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ひたすら無題

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2005年03月24日
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カテゴリ:Blog

(本当にブログの隆盛で検索結果の質は落ちたか?)

さて、前回の「本当にブログの隆盛で検索結果の質は落ちたか?」ではブログのせいで検索結果の質が落ちているとは言えないと結論付け、ydando氏の主張が間違っていると反論を行った。
今回は『ydando氏が不要としているものが重要なのだ』という観点で話を進めていきたい。

ブログの現状はそれほど素晴らしいか

 インターンネットの情報の99%はゴミであるというのは、生まれた当初から言われていることだ。もちろん、情報のやり取りをしている当事者にとっては、世間話であっても意味がある会話であり、ゴミかどうかは情報を探している人の立場による。キーワード検索が引き出してくれるリストは、その市民社会の知のレベルが現れているとも言える。はっきり言ってGoogleが返してくれる検索結果の質は、落ちている。言論は自由。だからこそ、ネットの書き手は考えねばならない。プロだと言っている人なら、もっと考えねばなるまい。

ネット右翼的な思考回路は限界~若隠居さんへのお答え

ちょうどgooやinfoseekが立ち上がった瞬間から検索エンジンを利用してきました。リンクの相互分析を使い、この数年で熟成してきた検索結果が、ブログの隆盛で雑音だらけになりつつあります。

■ブログを純度の高い情報源とする

ydando氏による「ブログ発展に伴い検索結果の質が落ちた」という主張だが、私はここで疑問を一つ提示したい。「何故検索結果だけにこだわるのか?」と。ブログツールの重要な特徴の一つにトラックバックがあるではないか。

トラックバックについての考察 (CROSSBREED クロスブリード!)

ここで「啓蒙型トラックバック」と分類されているものに注目したい。実は『関連情報』を収集するなら、検索結果を上から順にクリックするより役に立つ。

上手く指定すればそうでもないんでしょうが、検索エンジンはキーワードしか見ませんからね。確かにトラックバックなら『単語』という関連で集められた検索結果と違い、『話題』で関連情報が集められますから便利ですよね。昔だと気に入ったサイトのリンク集を巡るというフローでしたが。

その場合『サイトの傾向が類似』だとか『管理人の情報ソース達』のような大きな単位になるから、ピンポイントに探すなら検索エンジンのほうが効率が良かったんだ。トラックバックにより『関連した話題』という詳細な単位で繋がるようになったというのは重要な点だろうな。『違った切り口の意見』も聞きたいならまさにうってつけだ。『批判意見は消す』等と、自ら質を落としおるようなものだ…実に嘆かわしいやら勿体無いやら。

ともかくydando氏の意見においては検索エンジンばかりが取り上げているが、ブログツールにより『検索エンジン使ってヒットしたサイトからトラックバックを辿って情報収集する』という情報収集フローが追加されていることを忘れてはならない。人は検索エンジンのみにて巡るにあらず、だ。

もしも『ゴミである』と言うスタンスに立つなら、挨拶トラックバックやトラックバックspam等の言及が欲しいところですね。

確かにBlogの隆盛で最も『汚れた』のは検索エンジンより、Myblog japanのような pingサイトだからな。楽天がBlog化したときもエライ騒ぎだった。どうせ例にするGoogleより、主要なpingサイトでも上げたほうがよっぽどしっくりくると思うのだが?


ところでトラックバックの送り合いでページランクが上がることに否定的な意見もありますよね。前回のアフィリエイトの話にも関連しますが。

私としては『有用な話題が連携しあって情報の質を高めている』ならばランクが高いのはあたりまえだと思うが、挨拶トラックバックやトラックバックspamの問題もあるからな。もし可能ならトラックバックによるリンクの配点を低く抑えて、本文内のリンクへ高い点数を割り振るということは是非にやってもらいたいと思う。

トラックバックによるリンクでページランクが上がるのは、ある意味自薦ですからね。
パワーのある良質サイト管理人が『このサイトに言及したい』と思うからこそリンク先の質に信頼が置けるわけで、それこそ雑音サイトでも点数が集められるのはまりよろしくないでしょう。

ただ『このリンクはトラックバックである』という判断が難しいのがネックだな。

表示が共通化されてませんからね…。


■質の低下は望むところ?

最後に『ブログ』が―より正確には『ネット』がどの程度情報源として利用価値があるかに言及したい。
ydando氏の意見から真っ向から敵対するようだが、私個人の意見として『質より量』こそネット情報の『意義』があると考える。

世界中からインプットがあり、即時に伝達できること。容易に共有できること。デジタルデータ化しているから翻訳もそこそこ容易なため海外の情報の敷居も低いし、検索も楽だ。
これらの条件から考えれば、玉石混淆でもゴミでも構わないからともかく大量の情報を収集し、共有し、必要なものを上手く抽出するという流れこそ、アナログ媒体にないWWW の強みだと思うがね。

ネット右翼的な思考回路は限界~若隠居さんへのお答え

 ネットの議論は現状でもマスメディアの水準を凌駕していると豪語する方が多数います。本当でしょうか。そういう質の議論があることは事実ですが、広く一般市民が容易に接することが出来なければ存在しないのと同じです。「十個は秀でたものが混じっています」と千個の文書を渡されて読む人がいるでしょうか

よって、この発言自体が完璧に裏を向いている。マスメディアの水準を凌駕するポイントの1つが『量』であり、別に同じ土俵で勝負して上になる必要など全くない。
『ネットは1000の情報から必要な10を読まずに抽出できる』からこそ有用なツールなのだよ。そのための検索エンジンだし、そのためにGoogleはPageRankを導入して『秀でたもの』を客観的に教えてくれる。
だから、質がマスメディアの100分の1ならば、101倍以上の情報量で対抗すればよいだけの話。

というか『全部読まないと駄目なのか?!』という発想自体アナログ的ですよね。面倒な作業は機械に任せないと。

それから、『量の増加』は『種類の増加』でもある。ydando氏も「当事者の立場によって99%はゴミ」としているが、それは裏を返せば『誰かにとってはゴミでない』と言う事だ。質を高めるために1%の『非ゴミ』のみ残した場合、『それ以外の誰か』には100%ゴミにしかならない。既存マスメディアでは取り扱わない情報も含めて大量に存在するからこそ、『ネット』は“誰にでも有効”なツールとなりえるのではないだろうか。繰り返すが、マスメディアの得意分野で凌駕する必要はない。ネットの得意分野で越えてやればいいのだ。

情報の母集団が膨大なら、いらないものも増える代わりにどこかに自分の必要とする情報が存在する確率も増えますからね。

だからこそ検索ツールの価値も高くなるのだがな。『量が増えたから検索エンジンの質が落ちた』と言う非難は検索ツール側に向くべきものだろう。量を絞り込むのが検索エンジンの役割だと思うぞ。


ところで今の話で、最近Yahoo!に買収された写真共有サイト『Flickr』を思い出しましたよ。

ブロガーに人気の写真共有サイト『Flickr』

 9月にインドネシアのジャカルタで爆破事件が起きたとき、最初にそれを知ったのは『CNN・コム』の読者ではなかった。オンライン写真サービス『Flickr』(フリッカー)のメンバーの方が、かなり早い時期から事件の写真(写真)を見ていた。

 「Flickrが写真を掲載したのは、どんなニュースよりも先だった」と、Flickrの共同設立者であるキャテリーナ・フェイク氏は語る。「たまたまジャカルタにいたFlickrのメンバーが、1時間もしないうちに写真をアップロードしたからだ」

まさにこれこそネットワーク情報の有用性の証明といえるな。世界中のユーザから世界中へ向けて即時に情報発信できるからこそ起きた成功だろう。『情報源』の母集団が多かったから『たまたま大当たりが含まれる可能性』が高まったわけだ。

『含まれる可能性』というところがミソですね。。

勿論、書き手の責任が消えるわけではないが、可能性の石の中から玉を掘り出せる『読み手の技術』もネットの有用性を支える重要なポイントになるだろう。






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最終更新日  2005年03月25日 00時53分24秒
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