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2006年05月17日
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和



これから展開する話は、天皇は中央アジアからやって来たとする私のファンタジーである。


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フェルガナ盆地周辺
『地図で訪ねる歴史の舞台-世界- 最新版』
帝国書院 23-24ページ
最古の住居『アジア大陸歴史地図』東洋書林 15ページ


 古事記には「伊邪那美神は、出雲国と伯伎(伯耆)国の境にある比婆の山に葬られた」とある。したがって、比婆は現在の島根県と鳥取県の境あたりに存在すると考えられている。しかし、私の原始ヤマト民族起源中央アジア説では、ここはアラル海の東南に比定される。そこには、ヒヴァという古い町があるのだ。(上側の地図の左上部分。ウルゲンチの西にヒヴァの遺跡がある。アラル海は、地図の左上方向にある。)


 ヒヴァはホレズム州にある。ホレズムとは「太陽の国」のこと。年間300日は雲ひとつ出ない過酷な土地で、アム・ダリヤ川の流れに翻弄されてきた。流れが変わる度に町はその川に沿って移動した。その古代ホレズム王国の都城跡は数百kmにわたって点在し、その数は1,000を超えると言う気が遠くなるような規模である。
 ヒヴァには現在、20のモスク、20のメドレセ、6基のミナレットを始め数多くの遺跡が残されており、1969年に町全体が「博物館都市」に指定され、1990年ユネスコの世界遺産に登録されている。


前6~前3世紀頃:
 ヒヴァは古代ペルシャ時代(前6~前3世紀) からカラクム砂漠への出入口のオアシスの町として存在していた。


 八岐大蛇は氾濫する川だろうとも言われている。しかし、流れが変わっても農民は翻弄される。八岐大蛇退治の話は、ここが原型だったのではあるまいか。櫛名田姫は、「奇(く)し稲田」姫ではないかとも言われている。しかし、ヒヴァの南方700km位(?)にクシカという場所があり、クシカの稲田姫ではないかとも思われる。いや、ひょっとしたらこのクシもまたヒンドゥークシ山脈のクシかもしれない。そんな山岳地帯に稲田はないが、アム川の中上流にある稲田であれば、ヒンドゥークシのほうにある稲田という意味にもなりうるだろうし、ヒンドゥークシ出身の稲田姫と解することもできる。

 時間的にはヒヴァが存在したのは神武天皇即位より後になり、矛盾が生じてしまうが、そもそもオアシスの町として繁栄する以前に、その基礎が築かれているはずであり、八岐大蛇を退治する話は、そのような町の起源譚のようなものだったのではなかろうか。

 「比婆の山」と言われるが、ヒヴァには山はありそうもない。だからヒヴァとは無関係だという反論があるかもしれないが、我々は丘でも「山」という場合もあるし、盛り土でも野菜などを皿に積み上げても「山」と呼ぶことすらある。ということは、この「比婆の山」は古墳のようなものを意味していたのかもしれない。現在ヒヴァに行ってもそのような形跡はとうの昔に完全に消滅しているだろうが。


 さて、出雲国と言えば、たたら製鉄で有名だが、アラル海の周辺でも鉄の文化があったという。

神話の空間 渡辺 豊和(日本ペンクラブ:電子文藝館)》
時代はBC5世紀頃のものであるがカスピ海の東方アラル海に東南から流れ込むシルダリアの流域で極めて発達した鉄文化の遺跡が発掘された。この遺物を使用していたのはイラン系の諸民族と言われている。

 もし東南から流れ込むのなら、シルダリア川(シル川)ではなくアムダリア川(アム川)ではないかと思う。この遺跡がヒヴァなのかどうか、私はまだ確認できていない。

 《たたら製鉄の方法(日立金属)》によると、たたら製鉄は鉄原料として砂鉄を用い、木炭の燃焼熱によって砂鉄を還元し、鉄を得る方法である。ということは、砂漠で製鉄をしていたはずである。

 ちなみに、この「カラクム」という砂漠の名前は「黒い砂」の意味だから、ここは砂鉄が豊富な場所だったと思われる。《「砂鉄」再発見》によれば、砂鉄は黒錆なのである。ヒマラヤ山脈はインド亜大陸がユーラシア大陸に衝突して出来上がったと言われているから、私の想像では、その当時ヒマラヤ山脈の西のヒンドゥークシ山脈でも火山活動が活発になり、そこで産出された鉄を含んだ火成岩がアム川によってアラル海付近まで流れてきたのではないかと思う。


 須佐之男命は、高天原を去って母の国(伊邪那美神の国)に行こうとしていた。したがって、彼はニニギノミコトに先立ってヒンドゥークシ山脈のあたりからアム川を下っていき、ヒヴァのあたりに到着したのであろう。そうすると、アム川が流れ込むアラル海の彼方に、黄泉の国があるとも想像される。このような神話的文脈を考えると、母の国とか常世の国というのはアラル海の彼方に想定されていたのではあるまいかとも思う。

 いわゆる俗説では、須佐之男命は「スーサの男」の意味であると言われることがある。現在でこそスーサはペルシャ湾岸から北に200kmくらい離れてはいるが、古代では湾岸線もっと内陸に食い込んでいたようなので、かなり湾に近かったかもしれない。もし彼がスーサ出身ならば、本来は海を治めるべき須佐之男命は、南下してペルシャ湾に向かうのとは正反対に、北上してアラル海東南部のヒヴァに至ったのだということになる。ヒヴァに到着する前に、須佐之男命が高天原すなわちアム川上流まで出掛けていったかどうかはわからない。だが、同じ川の上流と下流ならば何らかの交流はあっただろうし、だんだんと須佐之男命の話が高天原神話に吸収されていったのではあるまいか。

 須佐は「スーサ」ではなく「すさぶ」から来ているのではないかという考え方もできよう。須佐之男命は根の国へ行きたいといって泣き暮らした。その様子は「青山は枯山の如く泣き枯らし」、「河海は悉(ことごと)に泣き乾しき」と表現されているように、砂漠化を暗示するとともに、心が激しく荒んでいく象徴的表現ともとれる。そして、この「すさぶ」感覚は、蹈鞴(たたら)の風をも暗示しているのではないかとも思う。





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最終更新日  2006年06月30日 23時22分43秒
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