のいく展覧会になったと思います。あとは来週の土曜までの会期中にできるだけ多くの人々に見ていただいて、何かしらの反応がいただけることを願っております。で、ほんとはもっといろいろ書きたいんだけど、やることがありすぎてなかなか書けないので、いま大阪で展示している映像に関して僕が11月に書いた日記(mixiのみで公開したもの)をここに再録しちゃいます。微妙にネタバレもあるので、大阪の個展にいらっしゃる予定の方は読まないほうがいいかも。ちなみに、この事件の後、大阪で無事別の車で撮影に成功しました。ひとんちのガレージの中に侵入して撮ったんだけどね。。。まーとにかく、ひとまず。==============================「サバイバー」 2005年11月14日1月に大阪で個展があるんだけど、いちおうそれを目指して、いまつくってる映像がある。口で言うとかなりショボいんだけど、ゴルフボールと穴をモチーフにした作品で、ゴルフ場でカップに入ったボールが、時空を越えていろんな場所を通り過ぎ、ぜんぜん関係ない穴から飛び出て来る感じ(あー、言っちゃった)。たとえば家の外壁を伝ってる、雨水を逃がすための排水口の口から出て来たり、鉄パイプの空洞から出て来たり、樹に開いた穴から出て来たり、車の排気口から出て来たりする。で、今日は、家から芸大目指して歩き、所々でこの作品のためのいろいろなカットを撮影していった(注:この構想は後に若干マイナーチェンジ。いま展示してる映像はこの説明とはちょっと違います。もっと良いです。奥村 2006/1/18)。で、芸大に到着。美術棟で少し撮影したあと、音楽棟へ(そこできよしさんとすれ違う)。いま工事してる赤レンガの裏のほうを歩いてると、ちょうどあまり人がいないところ(人がいるところで撮影するのは恥ずかしいから嫌い。って自意識過剰だが)に車(ジェミニ)が駐車してあった。上で書いたように、「車の排気口からゴルフボールが出て来るところ」を撮影しようと思った僕。 で、ポケットからゴルフボールをとりだし、排気口に入れてみた。なにも考えず、すぽーんと。 ...って、出てこねーよ!!!!! その排気口は水平ではなく、奥に向かって下がっていたのだ(って普通かな?)。ボールを入れる前にじっくり上下左右から見ればわかることなのだが、せっかちな僕はふつうにすぽーんと。これがちょうどよく排気口の大きさにフィットしてまして、するーっとはまりこんだのです。 指を入れてみたがぜんぜんボールに触れられない。穴を覗き込んでも暗くてわからない。ボールはだいぶ先に、しかも斜め下に下がった部分にはまりこんでいるようだ。 時間は4時。この持ち主は生徒か先生か職員か知らないが、おそらく5時前後には出車するはずだ。もしこのまま放っておけば、きっとボールがはまっているせいで排気ガスが外に出られず、内部にたまり、急速に圧力が高まり、やがては爆発するのでわーーー!!???もし僕がこのままトンズラこけば、何も知らない運転手さんは車を走らせ、「うーんどうも後ろのほうが唸ってるなあ」とか言いながら、途中でいきなり爆発し、運転手さんは助かるものの後続車の人は爆発に巻きこまれて死亡!もしくは大やけど!そしてニュースに「ゴルフボールが原因で車爆発」!そして模倣犯が大発生!!!やがて、ゴルフボールを使った作品を作っている元芸大生が割り出され、逮捕。彼はNYに行く予定だったがもちろんそれもポシャる。元担当教授は責任を痛感し辞職。犯人は美術作家としての未来を断たれる。 …と、ここまで僕の妄想は膨らみました(元来考えすぎる性格であります)。 とりあえずその場にある枝や棒でボールを出そうと試みるも、ぜんぜんだめ。もちろんトンズラしようという悪魔のささやきは聞こえたさ。もう少しでそっちに行きそうになったさ。 が、とりあえずやれることはやろうと思い(といってもこの時点で、最悪の場合トンズラすることももちろん可能性に入っている)、家に速攻で戻って秘密兵器を持って来た。こないだの風船作品「トランスファー」の撮影当初、風船をどうやって割ろうかなと考えてるとき、候補としてダーツの矢(←実際使ったのはこれ)ともうひとつ、透明なアクリルの棒の先に透明な画鋲を接着剤で取り付けたものがあった。ヤリみたいなもんやね。それがまだ残ってたので、これを排気口に突っ込んでボールに突き刺し、そのまま取り出すことを考えたのだ。 (よくよく考えたら、僕が家に戻ってる間にこの車が発車する可能性もあったのだが。もしそうなってたらどうなってたか...) さっそく排気口に突っ込み、ボールの感触を確認。ブスリと刺さった感触もアリ。が、いかんせん画鋲がヤワすぎる。何度取り出そうとしても途中で抜けてしまう。くそう。おりゃー!! って、あ、画鋲がアクリル棒の先端から取れちゃった!ってか画鋲まで排気口の奥に入っちゃった!棒だけ出て来た。 あは。 かなり高鳴る心臓。僕はこのまま犯罪者になるのか?正直に告白して賠償するのか?いずれにせよ「人の車に勝手になにやってんだ」ってことになるよねもちろん。「奥村ばかじゃない?」と言うカ○グチさんの顔が、「すべて終わりだ」と語るACCのジ○ージさんの顔が浮かぶ。僕は前科者になるのだろうか。それともゴルフボールひとつで人を殺し、そのまま何十年も雲隠れして生きていくのだろうか。 いや、とりあえずやれるだけのことはやろう。もっと頑丈な針状の物体が必要だ。キリを買おう!美術棟に走り込み、画材屋と生協を物色するも、使えそうな長めのキリがない。しかたなく生協でドライバーセットを買い、その中の短いキリを使うことにする。このキリを棒にくくりつけるために針金とガムテも購入。生協のおばちゃんの「袋に入れますか?」という普通の言葉が胸にささる。おばちゃん、僕は本当は凶悪な犯罪者なんだよ。こうして普通を装ってるけど、まるで「制作に使います」ってな顔をしてるけど、自分の犯罪をもみ消すために買ってるんだよ。許してくれ、おばちゃん…。 などと物語に入り込んだ思考を展開しつつ、音楽棟にリターン。遠くから見ると、一瞬あの車が無くなってるように見えた。うそ?…いやいや、よくよく見るとまだ車はある。よし。残された時間は少ないぞ。タイムリミットまであと15分。チク、タク、チク、タク。 さきほどのアクリル棒はいらついてどこかに投げてしまい(おい)、行方不明になったので、使えそうな枝を拾う。そしてキリを先端に装着。ガムテでぐるぐるに。と、僕が座ってた段差の後ろのドアがギィッと開いた。 なんか先生っぽいおじさん出て来たーー!! しかも例の車に向かう。まじか?奥村、ついに告白するのか? …って、車の横を通り過ぎて行った。ふう、間一髪。あのおじさん、まさかこの車の排気口にゴルフボールが信じられないくらい綺麗にはまりこんでるとは思いもよらなかろう。 よし、機は熟した。これが最後のチャンスだ。奥村雄樹、一世一代の決戦じゃあ。 排気口に突っ込み、ぶすぶすしてみる。まっすぐ刺しても感触はないが、少し下に角度をつけるとゴルフボールの堅めのゴムのような感触が。なかなかうまいこと刺せないが、何度かやってみる。お、刺さった!よし、棒を手前にひっぱろう。コロコロコロ…、途中までボールが来た!お、姿が見えた! が、棒を引き抜いた瞬間、ふたたびボールは中へ転がり落ちた。でも画鋲だけはその拍子に飛び出して来た。 何はともあれ、この道具を使って取り出すことが不可能ではないことだけは確認。このことに僕は勇気と希望をもらう。その後10分ほど格闘。そして、お、かいしんの一撃!ぶすりと刺さった。そこからゆっくり棒を引っ張りだす。ただ水平にやってもだめだ。途中でボールがひっかかって落ちてしまうだろう。少しななめ上に方向をつけながら、ゆっくりゆっくり取り出すのだ。 きた、きた、きた...まだはずれてない...その調子だ。 コロコロ~~ン!!! 出たーーーーーーーー。 出たよ。おいらやったよ。おいら、悪魔の道の一歩手前でふんばったよ。おいら人間の側に踏みとどまったよ。人間だよ! アイ・メイド・イット!!!! 黒いすすにまみれて汚れたゴルフボールを高々と投げ、遠くにどすんと落ちるのを見届け、僕を救ってくれた即席ヤリを地面にぐさりと突き刺し、僕は勝利の雄叫びをあげたのだった。「やったぜコンチクショーーーー!!」 体にまとわりついたいやな汗が風に吹かれて冷えていくのを感じながら、僕は自転車を走らせた。あのジェミニの持ち主は、こんな激動の事態が自分の車に起きていたことを知る由もないだろう。きっとあと少ししたらいつもどおりエンジンをかけて、カーナビのスイッチを入れ、好きな音楽を聞きながら、家路に向かうのだろう。彼/彼女は一生この事件を知ることはないのだ。 これが、僕が人間界から半歩抜け出し、悪魔の世界に誘惑され、その風景を垣間見ながらも、サバイバル技術とあきらめない心(笑)、そして持ち主にバレたくないというセコくて情けない根性を駆使し、ついに帰還した全顛末だ。ボールが入ってから出てくるまで約1時間。しかしそれは、僕にとっては2時間にも3時間にも感じられた。頑張ったご褒美として上野のマックで照り焼きマックバーガーセットを買い(って子供かよ)、ひさびさにコーラを飲みながら、しみじみと人生について考えを巡らせた。 そう、ライフ・ゴーズ・オン。 あー憑かれた。ってか疲れた。 (了)
Jan 18, 2006
奥村の新作映像作品「ビィ・ヒア・ナウ」の上映が、昨日栃木県立美術館集会室で催されました(くわしくはこちら)。遠いところ足を運んでいただいたみなさま、そしてまた、この件でお世話になったみなさま、ほんとーーにありがとうございました。 m(__)m音にちょっぴりノイズ(?)が入ってしまってたり(ときどきわずかにピキピキ… ピキピキ… という変な 音((友達いわく「鳩でもいるの?」的な))が入ってた。 音をつけてくれた施井くん+アボくんごめんなさい! もしまた東京で上映することがあれば修正します)、展示空間とスクリーンとのバランスをもう少し洗練させるべきだったかと思ったりはするものの、総じて満足のいく上映でした。くわしくは下記のリンク(flickr)に飛んでいただき、画像下についている説明文をお読みになったうえ、右上の「next」を次々とクリックしてくださいませー。http://www.flickr.com/photos/26898303@N00/60060477/見に来てくれたマイミクのさんどまん撮影による写真を中心に、昨日のようすがだいたいわかるようになってます。ちなみに、さんどまんさん自身についてちょっと紹介しちゃうと、彼もflicrで写真を発表してます。http://www.flickr.com/photos/sandman_kk/また、夜の都市の情景を中心としたフォトブログ「night box」もやってます。http://sandman.air-nifty.com/night_box/最近ぼくは映像だけでなく写真にも少し興味を持っています。ってのも、どちらも何を撮影しても「映像になってしまう」し「写真になってしまう」からであり(それは自由であると同時に呪縛でもあると思う)、作者の自意識の統御範囲外のものが確実に入って来るからです。そういう意味でも、さんどまんさんの写真をいつも興味深く見ておるわけです。…と、今回は妙にかしこまった投稿でした。「ビィ・ヒア・ナウ」、そのうち東京でも、そして他の所でも上映してやるう。
Nov 6, 2005
毎度ながらいろんな方にBCCで送ったメールの加筆転載でっす。= = = = = = = = = = = = = = == = みなさまこんにちは。たびたび失礼しております、奥村です。今日まで開催されていた個展にお越しいただいたみなさま、ありがとうございました。今回は、下記の展示のお知らせです。○新作「ビィ・ヒア・ナウ」1日限定上映栃木県立美術館集会室にて、11/5(土)の朝10時から夕方5時まで、新作映像を上映します。6人の作家の映像作品を個展形式で紹介するプログラム「Picture in Motion-De Luxe」の一環です。くわしくは=>こちら会場へのアクセスは=>こちらこの作品は、人気アニメ「ドラえもん」においてタイムマシンが通る「超空間」の映像(ダリのようなぐにゃりとした時計が万華 鏡的な世界で波打っているあれですね)が延々と続いていくもので、映画館級の大きなスクリーンに投影されます。映画「ドラえもん のび太のワンニャン時空伝」で実際に使われたCGをシンエイ動画さまのご好意によりお借りすることができまして、それをひたすらループさせました(最近の映画で使われたCGゆえ、 僕らが昔から馴染んできたセル画の「超空間」とは 残念ながら少し趣きが違います)。ドラえもんやのび太、そしてタイムマシンは登場しません。見る人を飲み込もうとするがごとくひたすら消失点から流れ迫って来る巨大な映像の前に立つ鑑賞者のみなさまが、彼らの代わりに時空を旅することになるのかも(?)。未来にも過去にも到達することはありませんが。また、栃木県立美術館のメインスペースでは、◎ゲオルグ・バゼリッツ展◎ヨーゼフ・ボイスと愉快な仲間たち展が開催されています(もちろん11/5も)。こちらも必見です。…気づけば毎度ながら長文、すみません。多くの方にとってはかなり遠い場所だと思うので、アピールするためにいつもより3割増で語ってみました。1日だけのチャンスですので、ぜひぜひ。。。えーと、特にお子様におすすめでございます。あ、なお、奥村は終日会場にいると思われます。ではでは失礼しますー。= = = = = = = = = = = = こんなメールを送りました。以下、戯言加筆。とつぜんだけども、映像における時間と空間って、◎形式的には常に「今」「ここ」※今=それが上映されている時間※ここ=上映場所/スクリーンやモニターそのものなんだけれど、◎内容的には「いつ」でも「どこ」でもありえる※過去のシーンがとつぜん挿入されたり、 東京のカットの次にいきなり大阪のカットが きたりしても、全てリニアなつながりの中で 「真実」として振る舞う。よね。これって実はかなりヘンなこと(僕が「トランスファー」を作ったのは こうした関心があってのことです)。つまり、何が言いたいかというと、このドラえもん作品のタイトルが「Be Here Now」なのは、もちろんオアシスの大失敗アルバムのもじりでもあるけれど、映像が背負う「いま・ここ」(恥ずかしいフレーズだが)への言及でもあるんす。
Oct 29, 2005
僕のこれまでの作品について、 僕なりに概観してみる。 なお、ここで書かれることは、制作する前の段階で既にあったのではない。あくまでも制作された作品を省みながら(あるいは制作のプロセスにおいて)、 仮説的に構築されたロジックだ。 だから、こうしたフレーム設定においては常にそうであるように、ここから抜け落ちた要素も多くあるはずで、たとえば数年後ふたたびフレーミングするとき、そうした要素が加わったりいま含まれている要素が省かれたりすることで、また新たなロジックが立ち現れるだろう。まあ、いずれにせよ。…日々の生活を通じて僕が強い関心を抱き、作品制作・発表を通じてアプローチしてきたのは、たぶん一言で言えば、「この世界(宇宙)とは何か」という、あまりに基本的で単純で根本的でコテコテな命題だ(僕が物理学系/生物学系の本ばかり読むということからも 察してもらえるかも知れない)。ところで、ある対象が何であるかを探るとき、そしてそれを別のもの(たとえば言葉)に変換しようとするとき(別のものによって表現しようとするとき)、僕たちはその対象を要素に分割しなければならない。たとえばラーメン一杯の全体の味についてただ漠然と描写するだけでは不十分で、麺、スープ、チャーシュー、メンマ、味付玉子などの要素ひとつひとつについて語り、次いでそのそれぞれの間の関係性を描写することではじめて、その美味しさは人に伝わる。では、「世界(宇宙)」とはどんな要素に分解できるのか。おそらく答えはこうなるだろう。世界(宇宙) = 物質(物体)+空間+時間つまり、作品制作・発表を通じて「世界(宇宙)とは何か」を扱うのだとすれば、まず僕は「物質(物体)」について、「空間」について、そして「時間」について作品を作らなければならない(ならなかった)のではないだろうか。99年頃から2004年初頭にかけて僕が制作していた作品は、ほぼすべて僕や他の人々の身体のパーツを使ったものだった。これは、今思えば、僕らが人間の身体に付与する、ほかの物体に付与するそれとはまったく別の滑稽なほど特権的な概念を利用することで、「物質(物体)」とは何かを探る試みだったのだろう。物理学的に見れば、身体であれ石やガラスであれ、分子の集合体という点で変わりはない。もちろん複雑さの度合いは違うし、生命と非生命の差は歴然としてあるのだとしても、だ(生命/非生命の境界線上には曖昧な存在もいるが)。けれども僕らは人間の身体にその人の「心」が宿っていると考えるから、それを単なる物体として扱うことができないのだ。たとえば<雫>(1999~2003)。画像:コチラ(リンク先右上のnextをクリックして合計3枚ご覧ください)この作品において、僕は様々な人から爪をもらい、その爪を貼り合わせて、ひとりにつきひとつの球体を作った。製作中、僕はまるでその爪の持ち主の体を遠隔的にまさぐっているかのような奇妙な感覚を持った。そして、そうした「身体性」をかき消していくように、まるでプラスチックのような球体を紡いだのだ。完成し、展示されたそれらを見る人は、それらが爪で出来ているとは気づかない。「この綺麗な宝石のようなものは何?」と思うのだ。けれど、会場に提示されたテキストによってそれが爪だとわかった瞬間、彼らの感覚は一変する。「えっ…気持悪い」と。その時、かき消したはずの「身体性」はふたたび降臨する。非身体的な美しさを湛えた、しかし実際は身体のパーツで作られたオブジェを通じて、僕たちがこの世界をいかに認識しているか、その人工性・観念性の滑稽さをあぶり出すのである。他にも、僕のつばをペットボトルに溜めてフライパンで焼き、蒸発する水分を通じて僕たちの身体が単なる物質に過ぎないことを見せつけると同時に、わずかに残って黒こげになった有機物に「私」の痕跡というロマンティシズムを見出す2点の作品:<A Day in the Life of Spitting>(2000)画像:コチラ(リンク先右上のnextをクリックして合計10枚ご覧ください)<骸>(2000)画像:コチラ (リンク先右上のnextをクリックして合計3枚ご覧ください)また、僕のつばを製氷皿に入れて凍らせ、できあがった「氷」をコップに浮かべて、ゆっくりと水に溶けていくようすを連続写真で記録した<Innocent Invader>(2002)画像:コチラ(リンク先右上のnextをクリックして合計5枚ご覧ください)や、僕の陰毛約5000本の一本一本に透明のガラスビーズを通してテーブルの上に敷きつめた<Romance>(2001-2004)画像:コチラ(リンク先右上のnextをクリックして合計4枚ご覧ください)そして、僕の唇の皮をストローのまわりに貼付け、間接キッス用のツールとして活用した<Imperfect Love Song>(2002-2004)画像:コチラ(リンク先右上のnextをクリックして合計2枚ご覧ください)…などを制作・発表した。むろんこれらは、人間が「物質(物体)」を認識するメカニズムを、「身体」という人間にとっての「非物質(非物体)」あるいは「半物質(半物体)」を通じてあぶり出し、批評する試みであって、「物質(物体)」とは何かという問題に関して正面突破で挑んだものではないかもしれない。とはいえ僕は物理学者ではない。僕はこの世界(宇宙)のメカニズムを、客観的に解明しようとしているわけではない(最新の物理学的知見に強い関心を抱いているけど)。僕が現前させようとしているのは、この世界(宇宙)の奇妙さ・滑稽さ・不気味さ・ありえなさであり、それは結局僕という人間を通じてあなたという人間に伝えられるものでしかありえない。したがって、僕の作品は(というか美術作品一般は)、ある種の人間主義をその根底に持っていると言うことができるかもしれない(それは、作者の魂やら内面やらが作品に具現化されるという神秘主義とは相容れないレベルの話だ)。僕は人間であり、あなたも人間なのだ。たぶん。
Oct 3, 2005