今も続く耳鳴りに思ふ
ひさびさの更新。最近はまたまたやることありすぎててんてこ舞い。ていうかどれもこれも中途半端でどうにもこうにも。そんな中でもいちばん頭が痛いのが、BankARTスクールでのレクチャーのこと。福住廉さん&土屋誠一さんとともに、「アートを書く/書かれたアートを読む」と題して、ワークショップのようなレクチャーのようなそんな講座。僕が担当するのは全8回のうち2回だけなんだけど、いったい何をしようかいまだにフィックスできてない。他の二人とは違い、僕だけ自分で作品も作ってるので、参加している方々に僕の作品を見せて+「取材」してもらって、何か書いてもらおうかと思ったけど(おいおい自己顕示かい)、九月の個展のためにいま作ってる映像が全然うまくいかないし。はー、sigh。まーでもフィックスできてないだけでいろいろネタはあるので(と、とりあえず強がってみるぜ)、8/29(僕が担当する初回)までにはなんとかしたい。こないだも一度見に行ったんだけど、今日もまた参考までに福住さんのレクチャーを聴講しに行こうかな。ちなみに、ひやかしがてら見に行ってやろうかと思ってる(?)みなさま、この講座はすでに応募を締め切ってますから!残念!!!…いまさら侍かよ、寒いよう。そんなことはまあおいといて、今日、サマソニに行ってきました。大阪と東京と二会場あるんだけど、東京っつってもじっさいは千葉なんですが。東京DLやら東京国際空港(成田)やら、千葉を東京と称するのはもはや常套手段だなあ。こないだの日記に書いた「SET CHANGE巡り」は、もちろん実行してまそん。でも、そういえば、マイクテストなのに異様に熱唱してるスタッフ(だと思う)がいたな。あれはなんだったんだろ。僕が見たのは、Little Barrie Death Cab For Cutie Asia Kung-fu Generation (3曲くらい)Citizen CopeTeenage FanclubThe La'sなのだが、なんと言っても最後のふたつが良かったッス。Teenageは、高校のときにちょこっと聞いて以来ほとんど聞いてなかったので楽しめるか不安だったけど、いやいや記憶の底からいろいろ蘇ってきましたわ。知らない曲ももちろん素晴らしいし。演奏はゴリゴリにロッキンしてて、ふつうだとちょっと僕には苦手な系統かもしれないし、メロディーはけっこう単純。でもそこに、オッサン3人による甘くせつなく美しいコーラスが乗ればあら不思議。最高の音楽になるわけですわ。そして、The La's。ぬおお、リー・メイバースのダミ声をついに生で聞く日が。10年経ってるので、声が変わってたり衰えてたりするかとちと不安だったけれど、見事に一掃してくれた。CDそのままの、あのダミダミでした。で、そこに、ジョン・パワー(元CAST)の、不思議ちゃんパッパラッパボイスのコーラスが被されば、もう何も言うことありません。演奏も完璧。んーでもひとつだけ納得いかない点が。サマソニは(そしてこういったフェスはなんでも)、同じステージで次から次といろんなバンドが演奏するので(ステージ自体はいくつかあるが)、基本的にふつうのライブではお約束のアンコールがない。のだが、The La'sはSonic Stageのトリだったため、どうやらアンコールがありそうな感じだった。もしなければ、演奏が終わってバンドのメンバーがひっこむと、ライブ用の照明ではなく普段の照明がつき、BGMが流れ、「終わりました、さあ非日常から日常へ。さあ家路へ」的な雰囲気が醸成されるはずだが、演奏後10分くらい暗いままだったので、ライブにおけるお約束で言えば、どう考えても「アンコールあり」の状況だったのだ。だからみんな手拍子で彼らが戻って来るのを待っていた。ほとんど彼らの手持ちの曲は演ってしまったし、さてこれから何をやるんだろう?と僕もワクワクしながら、棒になった足で立ちつつ、手を鳴らしていたのだ。で、うっすら照明がついた。オーディエンスはもちろん「ウォォ~~」状態。なのに、なんとそこでBGMがスタート!!照明もさらに明るく!…この10分は何だったんだ??アンコールないんだったらさっさと電気つけてBGM流しとけよ。なんなんだよー。まあたぶん何か事情はあるんだろうけどさ。だが待てよ。これはもしや、演奏者と観客との間のお約束を無効化するための戦略的方策なのではあるまいか?いまや形骸化している「アンコール」という制度。前述したように、追加演奏があるかないかは状況ですぐ判別できる。そこで「ない」とわかれば、誰も手拍子したり足を踏みならしたりという無駄な行為をすることなく、そそくさと家路につくのである。だが「アンコール」とはそもそも、観客の自発的な思いの自然な発露であったはずだ。「もっと聞きたい!」「お願い聞かせてくれ!」と。そこには、演奏者と観客との馴れ合いはない。観客の思いと、その表現としての手拍子/かけ声という行為。それが受け止められるかは誰にもわからない。そう、それは、真剣勝負の純粋なコミュニケーションなのだ。もはや失われたこのリアリティを、The La'sは、意図的にこのような状況を作り出し、そしてあえて演奏しないことで、僕たちの脳裏に刻み付けようとしたのである。…んなこたぁない。と、タモリ風に締めてみましたが、でもほんと、あれって何だったんだろ。