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氣の世界・癒しの世界に関わり20年になります。
この度練馬区石神井町にサロンを新規開店させました。ブログに書き続けた想いを込め、 『カウンセリング&ヒーリング ドルフィン・ヒーリング・タイム』と名づけました。 ご縁を頂けたお客様と癒しの時間を共有していきます。どうぞ宜しくお願いいたします。現在サロンのホームページを作成中です。お問い合わせはお気軽に、 メールinfo@dolphin-ht.comまでご連絡下さい。 イルカの学校ホームページもぜひご覧ください。 http://www.irukanogakko.jp/ <サロンにてエネルギーワークレッスンを開始します!> エネルギーって何? 前から興味はあったのだけど・・という方から、 ご自分のエネルギーを守りたいという方までプライベートレッスンでレクチャーいたします。 詳細はイルカの学校ホームページをご覧ください。 <サロンにて個人セッション申し込み受付中!> 詳細はメールにてお問い合わせ下さい。 営業日:水・木・土・日 営業時間:10:00~21:30 ※完全予約制 カウンセリング/ヒーリング/リーディング(オーラ・チャクラ) インド占星術/アニマルコミュニケーション(小型の動物さん限定)e.t.c. ※ただいまオープン記念価格で全メニュー20%offで申し込み受付中 セッション90分15,000円のところ12,000円 ヒーリング60分10,000円のところ8,000円 お申し込み・お問い合わせはどうぞメールでお気軽に。 皆さまからのお問い合わせをお待ちしております。 おーんみちゃん's Shopping List
最強の(??)主婦ヒーラー参上! [全744件]
中学校の運動会だった。 最後の運動会となる中三の次女。 初めての運動会となる中一の三女。 主人も私もドキドキだった。 三女は勉強も運動も苦手というタイプ。 三人娘の中では、逆上がりも自転車の補助輪を外すのも一輪車も、 全てお姉ちゃん達を追い抜き一番にできるようになった。 割合と運動神経は良いのでは・・と思うのだが本人は苦手意識を持っている。 クラス対抗の全員リレーが気が重いようだ。 個人種目ではないのでみんなに迷惑をかけてしまうと言う思いなのだろう。 私も運動音痴で、 運動会の日は前日から雨乞いをし、 スキー学習の日は吹雪になるようひたすら願った経験がある。 三女の気持ちは痛いほど分かる。 そんな三女だが、今年は違う。 小学校は不登校気味だったが、 中学は一日も休んでいない。 成長の証を感じる。 次女。 ソフトボール部のキャプテンである。 代々ソフト部は運動会では大活躍で、 三年生の団体種目・大ムカデ競走の先頭に立候補し、 大きな声で皆をまとめ日々の練習を引っ張ってきた。 その結果が今日現れる。 本人もドキドキだろうが親のこちらも落ち着かない。 結果は、 練習では一度も転ばなかったのに、 転んでしまって女子の中ではビリだった。 が、そこからキセキが起こる。 女子からビリでタスキを受け取った男子が、 事もあろうか競り合って、抜いて、三位に浮上。 涙・涙の一幕だった。 実は次女、練習が上手くいかないときに愚痴をこぼしていた。 「女子はいいんだけど、男子が真面目に練習しない。もう、男子なんか信じられない!」 とおかんむり。プンプンだった。 本番ではその男子が底力を発揮、クラスを最下位から救ってくれた。 次女は大泣きしていた。 悔しかっただろうし、辛かったと思う。 先頭の重責は大変なものだったらしい。 声が小さければ責められ、リードが悪いと険悪なムードになった。 次女も気が強く、練習を真面目にやらない子に対し、 鋭い言葉を言ってしまったようで、自己嫌悪に陥っていた。 そんなこんなを乗り越えて迎えた今日、 親としてはなんとかトップでゴールをと願っていたが、 神様はもっともっと素敵な結末を用意してくれたのだ。 本番での男子の頑張りと、 「先頭、お疲れ。ありがとう。」と皆が自分に声をかけてくれて、 悔し泣きが嬉し泣きに変わったという。 帰宅後もたくさんのお友達から、 メールが届いているようだ。 苦楽を共にするというけれど、 本当に今回次女は素敵な経験をしたと思う。 私は過去世の三世代前で次女と腹違いの兄弟だった。 偉大なシャーマンであった父の跡を継ぎ、 自分の未熟さゆえ大変な思いをしていた私を助けてくれたのは、 異母弟の現在の次女だった。 今世の次女も、非常に細かく色々気づき、 決して勉強はできないが空気を読んで周囲に気配り出来る頑張り屋さん。 きっとクラスのムードメーカー的役割を率先して引き受けているのだろうと思う。 自分の出場種目とムカデ競走の先頭役だけでも大変だと思うのだが、 足を怪我したクラスの友達の代走として、 クラス対抗リレーでは2度走っている。 そんなに足は速くはないのだけれど、 誰も代わりを引き受ける者がおらず、手を挙げたようだ。 我が娘ながら、チームのためにと頑張れる娘を誇りに思う。 才能はつかってこそ意義がある。 今世は裏方ばかりに回らずに自分の能力を最大限に発揮して、 陽の当たる道を歩んでほしい。 支える側から支えられる側へ。 そろそろスイッチが入る頃なのかもしれない。 みんな違ってみんないい。 それぞれが才能を発揮させ輝くことができますように・・・。
久々、夕食後にゆっくり家族でテレビを見ていた。 芸能人の2世タレントが生活ぶりを明かすトーク番組だったが、 あまりの浮世離れにびっくりだった。 でも考えてみれば、 彼らにとってはそれは生まれた時からの、 ごくごく当たり前の世界であり、 自分が育った家庭が標準だと思うものなのだろう。 私は生まれ変わりを信じている。 自分にとっての必要な体験やテーマを経験する為に、 一番ふさわしい環境を選んで生まれてくるのだと思う。 例えば過去世において貧しい生活を送り、 今世こそ食べることに困らずに幸せに生きたいという思いがあれば それを実現しやすい環境を選ぶのだろうし、 逆に過去世で贅沢三昧をして貧しい人々から搾取した経験があれば、 今世はカルマの解消のために徹底的に貧困を体験しようとする場合もあるのだ。 自分の魂は今の生活の中で何を学ぼうとしているのか。 そこに着目すると今世の自分の使命は何かという問いの答えが ぐっと近くなる様な気がする。 私の場合はなんといっても家族がテーマだろう。 結婚し子どもを育てると言う経験を選んだ。 結婚しないという選択も、 子どもを産まないという選択もできたであろう。 が、あえてそうしなかった事に大きな意味がある。 同じ家族がテーマであっても、 自分が産むもしくは育てるという事ではなくて、 自分の親や兄弟姉妹との関係がテーマの場合もあるだろう。 人間は一人では生きてはいけない。 今世は肉親との縁が薄く、 血縁関係が無い間柄で信頼関係を築き上げ、 実の家族以上に絆を深めると言う事がテーマの方も居る。 家族の在り方も様々だ。 とかく生きていると『隣の芝生』で、 人をうらやむ気持ちや他人との比較で苦しむことが多い。 もし、自分の今世のテーマに気づく事ができたならば、 他人との比較に苦しむことはぐっと減るのではと思う。 本来は、 昨日の自分と今日の自分とでどれだけ成長できたかが重要であり、 目指すべき到達点と自分の今現在の立ち位置が、 どれだけ離れているかが大切なのだ。 限られた人生の中で、 どれだけ進むことができたのか、 どれだけ自分は成長できたのか、 そんな視点をもって生きて行けたなら、 もっと人に優しくできるような気がする。 自分ががんばっているのと同じように、 あの人もこの人も頑張っている。 自分とは進むスピードが違う、 自分とは進む道順が違う、 ただそれだけのこと。 そこに他人との比較が入りこむ余地はない。 それぞれの道で頑張ろうと、 そんな風に自分にも他者ににエールを送ることができたなら、 どんなに生きやすい世の中になるだろう。 テレビを見ながら、 与えられた環境はモチロン大事だが、 その環境を活かすも殺すも自分次第・・そんな風に感じた。 私は今の環境を活かしているだろうか。 その環境に感謝しているだろうか。 どうやら反省点が多々ありすぎ・・・のようだ。
私は方向音痴だ。 地図の読めないオンナでもある。 自慢じゃないが相当・・だと思う。 氣やエネルギーというものに接して来て 私自身の感覚というか直感力というか その面では相当進歩したのだが、 まぜか方向音痴は改善されない。 なぜだろう。 私は別に生まれつきカンの鋭いタイプではなかった。 世の中には生まれつきの霊能者と言う方もおられるが、 私は決してそうではない。 人間にはもともとそういうチカラがあると言う事は 素直に納得している。 多分、昔々の人間は、 大地の声を聴き、 風の囁きに耳を傾け、 月や星のメッセージにココロ癒されてきたのだろう。 きっと精霊をみることも 魂と魂で語り合う事も出来たのだと思う。 この二十数年間、何か新しいことを学んだと思っていたが、 実は原始的な感覚を取り戻す作業であり、 自分自身は何者なのかと言う問いに対して、 神サマが本質を見せて下さったのではと思う。 感覚が鋭くなった事で私の何が変化したのか。 この世界を学び、「なんでもアリ」という事を実感できたことが私にとって大きい。 黒か白かしかなかった私にグレーがあるということ、 しかもそのグレーは濃淡が無限大であるということに、 はじめは抵抗もあったが、今ではその方が良いと言い切れる。 yesかnoで世の中はできているのではないのだ。 それは、私にとっての大きな大きな転換だった。 見方が変わり時空が広がる。 時空が広がったから見方が変わった・・のかもしれない。 以前と比べ状況は全く変わっていなくとも、 私自身の考え方が変わり、 まったくもってものの見方が変わってしまった。 さて、ではそのことで得られた力を何に使うか。 答えはただ一つ、 幸せになるためである。 「幸せ」は自分だけの幸せではなく、 家族や回りの方々も含めての幸せである。 そういう力を何かヨコシマな事に使おうとしても使えない。 上手く出来てるなあと感心する。 エネルギーをリーディングするときにいつも思うのだが、 「見よう」「感じよう」とすると上手くいかない。 「見えたらいいな」くらいの感覚で力を抜いたほうがうまくいく。 多分お客様はいつも思うだろう。 「オシャベリばかりしていてなぜリーディングできるのか」と。 私は思う。 眉間にシワを寄せても上手くいかない。 第6チャクラを閉めてしまうようなものだから。 私は今日も新宿駅や池袋のサンシャインで、 何度も何度も迷子になりかけた。 案内図をみても迷うのだから仕方がない。 ひたすら人に聞くしかないのだ。 こうして、 私の地図を読む能力はしっかりと封印され、 人とお話をする能力がジワジワ開発されるのだ。 コミュニケーション能力を高めるために地図オンチ・方向音痴になったのだろうか。 もしそうならば、神サマというのはとてもイキな計らいをして下さるお方である。 あちこち歩いてクタクタになって、 疲労を自己ヒーリングで解消させる。 コミュニケーション能力と、 自己ヒーリング能力とを、 伸ばしてくれた方向オンチに感謝。 エネルギーの世界はこれだから面白い。
ヒーリングセンターに勤めている。 エネルギーを流すことは普段から行っているが、 エネルギーワークさえやっていればそれでOKという事ではない。 当然肉体をもった者として、 体調に変化があったり感情に波があったりは当然の事である。 (と私は思っている) ただ自分の体験から言えるのは、 元の状態に戻るのは格段に早くなった。 『その人本来の、もと(元)の氣の戻るから「元気(げんき)」という』 と、真氣光に出会い教えてもらった時「なるほどな~」と納得だった。 氣が病むから「病気」。 互いの氣の波長が合うから「気が合う」。 日本には「気」という文字がつく大事な言葉がたくさんある。 それだけ日本人にとって氣の世界は身近であり、 ずいぶんと古くから親しんできた世界なのだろう。 私は昭和36年生まれ。 肉体という身体を持つ以上、身体のあちこちにガタがきても不思議ではない年齢だ。 が、お陰さまでエネルギーのお陰か、 身体にトラブルがあっても、回復にそんなに時間がかからずに済む。 ポイントは身体に現れた症状にどう対処しいかに早く回復させるかであると思う。 昨日ヒーリングを受けた。 お客様になったつもりでいるのだが、 やはり自分が勤める職場ゆえ、完全にお客様で居ることは難しい。 せっかくの機会だから「癒される人」になるといいのに、 どうしても「学ぶ人」となってしまう。 流されるエネルギーの心地よさを感じながらも、 必死になって身体のアチコチにアンテナを張り巡らせ、 エネルギーの流れやエネルギーの種類を分析してしまう自分がいる。 完璧に、弟子入り状態の「学ぶ人」になってしまうのだ。 学ぶという事は素晴らしいことだし、人間はいくつになっても勉強だと思う。 でも、ヒーリングの時はもっとゆったりできないものかと自分に言いたくなる。 学ぶ人から癒す人へ。そして必要に応じて「癒される人」へ。 色々な役割を交代しながら成長していきたいと思う。
私は週に何日か、神奈川県川崎市勤めに出ている。 自宅は東京都東久留米市。 関東地方と言うくくりで見ると、 東京と神奈川とでそんなに天気は違わないだろうと思っていたが、 それが結構違うのだ。 片方が雨で片方は晴れているなんてこともある。 昨今カミナリが鳴ったりヒョウが降ったりで天候が不順。 昨日も今日もいきなり大雨というお天気だった。 会社は明日が定休日。 休み前に仕事を片付けていて残業になった。 主人からメール。 何事かと思ったら、 『秩父に大雨洪水警報、東久留米はなんともナシ。』 とある。 私の帰宅時に大雨だったら、 駅まで車で迎えに行こうと思ってくれたのだろう。 『ビールを飲んだので迎えに行けません。 すいません。気をつけて。』 と結んである。 本当に、優しい人だと思う。 宝クジになかなか当たらずにいるが、 ある意味、とても優しい伴侶に恵まれて、 宝クジ以上の大当たりかもしれない。 勤め先には結構独身のスタッフも居て、 「弘美先生は泰久先生が優しいからイイですよねー」と言ってくれる。 確かに誰が見ても優しい人で、 もしかしたら「アンタなんかにゃ勿体ない」と思われているのかもしれない。 長所と短所は紙一重・表裏一体である。 優しい人は度を越すと頼りない人となり、 相手にばかり合わせる人は自分を持っていない人となる。 厳しい厳しい奥さんは、 優しいダンナ様を「頼りない人」と思う事が時々あり、 本当に私と言う人はバチあたりなヤツなのだ。 私は自己探求セミナーと言うセミナーを受け、 今世の使命を導くことができた。 職場のスタッフと雑談の中で、 「今世の使命を見出した人の中で生き方が変わった人って誰だろう」という話になった。 私は真っ先に手を挙げた「私変わったよ!」 何が変わったのか。 主人や子供も達への見方・考え方が大きく変わった。 以前は、主婦と仕事という二足のワラジで私自身がカリカリしていた。 独身で何の制約もなく働く同僚スタッフがとてもうらやましく感じた。 結婚しているということ、子どもがいるということが、 大きな手かせ足かせに思えた事があったのだ。 忙しいという字は心を亡くすと書くと、 真氣光の先代会長に教えていただいたが、 私は肩に力が入って、忙しくって、 すっかり心を亡くしてしまっていたのだろう。 専業主婦で子育てにどっぷりつかっていた時代から大分経ち、 働くリズムができた今、 主人も子どもたちは、手かせ足かせなんかじゃなく、 私を守ってくれる存在だと思えるようになった。 なんだかんだと言いながら、 みんなを守っているつもりの私自身が、 一番みんなから守られており、 私はトンデモナイ勘違いオンナだったということなのだ。 自分の超・超・勘違いに気づくと言うのは、 私にとって、とても大きな出来事だった。 死んであちらの世界に行ってから、 「あー間違いだったゴメンナサイ」でも決して遅くはないが、 気づいて正すのならば、ゴメンナサイは早い方がいいに決まっている。 「君は本当に変わった」と主人は言う。 照れくさいし悔しいし、 「えーっつ!変わってないよ」とイキがっているが、 実は変わったと言ってもらえてとても喜んでいる自分の姿がある。 せっかくこの世に生を受け、今世は、 たくさん友達を作ってワイワイやりたいという人もいるだろうが、 私は一番身近な存在である家族と、 仲良くできただけで自分は100点かもしれないなとちょっぴり思っている。 採点は甘すぎるだろうか。 そんな事はない。 足元を固めると、きっと大きな一歩を踏み出せる。 優しい主人に当たった私は超ラッキーガールであり、 与えられた者は世の中にお返しをしなければいけない。 ゆえに私は優しい主人に守られて、 のほほんとばかりではいられない。 与えられた者として、人さまのお役にたつ。 主人の支えがあってこそ、そんな風にできる私がいるのだ。感謝。
NHKテレビでオウムの事件の検証番組をやっていた。 一度に見れずに録画して少しずつ見ていたのだが、 今振り返っても本当に大変な事件だったのだなあと思う。 1995年は長女が生まれた年。 神戸の地震があり、サリン事件があり、 当時の私も毎日のように新聞を食い入るように読んでいた気がする。 日本は平和で安全な国だと思っていたが、 何が起こるか予測なんてできないものだと教えられた年でもあった。 起こった出来事を私達はキオクする。 でも、全てを覚えているワケではない。 悲しみや辛さからなんとか立ち直ろうとする場合、 キオクを封印することで自分を支えることもあるだろう。 何かに対して怒りの感情を持ち続けることで、 自分を奮い立たせることもあるだろう。 以前オーラリーディングのお客様で、 感情層にどうしても色を塗ることができず まるで水玉模様のようなオーラを描いたことがある。 何らかの事情でオーラに穴があいたり傷ができたり 極端な場合はオーラに裂け目ができてしまう事もある。 私がその方に感じたのは、 穴があいて水玉になったのではなく、 どうしても色を感じることができなかったのだ。 言うならば白、どちらかと言うと透明に近い感覚だった。 辛いことがあってそれを何とか忘れようと努力をした結果だった。 キオクを消し去りなんとか頑張って生きてきた証だった。 人間の力ってすごいなあと私は教えられた。 辛くても悲しくても、 生きていかなければいけないものと改めて教えられた。 全ては経験するためなのだと言う。 経験を積み重ね、何度も何度も生まれ変わり、霊性を高めて行く。 普段は日々の生活で精いっぱいで、 そんな事には全く意識を向けることはないが、 時々ふっと思う事がある。 私はこれからどうなって行くのだろうと。 エネルギーの世界を勉強したからと言って、 未来はバラ色、私は世界で一番幸せ者だというような ノーテンキには私はなれない。 ただ生まれ変わりの仕組みを知ったいるという事で ずいぶん心に安定は生まれたと思う。 過去を知り、未来を知ったことは私にとって大きな事だった。 だが、未来は決定ではない。なだ決まってはいない。 私のこれからの生き方に大きくかかってくるのだ。 人生の後半戦、私がどんな生き方をするのか、 人生の最後に最後に「やりきった」と言えるかどうか それが大きく関わってくる。 余力を残してとか、 この程度でなんとか丸く収めてとか、 そんな計算りきで人生を終わりにしたくはない。 どこまでやれるか。 どこまでやりたいのか。 人生の後半戦を大事にしなければと思う。
サロンでお話会を行った。 貴重な日曜日、遠方からもお集まりいただいて、感謝の一言に尽きる。 今日のテーマは子育て。 自閉症のお子さんを持つ田中さんご夫妻をお招きし、 お話していただいた。 「受け止める」と「受け入れる」の違いについてお話を聞いた時、 ビビビと感じるものがあった。 折しも、昨日長女と一戦を交えカッカ来ていた私だったが、 無理に受け入れようとするから辛くなる、 事実は替えられない。 過ぎたことをグジグジ言うより、 事実を受け止め対応策を考えれば大丈夫。 そう思うと楽になった。 ただ受け止めるだけでいい。 ずいぶんと長い間、受け入れねばと思い違いをしていたようだ。 「子育てには正解がない」・・・素直な結論だ。 みんな違ってみんないいの世界。 100の家庭があったら子育ても100通りだし、 一つの家庭でも子どもが三人いれば、子育ても三通り。 そんな当たり前の結論に私は達した。 もしも悩んだり辛くなったら、 肩の力を抜いて、思いっきり深呼吸をして仕切り直そう。 そんな風に感じた一日だった。 スピリチュアルの世界では、 「我々はすべて神の化身、アバーターである」と言われる。 相手に神聖な部分を見出すことで自ずと付き合い方も変わってくる。 分かってはいるのだが、母親と言う立ち位置で言わせていただくと、 その感覚を持つことはなかなか難しい。 私の場合、どうしても我が子を、別個な人格・他人に思う事ができず、 自分の分身のような、感覚を持ってしまう。 なんとか打破したいトコロだ。 子育ての話と言っても、日常の様々なシーンと重なり、 子育て世代以外の方にも聴いていただきたい内容の素晴らしいお話だった。 中1の三女も来てくれたのだが、食い入るように話を聞いていた。 きっと彼女なりに、何か響くものを見つけたのだろう。 一緒に話を聞けて本当に良かった。感謝。 |一覧| |
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