カテゴリ:天皇はどこから来たか
これまでの回では、天皇家は古代イスラエル民族のうちユダ族やガド族の出身であるという説を紹介してきたが、今回は、天皇家が古代イスラエル民族のうちエフライム族の出身であるという説を紹介する。話のネタとしては、ノーマン・マクレオド&久保有政『[超図解] 日本固有文明の謎はユダヤで解ける』(徳間書店)を主に参照している。( )の頁数は上掲書の該当個所を指す。 『旧約聖書』によれば、ヤコブ(別名イスラエル)にはユダやガドなど12人の男子がいた。そのうちレビの子孫は神に奉仕するために相続地を与えられなかったが、その代わりにヨセフの子であるマナセとエフライムがそれぞれに相続地を与えられたので、一般にイスラエル12部族と言われている。 ヨセフは兄たちに迫害され、エジプトに売られてしまうが、そこで出世してエジプトの宰相にまでなる。そして、ヨセフはエジプトのオンの祭司ポティ・フェラの娘アセナテを妻とし(創世記41:45)、マナセとエフライムが生まれる。オンはエジプトの太陽神崇拝の中心地である。オンは、ギリシャ名でヘリオポリスであり、それは「太陽の都市」の意味である(296頁)。 仮にヤコブの12人の子が白人だったとしても、エジプト人が黒人であるから、ヨセフの子孫に関しては混血によって見かけが黄色人種に近くなる。そして、なによりも太陽信仰を受け継いでいる可能性がある。それに、エフライム族から北イスラエル王国の王族が出ている。 南ユダの王ヨシヤ(治世は紀元前639~608年)は、異教的風習を排除して純粋なヤハウェ崇拝を行なおうとした宗教改革者でもある。彼は「ユダの王たちが太陽に献納した馬を……主の宮の入り口から取り除き、太陽の車を火で焼いた」(列王記下23:11)とあるから、それまでのイスラエルでは、歴代の王が太陽に馬を捧げるという異教的風習が行なわれていたことがわかる。(141~142頁) 南ユダ王国でさえも太陽神崇拝が行なわれていたのだから、血縁的にもエジプトの祭司に近い北イスラエル王国のエフライム族は、さらに強く太陽神を崇拝していただろう。現実問題として古代イスラエル人はつねに異教的風習を受け容れがちだったのであり、彼らが最初から最後までヤハウェだけを崇拝していたなどということはあり得ないのである。 久保有政は、 ユダヤ人研究家ヨセフ・アイデルバーグによると、神武天皇の名前である ヘブライ語と日本語ではだいぶ発音が違うように思われるかもしれないが、上記の子音(と半母音)のみのヘブライ語をアルファベット表記すると“QMW YMTW‘VRY BKWR SWMRWN MLKWTW”(後者ではBQWR)となり、これに日本語に近い母音を付け加えて“qamwu yamatwo‘ivarye bikwor swumerawn milkwotwo”と読めば、かなり近くなってくるのではないかとも思う。ここまでくれば、神武天皇は古代イスラエル人のエフライム族であったという説に信憑性が増してくる。 ただ、ヘブライ語による解釈については人により多少の違いは出てくる。たとえばこんなサイトもある。 《日本とユダヤのハーモニー 第12章 神武天皇こそ大和を平定したイスラエルの偉大なリーダー!(成田シティージャーナル)》 ヘブライ語で「KUM」、「カム」という言葉は、群れを大量に集めるという意味を持っているのです。するとカム・ヤマトがごく普通に「神の民を大勢集める」という分かりやすい意味になります。 神武天皇は長子ではないのでビコを初子と解釈するのは少し無理があるように思われる。 ヘブライ語のqamで考えるなら、これは「立つ、立ち上がる、起きる;目覚める、活動を開始する;襲いかかる」の意味があるので、カムヤマトは「神の民の活動開始」ということで、神武天皇にふさわしい名前であろう。 天皇家はエフライム族であるという説は、だいたい以上のような論拠をもとにして主張されている。もちろん、天皇家にユダヤ文化が採り入れられただけであって男系血統としてはユダヤ民族ではないという考え方も十分に成立する。というか、そのほうが普通まともな考え方だ。(笑) 人気blogランキング ↑この記事が面白かった方、またはこのブログを応援してくれる方は、是非こちらをクリックしてください。 「p(^o^) 和の空間」の Window Shopping |
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