不便とは、もちろん便利でないという意味だ。それでは便利とは? 国語辞典にあたると、「つごうのよいこと」とある。それを見て、つごうというのは案外複雑なものだと思った。あなたのつごう、私のつごう。人のつごう、動物、植物のつごう。それぞれのつごうが対立して、うまくいかないことがそこにもここにもいっぱいある。有史以来人間は自分のつごうを優先させてきたと思うが、鉄砲を発明して使うようになるまではそれでも、つごうの悪いことをからだを使って片づけてきた。いつのころからだろう、人間のつごうを力まかせに優先させはじめたために、いま、あちらこちらからしっぺ返しを受けようとしている。
『暮らしのポケット』(山本ふみこ/大和書房)
月に一度、この欄へ「引用ノート」という題で、本ばかりでなく新聞や雑誌、ラジオやテレビ、缶詰のラベルや聞こえてきたやりとりまで、ふと目や耳にとまったことばを紹介することにしてきた。それを、今月していなかったことに気がついて、あらまあと思っている。
毎週書くので、3週めを「引用ノート」の回と決めていたのに。久しぶりに神戸に仕事で出かけたりしたため、決まりごとが揺らいだのではないだろうか。日日のなか、いろいろの決まりごとができてゆく。ことに、わたしのように、おなじような日日をかさねている者には、それがつくられやすい。
決まりごとと云っても、それを破っても誰かに叱られることはない。自分で気がついて「あらまあ」と思うくらいで、ことは済む。が、あらまあと思うとき、決まりごとが日日を支えていることに驚くことはある。一日留守にした台所で働こうとするときなど、決まりごとが揺らいでいて驚くのである。
冷蔵庫のなかで、煎りごまが行方不明になっていたり、知らない食べものがおかずを貯める容器に入って、すましてならんでいたりする。「おーい、ごまー」「アナタ、誰?」という具合だ。
「引用ノート」を書こうとするとき、前の週のはじめ、さて何を紹介しようかなあと考えをめぐらす。もっと以前にひらめいていることもあるけれど、これだと決めるのは、前の週のまんなかあたり。わたしは、このたび考えをめぐらすこともしなかったのだった。あわてる(決まりごとが揺らぐと、たいていあわてる)。
それでも一昨日、「中原淳一」のことばを紹介したいなあとひらめいたので、ほっとした。ほっとしながら本棚の前で、「中原淳一、中原淳一」とさがすが、みつからない。また、あわてる。おそらく「中原淳一」を知らない若いひとに、本をあげてしまったのだ。たくさん持っていたのに、何ということだろう。
しょんぼりして、また夜にでもあらためて考えをめぐらすことにして、べつの仕事にとりかかる。むかしよくつくったさつまいもの料理のつくり方を調べるため、本を開く。本と云っても、自分が書いた本だ。さつまいもの料理はみつからなかったけれど、ふと「不便を愛す」という見出しが目にとびこんできたのだった。
いいことばだと思った。
2002年刊行のこの本には、熊本日々新聞と一緒に配達されるフリーペーパー「くまにちすぱいす」に連載したエッセイを収録している(1996年4月16日号〜1999年3月27日号/「元気の記」)。連載の仕事としては、初めてのものだったのではなかったろうか。熊本の新聞社に勤める熊部一雄さんは、遠くからよくわたしをみつけてくださったなあと感謝したものだった(近くても、仕事をたのんでくださる方があらわれるたび、「よくわたしをみつけてくださったなあ」と思うが)。
この本のなかに「不便を愛す」という一篇は、あった。
かなり前に書いたこともあって、自分が書いたのにちがいなくても、親しい若者のものを読むような気持ちで読み返している。あのころは、「わたし」を「私」と書いていたのだなあとか、「有史以来」という云い方をどこでおぼえたのだろうかなあとか、くすぐったく読み返す。
東京に、十何年ぶりの大雪が降った年だ。降りこめられて買いものに行けず、家のなかの食べものを総動員して食事の仕度をしたことが書いてある。缶詰、乾物、冷凍食品などがいろいろ隠れていて、ごはんがつくれたとある。若かった「私」は、お腹もふくれ、家のなかの食品も片づき一挙両得と云いながらも、反省するのである。不便を嫌い、便利ということばに引きずられている現代の暮らしを。
こういうときには、節約や手仕事をたのしんでみるのもわるくない。自分の暮らしを見直すと、この時代の不便が何かを教えてくれる、そんな予感がするのだ。便利な暮らし、それはほんとは不便(=つごうの悪い事態)からメッセージを受けとり、その手に実力をつけていくひとの暮らしのことじゃないかなあ。
というのが、「不便を愛す」の結びだ。
——その手に実力をつけていく。
いま、このことばに再会したことがしみじみうれしい。それを手わたしてくれたのが「私」というのが不思議で、まるでタイムトラベルのようだけれど、あらためて「手に実力をつける」ことをめざしたいと思った。
このたびは、決めごとを揺らがせた揚げ句、むかしの自分に助けを借りたりして、気恥ずかしい。けれど、昔の自分というのが、ちょっといいことを思ったり、いまの自分におしえをもたらすことのおもしろさを書けたことはよかった。
そして、来月の3週めまで、「中原淳一」のことばをさがすたのしい時間をもちたいと思う。
原稿を書いたあと、缶詰かごを見たら、
こんなでした。
さば缶、ツナ缶、とうもろこしのクリーム、
とうもろこしのホールの4缶。
ずいぶんがらんとしているなあと思いましたが、
これだけあれば、かなりいけるという思いもあります。
乾物のひきだしのほうは、
麩3種類、切り干し大根、おぼろ昆布、
干ししいたけ(どんこ)、高野豆腐など、
大勢でした。
近く、缶詰を仕入れようと思います。
定番としては、上記に加えて、ココナッツミルク、
アサリのむき身、果物(ゼリーのなかみ用)、
トマトの水煮などがあります。
※お知らせ
12月4日(日)、東京・渋谷区の「青山ブックセンター」で、
「自分の仕事を考える丸一日」という会があります。
ことし1月、「仕事」や「働き方」をテーマに
奈良で開催されたフォーラム(わたしも参加しました)の出版記念の会です。
ご興味のある方は、お出かけください。
わたしは、3限目(17:30-20:00)を担当します。
詳細は、「こちら」へ。