●はい。毎度好評の「尾谷の頭の中」、最新版ですよー。
●
中央大学文学部准教授の辻泉氏に
拙著「ヤリチン専門学校」(講談社)を取り上げてていただきました。
しかも紀伊国屋のHPで紹介とは...。
日本一の書店のHPにヤリチンの文字を躍らせた辻氏の勇気と努力に感謝いたします!
http://booklog.kinokuniya.co.jp/tsuji/archives/2012/06/post_58.html
●さて、今年の上半期も終了。
思えばこの半年は「月の半分はお金のために動き、残りの半分はマネタイズは考慮せず、楽しさ重視で動く」ということを繰り返していた。
おかげさんで充実した日々を送れたと思います。
でもこんなことが出来るのもフリーランスゆえだよね。
で、今年下半期はどうしようかと思案中。
現在の「マネタイズ:非マネタイズ=50:50」の割合を、「70:30」もしくは「30:70」にしてみたら面白いんじゃないかと。
変化してたほうが自分に飽きがこなくていいじゃないっすか。
とにかく、仕事を受けるか否かの判断材料は「マネタイズよりもその人と仕事をしたいかどうか?」「その人が好きかどうか?」「相性がいいかどうか?」にかかってくるよなぁ。
これは下半期も変えずに行こうと思う。
でもあまりエゴは出さないようにしよ。何せ厄年ですからw
●最近、gdgd系の女子たちから「本当の幸せって何?」と聞かれることが多い。
でも、そんなの知らんよな。自分の求める幸せくらい、自分でデザインしなきゃあかんでしょー。
やっぱアレなのかな? みんな「幸せの定義」を他人に決めて欲しいのかね?
まあ、決めてもらったほうがラクだしなぁ。
でも「誰かが決めた幸せ」に乗っかるのって、ものすごくリスクがあるような気がするんですよね。
というか、騙されていると思ってしまうんです。オレみたいな懐疑的な人間は。
たとえば「家(マンション)を買ったら一人前」っていう概念って、明らかに為政者が決めたルールですよね。
そのために何十年もローンに縛られ、やりたくもない仕事を続けることになる。
しかも、払い終えた頃には資産価値が目減りしている。
特に今後の少子化問題を考えると、それがより顕著になっていくのは間違いないわけで......。
これって不幸以外の何物でもない気がするんですが(別に住宅を買う人のことを否定しているわけではないですよ)。
あと「洋服を買うとテンションが上がる」というのも「新しい洋服を身につけると、自分が生まれ変わったような気になれる」からですよね。
でもそれはファッション業界に洗脳されているようなもので、別に洋服じゃなくても気分転換はいくらだって可能だったりしますし。
結局、ファッション業界にお金を吸い取られているだけじゃん、という。
あ、なんかオレ、「アドバスターズ」みたいなことを言い出してるな(笑)。
ま、いいや。話を元に戻す。
ともかく、こういう人たちが増えないように「幸せって何なのか?教育」をちゃんとしたほうがいいんでないか?と思うんですよ。
特に「女子は結婚して子供生むのが一番の幸せ」っていう概念を小学校の教科書レベルから浸透させたほうがいいと思うんだよね。
今後の国のブランディングとして絶対に必要じゃん。少子化なわけだし。
まあ、バツイチ子ナシのオレが言うことじゃない、ってウワサもありますが(笑)。
●なんてツイートをしたら、こんな返答が来た。
【でも「共働きじゃないと生活が維持できない家庭が多い、且つ働きながらの子育てに理解も制度もない今の日本で、子供産んで育てるのが本当に女性にとっても生まれた子供にとっても幸せなのか」という疑問はありますよー】
その「生活の維持ができない」というロジックこそ、騙されている証拠のような気がするんです。
もちろん、アメリカ、イギリス、フランスなどの先進国に比べてみても、我が国の子育て支援の財源は少ないですよ。
しかし、この10年、20年で一般家庭における「子育ての費用」「教育費」が増大している現実は見逃せません。
すでに子育てや教育は「ビジネス」に飲み込まれてますからね。
たとえば、「子供を大学に行かせる」なんて考え方は、無駄な投資だと思うんです。
本来、大学というのは、体のいい就職あっせん所だったわけですよね?
大学を出れば安定した就職先が見つかる、と。
大学とは子供が将来不幸にならないための保険だったわけです。
しかし、就職難である現状、校内にハローワークが設置されちゃうような状況を見ていると、すでに大学は就職あっせん所としての機能を失いつつあるわけです(いい大学だったら話は別ですが)。
これにお金を払うのが前提になっている現実って、よくわからんですよね。
大体ね、お金がないと子育てすらできない、っていうこの状況、どうもおかしくありません?
子供を作ること、生むこと、育てることって、生物としてごく当たり前のことだってのに。
(了)