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2006年05月12日
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和



これから展開する話は、天皇は中央アジアからやって来たとする私のファンタジーである。


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イリ地方

『地図で訪ねる歴史の舞台-世界- 最新版』
帝国書院 23-24ページ


 そもそもここでの養蚕の話は、高天原で養蚕をしていたという日本神話から発展・展開させているものである。だが、その高天原の織女は皇室に連なる神であろうか? 定かではないが、おそらくは使用人の下女だったと思われる。すなわち、高天原も王族と家来の家系があったに違いないのである。そこで、高天原の神々がすべてワハン回廊あたりにいた人間であると仮定して、天照大神の一族と織女などの一族とは民族的に異なっていると考えてみたい。

 あらかじめ結論めいたことを書いておくと、天孫とされる民族は不明だが、その家来は中国西域周辺の遊牧民族ないし騎馬民族だったと考えておきたい。養蚕の起源を追っていっても、直接に皇室の起源には至らないと思うが、皇室の周辺に仕えていた民族が明らかになってくるのではないかと思うのである。

 これまでの話では、ホータン(和田)やピーシャン(皮山)などのタリム盆地南部のオアシスで養蚕をしていた民族がいるのではないか、そして、彼らと接触したであろう遊牧・騎馬民族(具体的には月氏)が絹製品を運んでいたのではないか、という見解が提示された。日本において養蚕や機織りで天皇家を助けていた有名な一族は、秦氏である。この秦氏の起源を追っていくと、やはり中国西域やその北部に至るのではないかと思われる。

 天皇家はあくまでも日本に最初から住んでいて、秦氏その他の渡来人が応神朝以降に盛んにやって来て天皇家を助けたのだというのが、一般的な歴史観である。しかし、そんなにたくさんの“外国人”を安易に受け容れられるだろうか? これは古代史におけるひとつの謎ではないかと思われる。少なくとも日本人というアイデンティティがあれば、それは非常に困難であろう。むしろ、ずっと以前からの天皇の家来の親戚や同族だったから、その家来を通して多くの渡来人を受け容れることができたのではないかと思う。

 歴史的事実かどうか疑わしいが、秦氏は秦の始皇帝の末裔だとされている。だが、その秦は、中国(中原)の西部に興った国であり、おそらくは中国西域から移動してきた民族の末裔だったのではないかと思われる。王族の末裔かどうかは別としても、秦氏が中国西域からやって来た民族の末裔であった可能性は大いにあろう。

三神たけるのお伽秦氏
秦氏は第15代・応神天皇の時代に、朝鮮半島から渡来してきた。そのとき、秦氏一族を率いていた首長の名を「弓月君(弓月王)」という。弓月とは、弓張月、すなわち三日月を意味する。
 秦氏はシルクロードの民であり、かつては西アジアに住んでいた民族である。地図を広げてみると、かつて天山山脈の近くに「弓月王国」があり、ここに秦氏が存在していた可能性がある。弓月君=弓月王という名前も、弓月王国に由来するのではないかともいわれている。
 しかし、はたして、それだけだろうか。秦氏が月読命を祀っている事実に、もっと注目したい。というのは、『日本書紀』の一書では、月読命のことを「月弓尊」と表記しているからだ。「月弓尊」と「弓月君」、弓と月が引っ繰り返っているが、両者は無関係ではあるまい。


 秦氏は大酒神社をつくった。彼らは酒造りもしていたので、それで大酒という名前がついた可能性も高いが、これも昔は大避神社・大辟神社であり、さらに昔は大闢神社と書いた。そして、ユダヤ王ダビデを中国では大闢と表記する。ここから秦氏ユダヤ人説も出てくる。これもどこまで本当かはわからないが、彼らがユダヤ文化(といっても失われた十部族の古代イスラエル文化)を継承していた可能性は十分にあるのではないかと思う。すなわち、秦氏によってユーラシア大陸の西の果ての文化が日本にもたらされた可能性がある。


 養蚕信仰としては、オシラ様がある。おそらくは蚕の白や絹の白を敬ってオシラ様と読んでのではないかとは思うが、オシラさまで調べていくと、バール信仰にまでたどりつくという見解もある。名前の単なる偶然の一致かもしれないが興味深い。

摩多羅神3
大酒神社の本社である木島社の「養蚕神社」から探っていくと、秦一族が、ペルシャ人も含む西域種族であったとしたら、カナンの神名オシラー女神を拝していた可能性は高いのである。オシラーは雌牛であるので、牛祭と摩多羅神を説明しやすい。日本での秦一族の主要な養蚕発展地では、カナンの神名オシラーが「おしらさま」として広く信仰されていた。日本にカナンのバール神オシラーが、そのままの音で崇拝されている。今も、東北地方に「おしら祭り」として生きている。加えるに、オシラー女神は”雌牛”であるので、牛祭の”牛と摩多羅神”の関係をすっきりとさせる。この場合、”牛祭”は、”蚕の祭”の変形とみることになる。



 ちなみに、馬鳴菩薩も蚕神として祀られるが、これは「インドに実在した馬鳴菩薩ではなく、貧窮の衆生に衣服を与える菩薩として祭られる養蚕機織の尊」らしく、「その像容は、馬にまたがり脇侍を従えて雲上を緩歩する、六臂の菩薩形であらわされ」、「乗馬の周辺の脇侍達は、蚕室、蚕命、蚕印、蚕母等の諸童子、その前方に唐服を着た啓請供養の一弟子が合掌して立つこともある」(→《馬鳴菩薩 菩薩部(菩薩)》。

 かつて《養蚕起源の伝説(1) ~天皇はどこから来たか》で言及したような中国の馬伝説が、“馬”鳴菩薩という名前と結びついたために生じた信仰ではないかと思う。それにしても、わざわざ“絹の衣”を与えてくれるとは、なかなかありがたい神様である。(笑)




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最終更新日  2006年06月30日 17時28分15秒
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