カテゴリ:天皇はどこから来たか
新しいウィンドウが開いたら、その地図の右下に ポインターを合わせてクリックしてさらに拡大。 『地図で訪ねる歴史の舞台-世界- 最新版』 帝国書院 23-24ページ イリ地方には、イシク湖付近の他にも古代の墳墓がある。 《 アルマトゥイから約200キロ東にあるアルテインーエメル国立保護区内イリ川右岸にあるバシャテイル古代の共同墓地(BC5-4世紀)があります。 イシク湖の黄金のプリンスとほぼ同時代であり、その当時この地方には黄金文化が栄えていただろうと思われる。この民族は金細工に長けていたらしく、ベルトや、衣類の飾り、髪飾り、胸飾りといった宝物が残っている。そして、埋葬にもそのような飾りが使われていた。では、この黄金はどこから持ってきたのか。アルタイではないかと私は思う。 シルクロード写真館(中央アジア編) アルマティはかつてカザフスタンの首都で、アルマトイと称していました。それよりさらに古い地名だったアルマ・アタはカザフ語で「リンゴの父」を意味します。 またまた「アタ」が出てきた。(^^) 以前述べたように、私はアタをアルタイの騎馬民族と関連する地域だと想像している。 イシク湖、アルマティ、そしてイリ川流域をイリ地方と名づけておこうと思う。墳墓の時代よりやや下るが、紀元前2世紀(一説には紀元前4世紀)頃の崇神天皇から数代に渡って天皇および皇族に「イリ」という言葉がつく名前が頻出する。 崇神天皇:御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりびこいにえのみこと) 皇子:活目入彦五十狭茅尊(いくめいりびこいさちのみこと、垂仁天皇) 皇子:豊城入彦命(とよきいりびこのみこと) 皇女:豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと) 皇子:大入杵命(おおいりきのみこと) 皇子:八坂入彦命(やさかいりびこのみこと) 皇女:渟名城入媛命(ぬなきいりびめのみこと) 垂仁天皇 皇子:五十瓊敷入彦命(いにしきいりびこのみこと) 妃:渟葉田瓊入媛(ぬばたにいりひめ) 妃:薊瓊入媛(あざみにいりひめ) 皇女:両道入姫命(ふたじいりひめのみこと) 景行天皇(大足彦忍代別尊 おおたらしひこおしろわけのみこと) 皇后:八坂入媛命(やさかいりびめのみこと。) 皇子:五百城入彦命(いおきいりびこのみこと) 皇子:五百城入姫皇女(いおきいりびめのひめみこ) 皇子:五十狭城入彦皇子(いさきいりびこのみこ) 皇子:高城入姫皇女(たかぎいりびめのひめみこ) 皇子:稲背入彦皇子(いなせいりびこのみこ) 皇子:若木之入日子王(わかきのいりひこのみこ) 皇子:十市入彦命(とおちいりびこのみこと) このように「イリ」がつく名前が多いので、イリ王朝というのがあったのではないかとも言われている。そう、中央アジアにあったのだ! 10代目あたりからイリ地方で統治した天皇がいたに違いない。 ところで、崇神天皇は、師木の水垣宮(古事記)で天下を治めたという。師木がイシクを意味するだろうということは以前に述べた。そして、水垣宮が湖などの水辺にあったことを意味しているのではないかと思う。三方を水に囲まれていれば、守りやすいことはたしかである。したがって、崇神天皇はイシク湖畔に王宮をおいていたことになる。 ※歴代天皇に関する事柄は《神武天皇(ウィキペディア)》下部の一覧リンクが便利。 人気blogランキング ↑この記事が役立った方、またはこのブログを応援してくれる方は、是非こちらをクリックしてください。 無料メルマガ『皇位継承Q&A』創刊!そして、皇位継承問題に無関心な知人の方にも ご紹介・ご推薦いただけると幸いです。 私の第2ブログ「時事評論@和の空間」もよろしく 目次 ブログ散策:天皇制の危機 も合わせて御覧ください。 ブログをもっている人は、ぜひ女系天皇反対をアピールしましょう。一人でも多くの人の目に触れて広く国民に注意を喚起することが大切です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年12月20日 19時18分10秒
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