テーマ:心の病(7507)
カテゴリ:カウンセリング
私は10年間もひきこもり状態であったのですが、そこから脱け出すきっかけは、神秘体験でした。『マスターの教え』という自己実現系の本を読んでいたときに、守護霊のような霊的な存在を感じ、自分の今までネガティブだった考え方と、霊的な存在のポジティブな考え方がごっそり入れ代わり、「運命は全て自分が作っている」ということをおぼろげながらも悟るという不思議な体験でした。
その後は、その時体験した悟りの意味を人生のなかで少しずつ深めていったように思います。 さて、ひきこもりのご家庭をこの様な悟りの世界「運命は自身が形作っていると自覚体験される世界」から見るとどの様に見えるでしょうか。実は親子共通の課題がそこにある場合があるのです。 子は「親のせいで人生がこうなった」また、「親が干渉するからひきこもりから抜け出せない」と往々に考えているのに対して、親は「この子は昔から手間のかかる子だった、いつまで経っても大人になってくれない」また、「子どもがひきこもりから抜け出してくれないから親は経済的にも精神的にも楽になれない」と往々にして考えていることがあるものです。 ここから垣間見えることは、親子共々自分の人生を家族のせいにしている現実があるということです。自分の人生が自分のコントロール下になく、人に左右されている状態がそこにあるということです。しかし、実際には自身の人生は自分以外変えることができませんし、運命は全て(引き寄せの法則によって)自分が引き寄せています。実は自分の心の影の部分(悟っていない部分)が、現象として自分を苦しめる問題として外側に現れているだけなのです。自分を苦しめているのは、自分の人生を人のせいにしている自分であり、人のせいにしているということは、そこに解決しなければならない宿業があるということです。 ひきこもりのご家庭は、親子共々共通の課題に向き合っているとも言えるのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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親と子が共通した課題に向きあっているということを共有し合うのは簡単ではなさそうです。仏教では、解決の糸口が示されていますか?
心についてとても詳しい方だと思いました。私も考える事があって頭が悪いなりに文章にまとめたものがあります。是非読んで欲しいと思いました。突然で気持ち悪いかもしれませんが、どうかよろしくお願いします。 http://nna899.blogspot.jp (2014.05.16 23:16:50)
こんにちは。
メッセージが書かれてあることに気づきませんでした。 ごめんなさい。 ブログを見せてもらいました。あなたがおっしやっているように、宗教的悟りの世界は個人的な感覚の世界のため、それを共通の認識のもとに理解し合うことには、困難な面がありました。相手の感覚が正しいと認識するにも自分の感覚を使わなくてはならないためです。また、こうした、個人的な悟りの世界は客観的にデ-タとして示せないため、また、哲学的に共通の思索の過程を経ることが出来ないために、学問の世界では、他の学問と断絶されやすかったと言えます。しかし、最近は科学の測定法の進歩と、トランスパ-ソナル心理学の作った足場により、他の学問との連携が出来つつあるように思います。また、悟りを身近なものとして考えるような時代の風潮も悟りの世界と他の学問との関わりを促進する力を生じせしめていると思います。 悟りの感覚の世界は、それぞれ独自のもので違いが必ずあります。しかし、共通の部分を見つけることで、お互いに理解し合うことはできます。 あなたのブログを見せていただいたところ、あなたの悟りの感覚は、恐らくヨガ行者や禅宗の一部の方々の悟りの世界に近いですね。透明感と静けさを感じます。私の感覚はやや動的で静かに自己を眺め尽くすというよりかは、一気に悟りの世界まで、蒙昧の自己を断ち切り到達する感じに近いですね。完成された自己が益々完成されていく感じです。神様は多分完全で、しかも成長し益々完成されていく存在なのだろうと分かるような感じがあります(普通は完成されていれば成長はしないのですが)。 あなたの静的に様々なことに気づいていく感覚は、ヨガ行者の成瀬雅春先生や相川圭子先生の到達された悟りの世界に近いと思います。これらの方々を知っていますか? (2014.05.18 21:35:50)
あと、仏教では親子間の葛藤に対応すべき考え方は様々に示されていると思います。例えば「一切皆苦」どんなに頑張っても人は病気になり、老い、いつか死ぬのに親は子どもの成功を願い、子供に過剰な教育を施します。例えば「縁起」すべてのものは他者に関わり存在しており、それだけでは存在し得ないものです。親子が互いに相手に悪感情を抱いたとしても、どちらが悪いかは分からないのです。お互いがお互いを生み苦しめていると気づくことができます。仏教では「生まれ変わり」が説かれます。魂があるということは、生物的年齢があるだけでなく、魂の年齢があるということです。子どもの魂が親より優れているなどいくらでもあるものです。親と子は魂の年齢も性格も違います。「他己」他者は自己の鏡です。他者の中に自己の姿の一部が写し出されています。「意業」心の中で考えただけの罪があります。心の中で誰かを恨んだ場合、それは心の中だけの物事には収まりません。身業・口業(打ったり、罵ったり)だけでなく、心でも親は子どもを罵るべきではないでしょう。「無表業」業は目に見えるものばかりではありません。心で罵られてきた子はまともに育つでしょうか?「種子」子どもをどのように育てたかは、どのような大人になるかという形で返ってきます。「我所執」子どもは別の個性を持ち、自分のものではありません。「仏性」誰の心にも仏があります。もちろん子どもの心にもです。子どもの心(仏)を拝みたいものです。
この様に適用できる仏教用語はいくらでもあります。仏教書を読んで探してみるのもお薦めですよ。 (2014.05.18 22:27:40) |
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