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真理探究と歴史探訪

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2016年08月17日
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一泊二日の出雲行脚の二日目(8月7日)の夕刻、いわゆる「出雲の東西軸」の西端にあって、最後の訪問地となる「日御碕」に向かった。

島根半島のほぼ西端でもある「日御碕」に行くのであれば、近くの「日御碕神社」にも参拝できれば・・・ということで、ご神前方面に車を走らせると、何だか賑やかな雰囲気である。

人通りも多く、やっとのことで車を停車して社殿に近づくと、ちょうど神輿を本殿から繰り出すところに遭遇した。そこで冒頭の画像は、その模様を撮影したものである。

境内の看板に記された由来書を読むと、当日の8月7日が「例大祭」にして、同日の夕刻が「神幸祭(夕日の祭)」と記されていた。つまり、たまたま通りがかったと思いきや、年に一度の「立秋」に斎行される「夕日の祭」に間に合うように、当社への参拝が許されたかたちとなったわけである。


ところで、当社は今まで何度か参拝しているが、いつも気になっていたのが社殿の屋根にある「千木(ちぎ)」である。

画像では分からないのだが、つまり大きな社殿「日沈の宮」(上の画像)の千木が、男神を示す「外削ぎ」なのに祭神が「天照大御神」となっており、その「日沈の宮」に向かって右上の高台に鎮座する「神の宮」(下の画像)の千木は、女神を示す「内削ぎ」なのに祭神が「素戔嗚尊」となっているところだ。

しかし、毎度の参拝の折に頭を悩ませていた上記の件が、今回の参拝で(私の心中では)本来の祭神が判然としてきたから不思議である。

結論を先に言うと、外削ぎの男神を示す「日沈の宮」の祭神は「須佐之男命」であり、高台にあって内削ぎの女神を示す「神の宮」の祭神は、須佐之男命の正妻「櫛名田比売」であり、この二つの社殿に一柱づつ祀られた夫婦神が、本来の祭神ではないかということである。

この二つの社殿の佇まいを眺めているうちに・・・日本神話の描写で須佐之男命が八岐大蛇を退治する際に、櫛名田比売を「櫛」に変化させて、その櫛を須佐之男命の頭部に刺して八岐大蛇との戦いに臨んだという景色・・・が観えてきたのだった。

そのように感じたのは、前回の日記で紹介した書籍『星空の卑弥呼(上)』に記されているのだが、「おうし座(須佐之男命)」と牛頭部の角の上にある「ぎょしゃ座(櫛名田比売)」を一対と見立て、その一体化した二つの星座を「須佐之男命が頭に櫛を刺した姿」と解釈し、「記・紀」等に文章として表現されたのではないかという書籍内容が、私の脳裏に強く刻まれていたからであろう。



さてここで、このシリーズの総集編(5)で紹介した書籍『卑弥呼の宮殿ここにあり』の中から、著者の類いまれな霊能による「櫛名田比売」の出自と「須佐之男命」との婚姻関係等について、以下に抜粋させていただこう。


・足名椎と手名椎夫婦(この人物は、多くの田畑を持った農耕の人である)の間に生まれたとされている娘の櫛名田比売は、実は足名椎と手名椎夫婦の子供ではなく、大国主命と手名椎(足名椎の妻)との間にできた子供であった。

・一人の男性と複数の女性との関係は、当時の農耕民族にあっては、ごく自然な考え方であった。

・結婚する時は、男性は女性を嫁に取るのではなくて、女性を通して神に近づき、神の手助けをするために男性は女性の方の家に入り、女性側の家系を継ぐことが多かった。

・須佐之男命が妻にした櫛名田比売は、大国主命と正妻との間にできた子供ではないが、大国主命を父親にもつ櫛名田比売と婚姻関係を結ぶことにより、須佐之男命は豪族の長として、新世界である出雲の地で活躍することが、たやすくなっていった。

・須佐之男命はスサ族の長として、当初は島根県の雲南市大東町須賀あたりに住まわれていたが、その後に平定して、松江市東出雲町の地(かつて伊邪那岐命・伊邪那美命が住まわれていた地)に宮殿をかまえられた。

・須佐之男命が従えるスサ族は、九州からやってきた。この一族は、もとは渡来の民族であったから、海の向こうの大陸の文明(理学・工学など)を知っていて、これを出雲に持ち込み、駆使してあらゆることに利用した。

・同じ渡来系である先住者の大国主命も、大変な頭脳の持ち主で人望も厚く、この両者がガッチリと手を結んでいくことにより、他の国々にも知れわたるほどの王権勢力を持つ出雲国を造る礎となった。


以上が抜粋部分である。正史等の文献に綴られた内容とはかなり違っているが、私には「真実の歴史」に関する記述と感じられる。



本日最後となる下の画像は、日御碕神社を後にして、当社の裏山の山頂部(日御碕の頂上)にある、神蹟「隠ヶ丘」を訪れた時の画像だ。

鳥居のある垣根の向こうは、なだらかな丘陵地で鬱蒼とした森が広がっており、この鳥居を背にして前方の方角を確認すると、正確に真東を示していた。そこで閃いたのは、「出雲の東西軸」において「黄泉比良坂」が東端の基点だとすれば、ここ日御碕の「隠ヶ丘」が西端の基点に違いないという直感だった。

古代より重要視されてきた測量の基準点は、一般人が近寄れないように御神域として護るという事例に、これまで何度か遭遇しているので、なるほど!と自分なりに腑に落ちたのだった。

そして、その西端の基点に立って東方に想いを馳せつつ、東から西へと「出雲の東西軸」をなぞるように歩んできた道程を俯瞰し、ある種の達成感に浸る時間を持つことができ、感慨無量だったことを憶えている。

帰り道で夕陽の木漏れ日を浴びながら、あっ!もう少しで日没かもしれない・・・ということで、さらに西方の海側に向かって車を走らせるのだった。






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最終更新日  2016年08月17日 22時00分41秒


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