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2007年02月09日
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和


これから展開する話は、天皇は中央アジアからやって来たとする私のファンタジーである。



 日本人とユダヤ人が同じ祖先をもつというのは、昔から言われてきている説である。ネット上でこの「日ユ同祖論」をよくまとめているサイトがあったので、参考までに提示・掲載しておく。


「日ユ同祖論」の謎》が充実しているかな?



日ユ同祖論が真実ならば・・・
500 名前: ハダ 投稿日: 01/09/24 11:01

ひさしぶりです、証拠をだせ!という話がありました、
以下、有名なのばかりだけど...

●万世一系の祭祀王たる天皇家とイスラエル王家の類似。
神嘗祭、新嘗祭、大嘗祭など重要な皇室行事とユダヤ仮庵の祭りの酷似。
●正月、餅、七草粥、御盆、盆踊り、出産、お七夜、婚儀...の類似。
●天皇家の始祖といわれる「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」
(古事記、日本書紀の公式名、諡、神武天皇、ニニギ)の撥音は意味不明、アイデルバーグのヘブル語的解釈では「サマリヤの王、ヤハウェのヘブル民族の高尚なる創設者」
●「ニニギとヤコブ」神話、「山幸彦とヨセフ」神話、「天皇家とエフライム族の家系図」の類似。
●十氏族のひとつゼブルン族の紋章の「船」と秦氏の古代家紋「船」は類似。
●日本の神官の祭事服にある「房」と古代イスラエル人の風習の「房」は同一 。
日本習字教育財団会長だった原田氏(故人)は秦氏の末裔で先祖はイスラエルと公言、家には古来からの「房」があった。
●森有礼(明治の文部大臣)は伊勢神宮の三種の神器のひとつ「八タ鏡」の裏面にヘブル語「エヘイェ・アシェル・エヘイェ」(I AM THAT I AMを意味する出エジプト記3-14の有名な言葉)をみたと主張。そのレプリカは皇居の賢所にあるが、天皇さえみてはならない。他にこれをみたのは戦後GHQ将校、青学の左近博士。(森有礼説を追認したという噂)
●昭和27年、ある夜ミハエルコーガン、三笠宮グループがこの真相を調査しようと盛り上がったところ、翌日同席していた東京イブニングニュースの支局長により同紙にスッパ抜き記事がでた。
調査されたかどうかは不明だが、海外でもこのニュースは話題となる。その後、元海軍将校の矢野祐太郎が伊勢神宮宮司から密かに写生させてもらったいう模様のコピーをトケイヤーが入手、神代文字、アラム文字、ヘブライ文字に似てはいるがなんとも判読しがたいものらしい。



501 名前: ハダ 投稿日: 01/09/24 11:03

●日ユの神社の基本構造、警備、交代方式は同一、偶像禁止、神官の祭事服、お祓い、菊の紋章の同一性。
●山伏のと金(額の黒い箱)とユダヤのテフィリン、法螺貝と角笛、意味不明の民謡のヘブライ読み、お清めの塩、事前に体を洗う風呂の入り方、お辞儀の習慣、石の柱、穢れ、言霊思想。
●お神輿と「契約の箱」(失われたアーク)、神主の白いリネン、お供えの餅と種無しパン(マツァ)
●皇室にある古代の織物にはイスラエルの神殿がかかれている、古い神社にあるお月見に使うラバに乗った天皇、駱駝、羊、羊飼いの絵(ユダヤ同様、旧暦8.15には仮庵をつくる)
●琉球の墓とユダヤの墓の同一性、ユダヤ過越の祭りと看過牛(魔よけ)の風習(島に多い)
●諏訪神社の「御頭祭」はイサク伝承と酷似、同じ撥音の「モリヤの神」(ヤハウェ)、ミサクチを祭る。
●『古事記』には、日本の国造りが「伊邪那岐命」と「伊邪那美命」によって始められたことが描かれている。「那」には「西方の異民族の国」という意味がある。また動詞として、「移動する」の意味もある。



502 名前: ハダ 投稿日: 01/09/24 11:10

以下、あくまで伝承、あるいは後世の作成でしょうが...

●京都の大酒神社はもとは大辟(おおさけ)神社と称され、祭神を秦始皇帝、弓月王(ゆんずのきみ・ゴンユゥェワン)、秦酒公(はたのさけきみ)。秦始皇帝14世の孫、功満王(こうまんおう・ゴンマンワン)が中国の兵乱を避けて来朝し、ここに勧請したのが始まり。この功満王の子とされる弓月王が百済から(広隆寺伝)127県18、670余人を統率して渡海、その孫が酒公だとされる。(日本書紀)畿内で40万の人口と推測されている当時、これは5%にあたる。
この神社の門柱には「ウズマサ明神」をまつっていると書かれている。ウズマサとは、「ウズ・マサ」イエス・メシヤを意味するアラム語イシュ・マシャからか? もう一つの門柱には「機織管絃楽舞之祖神」ともある。「大辟」つまりダビデ(ダビデの子であるイエス?)の漢訳(中国ではダビデ大王を大闢(ダーピー)大主と表記) ダビデは、竪琴の名人。雅楽・楽器は、ペルシャ楽舞に源流を見ることができ、シルクロードを通って渡来。
●弓月王は中国の巨丹(新彊・ウイグル自治区のホータン)に生まれ、弓月国とは、敦煌よりさらにはるか西にある原始クリスチャン国。
陽関地方を含めた120県から一族を集めて、AD238年に大挙し
て日本に移住して来た。この地方に「弓月の君、百二十県の民を率い、大挙して日本に渡来、移住す。」(史記)という記録が残されている。
●当時のシルクロードはユダヤ人、ペルシャ人が支配。旅程6日ごとにシナゴーグが置かれていたともいわれる。
●兵庫県赤穂郡坂越町、大避神社(おおさけ)。天照大神、春日大神、大避大神をまつる。秦氏の祖霊を祀った古社。大避大神とは、「大辟」つまりダビデの漢訳(秦河勝を祭神とする分祀は三十余社あった)
●秦河勝(はたのかわかつ)の所持した神楽面をご神体として小祠をたてた大避神社。神楽面は正倉院の湖王面と近似、頭上に天使ケルビムの像が彫られている。河勝は雅楽の祖ともいわれる。観世弥、世阿弥親子は秦河勝の直系子孫



503 名前: ハダ 投稿日: 01/09/24 11:11

●木嶋坐天照御魂神社
通称「蚕の社」とよばれている秦氏創建の神社。 以前には「景教徒・キリスト教・ネストリウス派の秦氏が・・・」と由緒書にあった。代々、秦氏系の神服氏が宮司を務める。(ユダのヘブル語発音は、エフダで訛って秦(ハダ)になったといわれる)
境内に清水がわき出す泉があり、「元糺の池」の中央に鳥居が立つ。
日本で数少ない三方が正面となっている「三柱鳥居」があることで有名、他に山口、東京の三井家の神社も「三柱鳥居」(キリスト教三位一体を表わしているといわれる)。どの方向からも正面として池の中央にある御神体の「泉」を参拝できるように工夫されている。
古来「元糺の池」では禊ぎをしていたが、その後、秦氏関連の下鴨神社の「糺の池」にその習慣は受け継がれ、平安時代には天皇家が土用の丑の日に禊ぎをしていた、現在の「御手洗祭り」。
天皇家の「葵祭り」で有名な上賀茂神社と下鴨神社は秦氏の縁戚神社のひとつ。
●ユダヤ、キリスト教の「洗礼(バプテマス)」と神道の禊ぎは類似しているが、イスラエルのバプテマスの池と「元糺の池」、下鴨神社「糺の池」の階段建築構造も類似している。
●広隆寺
山城最古の寺院、別名「蜂岡寺」、秦公寺、葛野寺、太秦寺とも。
秦河勝が聖徳太子の命により(推古天皇11年603年)建てたもの。「南蛮寺」ともいわれていた。
江戸後期の儒学者:大田錦城は、この寺について「寺という名はついているが仏教の寺ではない。景教の寺である。」といっている。国宝第一号で有名な『ミロク菩薩』 があり、菩薩の指の形が、キリスト教三位一体を表わしているともいわれる。(西域の十字架を持つ景教僧侶の指の形と同じ)
●この寺の横には、万葉集にもでてくる『いさら井』 という井戸が今でもあり、「イスラエルの井戸」「ヤコブの井戸」と指摘する学者もいる。昔は十数ケ所にあった。



504 名前: ハダ 投稿日: 01/09/24 11:14

以下、コピペですが参考まで

●「牛祭」
京都右京区太秦、大酒神社(おおさけ)の牛祭は京都三奇祭の一つ。かつては神社祭であったが、現在は、広隆寺が行っている。そのため、広隆寺の「牛祭」と広く言われるようになってきている。十月十日(夜8:00頃)に奇妙なお面をつけて牛に乗った摩多羅神がお出ましになる。赤鬼、青鬼、二人づつ先導にして、広隆寺西門から出て行列をする。やがて、山門の前を通り、東門より境内に戻る。薬師堂の前の祭壇を牛に乗ったまま三周したあと、祭壇に登り、赤鬼・青鬼とともに祭文を読みはじめる。独特の節回しで長々と厄災退散を祈願する。その間も、祭の世話役や見物人などから、やじが飛ぶ。最後に、祭壇から薬師堂の中に駆け込んで終わりとなる。摩多羅神の祭りは、かつて「おどるもあり。はねるもあり。ひとえに百鬼夜行(ひゃっきやぎょう)に異ならず。(太秦広隆寺祭文)」と言われ、昔は、かなり乱痴気な祭と言われているが、今は整然とした儀式である。摩多羅神のいでたちは白衣装束に紙をたらした冠をかぶり、その頭巾には北斗七星を載いている。この奇相でおかしな摩多羅神、サンスクリットないし、インドの俗語であるといわれるも、その語彙は特定できない。
●摩多羅神の語源諸説/ヘブル語でオシラー女神か?
摩多羅はシュメール・インド・中国秦山をへてやってきた牛母女神?
広隆寺では摩咤羅神の字が当てられ、「まだら」と読み下されている。サンスクリットでは摩多(マーター)は母を意味し、羅(ラ)は火、ないし太陽を意味する。「母なる太陽」アマテラスの意味にもなる。
*摩多羅神が読み上げる祭文は叡山の高僧・恵心僧都(えしんそうず)の作とされる。そもそも牛祭の 由来は、恵心僧都が900年前に念仏守護の神として勧請して、国家安全、五穀豊穣、魔障退散のご祈祷法会を行ったのが起りとされる。
http://home10.highway.ne.jp/ikko/Japanese/Frame_N_J.html



--------- 引用はここまで ---------





 今回は引用ばかりになったが、長くなったのでこのへんで。




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最終更新日  2007年03月31日 22時53分46秒
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