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おるはの缶詰工場

おるはの缶詰工場

草食系男子 切り傷

 新入社員の新藤がまとめた報告書を確認していると、指先に痛みが走った。

「つっ」

 見ると指先にうっすらと赤い線がついていた。 紙で手を切ってしまったらしい。

 なぜかよくやってしまうので慣れてはいるが、これが意外と痛い。

「部長、大丈夫ですか?」

「あぁ、平気だ。浅いが紙で切ると痛いんだよな」

 ちょっと待って下さい、と新藤が席に戻った。何かと思ったら、ゴソゴソと鞄を漁ったのちに戻ってきた。

「はい、どうぞ」

 差し出されたのは一枚のばんそうこう。

「あ、りがとう」

 まさかばんそうこうを差し出されるとは思わず、私は面食らいながらそれを受け取った。

 もらったそれを見て、ファンシーなキャラクター物じゃないことにほっとした。男っぽさが欠ける新藤ならそれも似合うだろうが、四捨五入すれば40のオヤジの私がつけていたら、周りが引くだろう。

 そんな様子を見ていた部下の一人が、ニヤニヤしつつからかってくる。

「新藤、ばんそうこうなんて持ち歩いてんのかよ。女みたいなヤツだなー」

 ガサツな部下たちにとって、新藤はいいオモチャだ。

 しかし、そのオモチャもただ遊ばれるだけの、弱いヤツではない。

「だって、あったら怪我したときに便利ですよ」

「怪我なんて舐めときゃ治る!」

 仕事が片付いて少々暇なのか、部下たちは面白そうに新藤をからかっていた。

「口の中には雑菌がいっぱいなんですよ? その菌が傷口から入って化膿して、腐って落ちたらどうするんですか?!」

 新藤のあまりの真剣な表情に、周りの部下も私も一瞬呆けたように新藤を凝視してしまった。本気で言ってるのか冗談なのか、その表情からはイマイチ判断できない。

 からかっていた部下たちも、白けたように自分の仕事に戻っていく。

「部長、報告書はそれでいいですか?」

「あ…あぁ、ちょっと待ってくれ」

 呆けていた私は、まだ貰ったばんそうこうも貼っていない。

 すると、横から伸びてきた指がばんそうこうを奪って行った。

「指出してください」

 新藤に言われるがまま、私は切ってしまった指を差し出した。丁寧にばんそうこうを巻いてくれる少し冷たい指を見ながら、私は変なところに感心してしまった。

 やはり女の物とは違う。骨がしっかりした男の物だが、私の物とも違う…。

「子供のような手だな」

 思わずするりと口から出てしまった。

 小ぶりで傷一つない手は、まるで子供のようだと思っただけで、からかうつもりもなかった。しかし、言われた新藤は恥ずかしそうに頬を染めると、ぱっと手を後ろに隠してしまった。

「どうせ、背も高くないですっ」

 コンプレックスの一つだったらしい。口をへの字にして、なで肩を精いっぱい怒らせて、自分の席に戻ってしまった。

 恩をあだで返してしまった…。そしてさらに追い打ちをかけないといけない。

「おーい、新藤。報告書、リテイクな」

 張っていた肩がしょぼんと落ちた。



 報告書を作り直すために、その日新藤は残業することになった。

 私も責任上、雑務を片づけながらその上がりを待った。

 要領よく仕事をこなす他の部下たちの姿はもうない。きっと連れだって飲みに繰り出したのだろう。

「お待たせしてすみません」

「いや、こっちも片付けないといけないことがあったから、平気だよ」

「もうすぐ、できるんで」

 プリンターから吐き出された紙を慌てて確認し始める。それがいけなかったのかもしれない。

「あっ」

 新藤は小さく声を上げた。

「どうかしたのか?」

 まさかまたミスでもあったのだろうか。

 心配になって新藤のそばまで行くと、手元を覗き込んだ。さっき見た傷一つない指に、薄らと赤い線がついていた。

「切ったのか」

 はい、と新藤は恥ずかしそうに首をすくめた。

「ばんそうこうでも貼っておけ」

「いえ…あの、実はさっきので最後だったんです」

 肝心なときになくなってしまったらしい。なんだか、その鈍くささが妙に新藤らしくて、笑いを噛み殺しながらその手を掴んで口をつけた。

「ぶ、部長?!」

 驚いた声で呼ばれてはっと我に返った。無意識のうちに、傷口を舐めていた口を慌てて放した。

「あ、いや…その」

 自分でもなんでそんなことをしてしまったのかわからないだけに、言い訳のしようがない。

 焦った私の脳裏に、昼間の新藤の言葉が蘇る。

『口の中には雑菌がいっぱいなんですよ? その菌が傷口から入って化膿して、腐って落ちたらどうするんですか?!』

「腐ったりしないからな」

「ぶっ……くくく…。あははは…」

 途端に笑い出した新藤が、息も絶え絶えに「し、知ってます」と返事をした。

「あぁ言えば、あれ以上からまれないと思ったから」

 新藤の意外にしたたかな一面を見た私は、笑い続ける彼の横で憮然とした表情を作りながら祈った。

 この笑いでさっき傷を舐めてしまったことを忘れてくれ、と。
 

                      2009/9/18


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