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シュタイナー「イエスを語る」第11講のメモ
世の中には悲観的な事件や要素がたくさんあるので 丈夫な希望はもちにくいのかもしれませんが、シュタイナーの考えは 楽観の希望を形にした思想にみえます。 たとえすべてがフィクションであっても、シュタイナーには感謝できる 気がします。 シュタイナーのような霊的カリスマの人は周囲の人に期待されたり 相談されたり、とても重荷を負っていたのではないかと思います。 この講では未来の人間は自我を広められた意識霊体、 霊我→生命霊→霊人 と進化していくと説明されています。霊人に近付くほど神様化します。 自我意識の成長はカルマを克服する倫理、道徳ととも大きく培われるそうです。 シュタイナーは、カルマを克服しあう道徳的な共同体の必要性について述べています。 この理想的な共同体については、あまり現実的ではないような感じがします。 これまでシュタイナーはカルマの克服には長い転生が必要であるという 宇宙的な壮大な時間の視点で語っていたのに、 共同体でカルマを克服しあうという考えは、やや焦りがあるように 感じられます。 おそらくシュタイナーは強い責任感から周囲の人のカルマを自分の身に 抱えがちになっていて、対処の法をいろいろ案じていたのではないでしょうか。 個人崇拝の依存形体は、自分の業や罪悪感を崇拝者に肩代わりに背負ってもらって、 安心感が得られる感じがしますが、多くを背負わされている 責任ある者なら大変な重荷に感じるのではないでしょうか。 カリスマもこの負担からの解放されるために、支配型から各々の自主をもたせる教育型に成長していくのではないかと思います。 こう考えると最強カリスマである神様も、みんなに崇拝されて大変になってきたので、 人間に自主的自我をもたせて負担から解放されたかったのではないか、と思いました。 [テーマ研究]カテゴリの最新記事│<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |
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