ランスとアンカーと私。(1)1996年10月 僕は慢性骨髄性白血病の告知を受けどん底の状態で 希望を失いかけていた。ちょうど同じ 96年10月 プロの自転車選手 ランス・アームストロングも 睾丸ガン告知を受け、絶望の淵にいた。 その時の僕と自転車の関係は、まったく接点がなく 何も 知る良しもなかった。 ランスは過酷な治療を受け、選手生命も危ぶまれたそんな状況 の中 奇跡的に這い上がり 1999年、世界一過酷な自転車レース ツールドフランスで 最初の勝利を収め、真の復帰をとげた。 また同じ頃、僕も99年最後の望みとして、バンクからの骨髄移植 を受け、またそこから這い上がり、ランスのツール勝利同様に 復活の足がかりの年となった。 そんな99年後半から何のめぐり合わせか、ランスとかつて同じチーム で走ったこともあると言う日本の自転車選手(ブリヂストンアンカー)が 頻繁に店に訪れてくれるようになります。 アンカーチームも、「日本人だけでツールドフランスを走る!」 と言う目標を掲げ、ヨーロッパを拠点として活動をスタートした 頃でもあります。 日本のトッププロとの出会い! そして、世界のトッププロの復活劇=その結びつき ただたんに偶然の一致ですが、今考えると運命を感じます。 そんな彼らに 勇気と希望と元気をもらい「自分でも自転車で さっそうと走ってみたい!」そんな思いも日々膨らみ、時も経った 2年のちにロードバイクを購入、もちろんアンカーバイク! 念願の自転車ライフを楽しむべく 格好も決めて準備万端! のはずだったが・・・ いざ漕ぎ出してみると、 移植で弱くなった体 肺機能低下 免疫抑制剤服用では さっそうと走れるはずもなく 自信喪失、挫折感を味わいました。 あぁ、、こんなはずではなかったのに。(ノ(エ);) ジャンル別一覧
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