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昨日、神戸ルミナリエを見に行きました。非常に大勢の人たちで 大いに盛り上がっていました。 毎年、光の彫刻を見ていますが、今年も阪神・淡路大震災の犠牲者に 対する鎮魂と神戸のまちの復興・再生を祈りました。 以前はクリスマスの時にも開催されていましたが、今はクリスマスより だいぶ前に終了してしまうのは残念です。 ![]()
クリスマスももうすぐのこの季節、近所ではクリスマスのイルミネーションやクリスマス・リースの飾り付けが行われています。 今年もクリスマスの前に、第16回「神戸ルミナリエ」が開催されます。 開催日は、平成22年(2010年)12月2日(木)~12月13日(月)で、12日間にわたって開催されます。 今年の作品テーマは「光の心情」です。 点灯時間は、月曜日~木曜日 点灯18時頃~消灯21時30分 金曜日 点灯18時頃~消灯22時 土曜日 点灯17時頃~消灯22時 日曜日 点灯17時頃~消灯21時30分 となっています。 開催場所は、旧外国人居留地と東遊園地です。 「神戸ルミナリエ」は、平成7年1月17日未明に兵庫県南部地方を襲った阪神・淡路大震災の犠牲者に対する鎮魂と、神戸のまちの復興・再生を願い、夢と希望を託して平成7年の12月に初めて開催されました。以来、大震災の記憶を後世に語り継ぎ、神戸の夢と希望を象徴する行事として、毎年開催されています。 ![]() 「神戸ルミナリエ」東遊園地の準備状況
台風14号が関東に最接近する最中に久しぶりに東京に出かけた。 30日土曜日に趣味の同行人の集まりがあったので、出かけたものだ。 集まりが終わって浅草の某ホテルに1泊することにした。 東京スカイツリーや浅草寺の境内が見下ろせる上階の部屋だった。 アサヒビールの金色の雲みたいなものも見える部屋だった。 午後9時ごろに部屋からスカイツリーを撮った写真です。 ![]() 翌31日は傘をさしている人もいたが、さしていない人が多かったので 一安心だ。 午前8時ごろに部屋から撮った写真です。 ![]() 秋の天皇賞の馬券を買い求める人が次から次へと浅草の場外馬券場へ やってくる。花やしき通りをゆっくり歩きながら浅草寺へと向かう。
明石海峡大橋や淡路島、播磨の国の東側を望む気候穏やかな高台に旧武藤山治邸がありました。旧武藤山治邸は、明治40年(1907年)に神戸市の舞子浜に建てられた、木造2階建のコロニアル様式の洋風建築だったそうです。同じ舞子浜に建つ移情閣とともに地域のランドマークとして親しまれていたそうです。 昭和9年(1934年)に武藤山治は没しますが、昭和12年(1937年)に武藤家から鐘紡(鐘淵紡績)に寄贈され、社員の厚生施設「鐘紡舞子倶楽部」として利用されていました。ところが、明石海峡大橋建設に伴う国道2号線の拡幅工事のために、平成7年(1995年)に狩口台7丁目(神戸市垂水区)に移築されました。 平成19年(2007年)3月に、兵庫県は建物とともに家具・絵画及び蔵書等調度品についてカネボウから寄贈を受けます。そして、平成19年(2007年)12月27日から約4億5千万円をかけて舞子公園内に移築・復元工事が行われ、いよいよ平成22年(2010年)11月7日から一般公開されることになりました。 一般公開の初日には移築を記念する式典が開催され、午後1時から大人100円で有料公開されるとのことです。
近松門左衛門の浄瑠璃の名作に『心中天の網島』がある。この浄瑠璃は、大阪・天満宮前町の紙屋治兵衛と曽根崎新地の遊女小春が情死を遂げたのを、題材としたものである。二人が情死を遂げたのは、享保5年(1720年)10月14日夜のことだ。 この事件を描いた『心中天の網島』が道頓堀で初演されたのは、12月6日である。事件から2カ月もたっていないのに、浄瑠璃の名作が書かれたことになる。 現代も痛ましい事件や事故が頻発しているが、18世紀の初めには、水の都・大坂では、心中や殺人、密通などの事件が次々と起こっていたそうだ。
今年もようやく夏水仙の花が元気よく咲きました。猛暑のせいでしょうか、例年より1カ月も遅く咲きました。 花の名前が夏水仙なので、水仙の仲間かと思ったらそうではありません。ヒガンバナ科の花です。春に水仙に似た葉を出し、夏に花が咲くので夏水仙という名前がついたそうです。 花はスイセンにはあまり似ていませんが、花径8cmほどの淡ピンク色の美しい花です。 ![]()
阪神電車鳴尾駅西側踏切を43号線側から渡ると、西手に木立が見える。鎮守の森があることが分かる。そこには鳴尾・八幡神社がある。本殿へと続く長い石畳を歩いて行くと、左手に慰霊塔がある。慰霊塔すぐそばに「慰霊塔由来」の説明板がある。 ![]() その説明板には次のように書かれてある(改行せずに示す)。 慰霊塔由来 日清・日露及び太平洋戦争における鳴尾村関係・戦没者、五百有余柱の英霊を此処に祀る。 尚、塔の尖塔部の砲身は明治四十四年広島呉工廠において・カーチス式タービンを最初に搭載した戦艦安芸の砲身です。 戦艦安芸は全長百四十・ニメートルに、出力二万五千馬力、速力二十ノット、主砲は三十センチ砲四門、魚雷発射管五門、片舷三十センチ砲四門、二十五センチ砲六門を装備していた。 戦艦安芸は大正十二年ワシントン軍縮条約の結果、標的艦となり、砲塔等撤去後翌、十三年九月六日、戦艦長門及び陸奥の研究射撃により、野島崎沖合において海底に没す。射撃時間十七分。 ![]() 砲身を持つ慰霊塔は初めて目にした。こんなところによく残っていたものだと驚かざるをえない。日清・日露戦争の英霊をお祀りするために砲身が使われたのなら分かるが、太平洋戦争の英霊もお祀りするのにも砲身が使われたのに妙な違和感を感じるからだ。 妙な違和感とは、戦艦安芸から撤去された砲身がよく残っていたということにある。金属類等回収令で砲身が供出されてもおかしくないし、他の砲身は一体どうなってしまったのかが気になるからだ。この砲身は一体どういういきさつで大事に隠し持つことができたのだろうか。 戦艦安芸が軍縮の標的とされたのは最新のカーチス式タービンを最初に搭載したことにより、それまでの戦艦の保有比率を保てなくなるために欧米諸国が槍玉にあげたものだろうか。 大正十三年九月六日、戦艦安芸は野島崎沖合に海底に没した。
連日の酷暑の中、タカサゴユリが狭い庭に何輪も咲いている。タカサゴユリは高砂市が原産のユリではなく、台湾が原産のユリだ。台湾には高砂族という原住民(先住民)が住んでいる。今は高砂族という呼称は使用されていないようだが。 ![]()
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