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テーマ:旅のあれこれ(9945)
カテゴリ:会津若松
~鶴ヶ城~
会津といったら鶴ヶ城♪ そしてここは1000本の桜を誇る名所でもある あいにくの天気もなんのその桜は咲いてるし、静かだし(寒かったけど)堪能しましたよぅ。 天守から見た走り長屋。 城内最大といわれる干櫓(ほしいやぐら)へ通じている走り長屋 途中に鉄門(くろがねもん)があります 鉄門は本丸内の奥御殿に通じる表門で北向きの多聞櫓城門。 扉や柱が鉄で包まれていたところから鉄門の名が付けられている そしてここは慶応4年8月23日からの篭城戦の折り容保候が自らここで指揮を執ったところでもある 当時のものは明治7年に取り壊されてしまったが、昭和40年9月に天守閣が、平成12年に干櫓が復元されました。(嬉涙) よくパンフレットなんかにあるような豪華な桜と鶴ヶ城を目指したが… 雨だったからね! 桜はこのとき三分咲き。 冷たい雨に開けない様子。 それでも雨がやむのを待ち構えてふわりふわり、咲ききろうとしていました 天気が良かったら城内を隈なく歩いてみたかったんだけど、あまりの寒さに断念。 どうしても行きたかった鐘撞堂へ ~鐘撞堂~ 時守を置いて昼夜時刻を城下に報じていた堂でこの鐘は延享四年(1747)若松の鋳工早山掃部介安次(そうやまかもんのすけやすつぐ)の作。 鐘の撞き方は江戸流だった。 戊辰の役(1868)にはここに西軍の放火が集中し時守が相次いで斃れたにも拘らず、開城の最後まで正確に時を報じ大いに味方の士気を鼓舞した (案内板より) 「江戸流の鐘の撞き方」ってどんなのかしら? 「会津流」とかあったのかなぁ… そして斃れても斃れても鐘を撞き続けるなんて。 絶対いい標的になってたと思うんだよね。こんな高台だし。 それでも。 う~む。これが「会津武士」なのね お城は撮っても撮っても物足りない。 ここで撮り尽くすわけにも行かないので次へ。 お堀の桜も三分咲きくらい でも雨で透き通った空気にぼぅっとピンクがずっと続いて、それはそれはかわいらしい城の雰囲気を作ってました ~日新館跡~ お城を後にして西へ行くと「日新館跡」 もともとここに藩校である日新館は建てられていました。 戊辰の役では病院として使われていました。 いよいよ敵が城下に迫ったとき、利用されるくらいならと自ら火を放ったそうです。 「桑名藩戊辰戦記」のなかに日新館で治療中だった三輪為蔵(18歳)は元与板で重症を負っており敵が城下に乱入したとき起き上がることも出来ず病院が火に包まれた為そのまま焼死したという記述がある。 これが本当なら当時の大混乱の様子が良く分かる。 今ではぽつんと碑が残るのみです さらに西へ行くと「天文台跡」 天文台は日新館天文方の天文観測の場として設けられたものである。 ここはつねに星の観測をするところであったが特に毎年冬至の日には、学校奉行・天文方師範・暦家が集まり晴雨・考暦を編したところで重要な施設の一つだった 観台は当時の規模の半分となったが、藩校日新館の施設の中では唯一保存されているものである (案内板より) 会津暦というのがあってとても正確なので重宝されていたという話を聞いたことがあるなぁ この祠はずっと後になって建てられたもの。 ここでみんなで星を見上げ、暦を作り…。お城も見えたはず。 昼過ぎまでひどい嵐だったけどどうやら峠は越したらしく、天文台跡に着くころは青空も見えました。 このあと市内をてくてく歩き、晩御飯を食べにいったんだけどふらふら市内を歩くのもいいなぁ。 ただしこの日はたぶん10℃なかったんじゃないか?ってくらい寒かった。 天気が良かったら是非レンタサイクルで市内を廻りたい。むふふ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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