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想い出記念
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日常の出来事や新聞、テレビ等を見ていて、「?」と思ったことを偏見(?)を交えて書いていいます。 滅多に行けない「硫黄島」  体験談を紹介します。  気になること。質問ある方。待っていま~す。

想い出記念の日記 [全286件]

2007年11月7日楽天プロフィール Add to Google XML

ありがとう! さようなら!  (130)
[ 硫黄島 体験記 ]  

中央に住んでいる方には理解不能かと思いますが、当地ではYahooの光サービスが未だにありません。

Bフレッツが先月中の申し込みであれば工事代金が0円ということもあり、プロバイダーを含めて変更することとなりました。

将来的に光が必要になったときに工事代金約4万円を惜しんだ為です。

11月6日に工事(天井配線等で大変)が終了し、先ほどヤフーの解約手続きを完了しました。

ヤフーの光があれば継続できたのに・・・・!

硫黄島ー体験記もあと30~40回位続けたかったのですが、又の機会にします。

今まで「想い出記念」にご来訪頂いた皆さんにお礼申し上げます。

ありがとうございました。

さようなら・・・・!




最終更新日時 2007年11月7日 18時46分24秒
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2007年11月4日

硫黄島 体験記102
[ 硫黄島 体験記 ]  

                                 (硫54 独歩11-3中隊群)

昨日から今朝まで13時間も寝た結果、咳は治まり、快方に向かっている。

たまにひく風邪はインパクトが強すぎる。

こうなってはじめて健康体の有り難さを知るのだが・・・・・!



今日の写真は

(正)独歩311-3中隊群「独立歩兵第311大隊大3中隊群(斜め右燃料タンク東側一帯)」です。

 第3中隊長 内海 義行 中尉

  独歩311大隊で記述予定

(左)独歩311-2中隊壕「独立歩兵第311大隊2中隊壕(この奥200米一帯)」
   
 第2中隊長 岩本 勝 中尉

(左)独歩311-1中隊壕「独立歩兵第311大隊1中隊壕(ここより西100米一帯)」

 第1中隊長 金沢 実 中尉


(右)特設43機関砲隊陣地「特設第43機関砲隊陣地(この奥250米)」

海軍警備隊に配属、大阪山海軍砲台の直援機関砲台として艦載機の急襲に備え、敢闘した。

米軍上陸前より艦砲の攻撃を受けて殆ど陣地が破壊され、2月22日頃には残存者十数名となり、歩兵第145聯隊第1大隊(原少佐)の指揮下で斬込隊として敢闘したが3月5日頃までに玉砕した。

 指揮官 田村 雄蔵 中尉
 総員  75名
 戦死  70名
 生還   5名
 出身地 関東、東北、信越、北陸


この木の奥に、夏みかんの木があるのです。

戦後、遺骨収集に来られた人々が将兵の為に植えたのが始まりと聞いています。

ご遺族の気持ちの現れだと思います。

100本程、植栽されたと言いますが、塩害等で残っているのは数カ所だけになっているようです。

実のなる季節にもぎ取り、碑等にお供えしました。

北の鼻近くにはバナナもありますが、一寸見つけにくいでしょう。

寧ろ迷子になることを心配します。

毎年、季節毎に将兵に供物する木がズ~と成長し続けて欲しいものです。

全島慰霊の島。

それが硫黄島なのです。















最終更新日時 2007年11月4日 18時54分20秒
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2007年11月3日

硫黄島 体験記101
[ 硫黄島 体験記 ]  

                               (硫53 中迫2大隊主力陣地及び壕)

2~3日最悪の状態が続いている。

5年くらい風邪にはご縁がなかったが、関節痛から始まって咳がでて困っている。

今朝もベッドの中でも体全体に力が入らなかったが、どうにか起きて朝飯を食べはしたが、今ひとつ気合いが入らない。

妻と娘達は車で出かけたが、愛犬(?只の甘えん坊犬)と留守番です。



今日の写真は、(正)中迫2大隊主力陣地及び壕群「中迫撃砲第2大隊主力陣地及び壕群(この奥300米)」です。

この近くには九州各地の地名がついていますが、第145聯隊が九州で編成されたことを考えると納得できると思います。

因みに「高千穂峡」、「霧島部落」、「田原坂」が当時の地図には記載されています。

 指揮官 中尾 猶助 少佐
 総員  508名
 戦死  486名
 生還   22名
 出身地 九州

 位置  大隊本部           大阪山西麓
     第2中隊(伊東 登 中尉)   大阪山西麓
     第3中隊(山口 久造 中尉)  大阪山西麓
     第1中隊(大塚 厚 中尉)   摺鉢山北側

大隊本部は大阪山西麓に第2及び第3中隊は西側一帯に主火力を西海岸に指向できるように配置し、千鳥飛行場及び南海岸も射撃できるように陣地を形成していた。

2月19日、米軍が南海岸に上陸すると共に旅団砲兵団の統一指揮の下に一部が射撃を開始した。

2月21日、敵の有力部隊が千鳥飛行場及びに西海岸に侵入するに及んで全火力でこれに集中砲火を浴びせて前進を阻止したが、艦砲、迫撃砲の目標になった。

旅団砲兵第3中隊(松原 一雄 中尉)、歩兵第145連来野砲大2中隊(里中 忠吉 中尉)と共に西地区の主力火砲として大なる戦果を上げたが、2月25日頃には逐次、各砲とも全弾を撃ち尽くし、以後は、対戦車肉薄攻撃斬込隊としてこの地区を確保し、3月2日頃まで必死の防戦を続けた。

しかし、既に大阪山の一角が敵に奪取されるにおよび中尾少佐以下残存者約30名は師団命令により北地区に転進しつつ斬込戦をおこない、3月20日頃には殆ど玉砕した。

この碑の(右)には、独立速射砲大9大隊壕の表示がある。

この奥は、台上になっており、突き当たりは屏風状の断崖が続きます。

故郷の地名を名付け、この地で戦った将兵の思いが伝わってきそうです。

それが硫黄島なのです。




最終更新日時 2007年11月3日 10時13分42秒
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2007年11月1日

硫黄島 体験記100
[ 硫黄島 体験記 ]  


                                 (硫52)

午後から小雨模様です。

昨日は、F-2が離陸に失敗し墜落炎上しましたが、搭乗員が助かって良かったと思います。

前席、永田さんの早期回復を祈念しております。

これから事故調査が行われて原因が究明されるでしょうが、一日も早い飛行訓練ができることを祈るばかりです。



今日の写真は、硫警大阪山砲台群十五糎砲台の(左)「師団迫撃砲隊壕(第109師団迫撃砲隊壕(この奥100米)」です。

この碑の左側にあったはずなのですが、写真を撮り忘れてきています。

以前、写真を掲載した大阪山砲台の下に、大きな壕が口を開けていますが、その壕かもしれません。

碑の周りは綺麗に整備されているのですが、壕への道路はなく、草木を分けて進まなければなりません。

今も壕の入り口付近には当時の物が散乱状態で見つける事ができるはずです。

この隊は、東海岸方面に重点を指向し、一部は元山飛行場方向に射撃ができるように独立混成第17聯隊第3大隊(下間嘉一大尉)の陣内に陣地を展開していたようですが米軍上陸直前に臨時編成されたために、詳細は不明です。

 指揮官 不明
 総員  不明
 戦死  45名
 生還  若干ある見込

勉強不足で、見逃すところでした。

でも、当時は敵と戦った部隊なのです。

今まで半時計回りで知る限り紹介してきたつもりですが、どなたか補足説明をして頂けると幸いです。

宜しくお願いします。

多くの将兵が人知れず戦った島。

それが硫黄島なのです。






最終更新日時 2007年11月1日 18時0分54秒
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2007年10月30日

硫黄島 体験記99
[ 硫黄島 体験記 ]  


                                (歩145ー2大隊壕群)

中層雲が西から東へと流れ、雲を通して太陽と僅かな雲間から青空覗いている。

突然、「ゴ~!」

戦闘機が離陸していく。

訓練開始・・・・・!

静かに明けた朝が突如騒音に変わった一瞬です。

基地の街だから仕方がないか!

今はないが、格納庫に「この騒音は平和を守るためのものです」と英語と日本語で書いてあったこともある。



今日の写真は、(正)歩145-2大隊壕群「歩兵第145聯隊第2大隊壕群(この奥一帯)」です。

昨日の碑から南西に150メートルほど進んだ北側にあります。

第2大隊(安武末喜大尉)は師団の直轄として、為八海岸台上から師団司令部の間に位置し、師団司令部の直接援護に任じていた。
 
 細部は昨日分を参考に戦史をお読み下さい。

(右)歩145-2-5中隊壕「歩兵第145聯隊第2大隊第5中隊壕(東側150米)」

 中隊長:成瀬 八郎 中尉

 細部不明

 ということは、生還者がいなかったと言うことかもしれません・・・?

 この位置から150メートル東側は標流木海岸の崖上になるのではないかと思います。

昨日の碑から海岸崖上までは行きましたが、この位置からはジャングル状態でしたので踏破は断念しています。

友人の一人が為八海岸から標流木海岸方向への踏破を試みたが、海岸線は岩場で太平洋の波が押し寄せ来る上に、上り下りをしなければならず非常に苦労したと言っていた。

後ろは余り気にせずに、正面の敵と対峙すればいいと思いがちになるが、物量、兵力において大きな開きのある敵と戦う将兵の心境は如何なるものだったろう・・・!

碑には将兵一人一人の思いが宿っているようにも見える。

外周道路を駆け足しながら、そんな事を考えてしまう島。

それが硫黄島なのです。





最終更新日時 2007年10月30日 8時35分23秒
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2007年10月29日

硫黄島 体験記98
[ 硫黄島 体験記 ]  

                               (硫50 歩145連隊本部壕群)

午後から雨空となっていたが、夕方になり降雨となった。

午後5時なのにかなり暗くなり、車は皆前照灯をつけている。




今日の写真は、歩145聯隊本部壕群「(正)歩兵愛145聯隊本部壕(この奥一隊)」です。

池田増雄大佐率いるこの部隊は、九州の現役兵で編成された最強部隊です。

配置

 連隊本部宇関係及び第2大隊:北部落より為八海岸一帯
 第1大隊:高砂台西揚陸場東西の線より不磨に第、大阪山一帯の中地区隊
 第3大隊:東山より元山、玉名山一帯
 野砲大隊:天山、元山付近

第1大隊(原光明 少佐)は旅団長の指揮下に中地区隊として、南海岸高砂台一帯と西海岸西揚陸場以南及び舟見台の間に布陣した。

第1中隊(知名定福 中尉)を西揚陸場以南の水際に、第2中隊(鹿島豊 中尉)を高砂台の第1線水際陣地に配備した。

第3中隊(高山惣次郎 中尉)及び歩兵砲小隊と共に舟見第北側一帯に陣地を占領し、南及び西海岸からの敵上陸を予想し、防備陣地をしいた。

2月16日以来、敵の艦砲射撃が南海岸に集中したが第2中隊は松田、村上、桑畑の各小隊を支店とし、縦深に分散配備を布いていたために損害は軽微であった。

2月19日、敵戦車数両を戦闘に約1個大隊の敵が高砂台正面に上陸し、隣接の南地区水際陣地と連繋して狙撃によりこれを邀撃し、友軍砲兵の射撃と共に敵に大打撃を与えた。

しかし、忽ち敵支援艦艇の集中砲撃を受け、上陸戦車及び艦載機の銃、爆撃の目標になり次々と陣地が潰され損害が続出したが、終日、狙撃により敵の前進を阻止した。

2月19日夜には既に兵力は半減していたが、敵の照明弾下、敢然として白兵手榴弾を以て敵中に突入し、終夜死闘を繰り返したが、2月20日朝までには殆ど全滅し、僅かに生き残った者は船見台の本隊に合流した。

大隊長 原少佐は、2月19日夜第3中隊の一部を救援に出撃させたが、既に殆ど全滅しており船見台に引き上げさせた。

2月20日、敵の有力な一部は摺鉢山と千鳥飛行場の鞍部に侵攻し、引き続き西海岸に向けて進んできた。

2月21日、適約1個大隊が千鳥飛行場西側から高台に沿って北上を開始したので第1中隊は側背に敵を受け、急遽背面方向に陣地を布いたが裸陣地で地形が不利と判断し、原大隊長は、知名中隊長に命じて速やかに陣地を撤収して大阪山方向に後退を命じた。

この結果、米軍が2月22日頃には千鳥飛行場西側から船見台付近の線まで侵攻し、、引き続き元山飛行場西端に攻撃を加え、西地区隊の水際陣地も側背から敵を受ける形となった。

ここに至って原少佐は、師団命令により各隊を大阪山に集結させ、所在の独立歩兵第31大隊(岩谷 少佐)第1中隊(坪井中尉)等を指揮下に入れ、主として挺身斬込により侵攻の敵に打撃を与えて大阪山を確保したが、我が方の被害も多くなり兵力は極度の低下した。

ここにおいて栗林兵団長は2月26日、歩兵第145聯隊第1大隊を旅団の指揮下から師団の直轄とし、独立速射砲第9大隊(小久保蔵之助 少佐)独立機関銃第1大隊主力(川南洸 大尉)特設43機関砲隊(田村雄蔵 中尉)等の残存部隊も指揮下にいれて挺身斬込により大阪山の確保を命じた。

原少佐は残存部隊を大阪山西側に集結して主として挺身斬込肉薄攻撃班を各隊より出撃させ、田原坂、眼鏡岩の線を死守していたが、2月28日には敵の占領するところとなった。

原大隊長は2月28日夜、知名中尉に約100名の兵力を以て眼鏡岩を奪還させるために夜襲を命じた。

照明弾下、知名中隊は手榴弾白兵戦で敵中に突入して終夜死闘を繰り返し、眼鏡岩を奪還して旅団との連絡確保に努めたが衆寡敵せず(人数の少ないものは、人数の多いものに勝ち目がない)殆ど全滅して奪還は不成功に終わった。

原少佐も重傷を負い、3月2日には大阪山の一角が的に占領され、第1大隊は玉砕した。

第145聯隊本部関係及び第2大隊(聯隊長:池田増雄大佐、第2大隊長:安武末喜 大尉)は、師団の直轄として為八海岸台上より師団司令部の愛段位置し、師団司令部の直接援護に任じていた。

2月26日、独立歩兵第311大隊長 辰見 少佐が戦死し、大隊が壊滅に瀕したので師団命令により西地区隊も併せて指揮し、残存者を逐次標流木に集結させ、北地区の防備の強化を図った。

3月5日頃には大阪山が敵の手に陥ち、米海兵第5師団が大阪山~西海岸からテーブル岩~北部落に対し攻撃を開始してきた。

来れに対して旅団砲兵第3中隊(松原一雄 中尉)の山砲及び野砲第2中隊(里中忠吉 中尉)の残存火砲を以て反撃しつつ、夜間は切込隊を以て北複郭陣地を死守したが、兵力は漸減し3月13日頃には東、南、北の三方から北部落~為八、標流木に圧迫されて包囲されるに至った。

3月14日、池田大佐は涙を呑んで連隊旗を奉焼して連隊本部を混成第1旅団工兵隊の地下壕に移し、前線から後退の残存兵を為八及び標流木に集結して斬り込みを続行し、必死に師団司令部を援護して敢闘した。

3月17日夜、栗林師団長以下、市丸利之助少将等が司令部地下壕を脱出して合流し、第2大隊を基幹として連隊本部直轄各隊及び師団から合流した各部隊の残算者、海軍等約1000名を誓いを利用して、複郭陣地に配備し持久戦闘を行っていた。

当時、米軍は最初に上陸した海兵師団と新たに上陸した守備部隊(陸軍1個聯隊)との交替中で積極的には攻撃しなくなり、対峙したままであった。

我が方の守備隊は既に食料、水も尽き、夜間は壕を出て彷徨い、水探しに懸命であり海岸の崖上を兵が三々五々歩き回っていたと言います。

聯隊手持ちの食料もそこをつき、最期が刻一刻と迫まる中、栗林師団長はついに最期の総反撃の決断をし、残存兵力約800名を数体に分け、3月25日夜、出撃を命じ、標流木沿いに出撃し、3月26日夜、敵中にと鬱入試、硫黄島における組織的戦闘が終わった。

145聯隊本部も師団の出撃に参加したが、途中師団長との連絡が取れなくなり、再び引き返して為八海岸付近の地下壕を転々と変え、連隊長以下本部付きの幹部将校等約20名程は、3月31日夜も尚為八海岸の崖上を行動していたが、その後の消息は定かでない。

最後まで池田大佐と行動を共にしていた野砲大2中隊長里中忠吉 中尉は、4月3日頃兵数名と為八海岸で行動中であったようですがその後の消息を伝える生還者がいない。

このようにして硫黄島で唯一軍旗を持っていた現役部隊は玉砕した。

 指揮官:池田増雄 大佐
 総員 :2,727名
 戦死 :2,565名
 生還 :  162名
 出身地:大部分は鹿児島県、九州各県

この奥にコンモリとした緑が見えますが、月下美人の群生地の一つです。

外周道は比較的広い道路ですが、移動訓練に来ていた隊員の運転する車が夜、月下美人を見に来てこの地で脱輪したことがありました。

何故・・・? 

どうすれば脱輪するの・・・・?

この下をとおり海岸近くの崖上まで行ってみましたが、厳しい状況でした。

岩を利用した壕等が散在しており、米軍の不発手榴弾を見つけては白いテープでマーキングして不発弾処理班に連絡していました。

ピンと握り部分の部品は腐食してなくなり、衝撃を加えると爆発しそうな状況です。

今日は長くなりました。

キーボードと叩きながら改めて硫黄島戦を勉強しています。

英霊を月下美人が慰めているような島。

それが硫黄島なのです。




最終更新日時 2007年10月29日 21時36分39秒
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2007年10月28日

硫黄島 体験記97
[ 硫黄島 体験記 ]  


(硫49 師団通信大本営宛発信所)

台風一過、風弱く、青空です。

最高気温も20度の予報があり、過ごしやすい一日になる予感・・・!



今日の写真は師団通信大本営宛発進所「第109師団通信隊大本営発信所(この奥70米)」です。

壁画を過ぎて病院壕の南西側の出入り口に建っています。

病院壕は研修者案内で何度も訪れましたが、壕へは行く機会がありませんでした。

ジャングル活動は、壕が崩れて穴が開いていたり、ジャングル内で方角がわからなくなる為に単独行動は禁じられていました。

GPSがあれば迷う事はなくなると思いますが、穴や枯れ枝と思っていた物が実は当時の鉄筋だったり、不発弾があったりと危険が存在するのです。

米軍の手榴弾は結構見つかります。

見つけた場合は、テープ等でマーキングし、常駐している不発処理班に通報するのです。

大物では1トン爆弾もあります。

兎に角単独行動はしないほうが良いでしょう。

説明は体験記88 (左)森田部隊を参照して下さい。






最終更新日時 2007年10月28日 9時8分34秒
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