これから展開する話は、天皇は中央アジアからやって来たとする私のファンタジーである。
八百がヤハウェなら、
五百(だってヤハウェかもしれない。“Yaho”か“Yiho”の違いだからである。
そこで、五百のつく語を記紀のなかに探してみると、五百木之入日子命、五百引、五百箭、五百箇御統、五百箇真坂木、五百箇野薦、五百箇竹林、五百城入彦命、五百城入姫命、五百野皇女、がある。ところが、どうもこれらは明確にヤハウェを暗示しているようには思えない。
だが、五百とちょっと似た発音でヤハウェと密接に関連している可能性のある単語がある。それは「
意富(」である。ただし、「意」をオと読むのは非常に変則的だと思う。藤堂明保『漢字語源辞典』によると、たしかに呉音ではオ・イと読むのだが、周ではyiog(yiはイ・ウムラウト、この段落の o は e の逆さ字が正しい音),六朝ではyiei,漢・唐・元ではイである。「噫」「憶」「臆」などは意の音を借りているから、意がもともとオやオクという発音であったのかもしれないが、とくに「憶」は“yiok”という発音であることに注意したい。また、「富」をホと読むのも変則的である。ふつうはフかフーだろう。すると「意富」はもともと“yiokhu”すなわちヨッフーかヤッフーのような発音だったのではあるまいか。フーをフウと考えれば、ますますもってYHWを連想させる音になる。
そこで、意富のつく人名を探ってみよう。そうすると、いかにもヤハウェくさい面々が浮かび上がってくる。
まず、ヤハウェではないかと私が想像している大物主神を祀った
意富多々泥古(があげられよう(『新編日本古典文学全集 古事記』小学館 p.183, 185, 188)。大物主神は大三輪の大神であるが、これは意富美和之大神とも記される(『古事記』p.185)。
次に、
意富 臣 (がいる。これは、ヤハウェ神官ではなかったかと思われる神八井耳命の子孫である(『古事記』p.163)。意富氏は、
飫富(氏、於保氏、多氏、太氏、大氏などとも書かれる。したがって、富がやがてホと読まれるようになっていったのだろう。
《
大田・太田・多田・オオタ》によると、
大和国十市郡飯富郷 神奈備
『大和考』橿原市飯高町に比定。飫富が飯富に、飯富が飯高に誤写が重なったのでしょう。
という。私としては、オホがイイホに、イイホがイイコーになってイイダカになったのではないかと思う。ちなみに「飫」は、呉音ではオだが漢音ではヨである。そして、富→高は、ホー→コーという転訛だったのではあるまいか。するとここにはヨホーという発音が隠れていたことになる。
また、意富は尾張氏とも関係が深いと思われる。意富那毘は尾張連らの祖である(『古事記』p.173)。崇神天皇の妃の意富阿麻比売(『古事記』p.181)もまた尾張連の祖とされる。さて、尾張連の祖神は
天火明命((『新編日本古典文学全集 日本書紀1』小学館 p.150)だが、これは、『古事記』に天火明命、『日本書紀』に火明命、天照国照彦火明命、また『先代旧事本紀』には
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(と記されている。そして、この饒速日尊は物部氏の祖でもあり、また彼を大物主神と同一視する説もある。
饒速日尊─┬天香語山命→尾張氏
│
└宇摩志麻治命→物部氏
意富夜麻登玖邇阿礼比売 命 ((蠅伊呂泥ともいう)は孝霊天皇の妃となって(『古事記』p.166)、
夜麻登々母々曾毘売 命 (を生み(『古事記』p.171)、この娘が大物主神の妻となった(『日本書紀1』p.283;ただし
倭迹迹日百襲姫 命 (となっている)。
意富のつく人物のすべてをヤハウェと結びつけることは不可能だが、これだけでも十分にヤハウェくさい人物や神と関連していることがわかるだろう。
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