テーマ:映画館で観た映画(8349)
カテゴリ:映画
明日、世界が滅びるとしても、 今日、二人は木を植える。 1914年、日本の植民地支配下におかれた朝鮮。 山梨県に生まれた浅川巧(吉沢悠)は、朝鮮時代の伝統美術・白磁に民族文化の美を見出していた。 日本から朝鮮に渡った彼は、白磁を紹介しながら山々に木を植えて緑を取り戻し、現地の人々に博愛の精神で接していた。 その一方、人種差別と戦いながら朝鮮人の李青林(ペ・スビン)と友情を築いていき――。 朝鮮で植民地時代の差別と戦った日本人・浅川巧の生誕120周年を記念して製作。 浅川の赴任した朝鮮で見た山は、荒れていた。 営林署(のような所)で、先輩の日本人の話によると、ロシアや中国が乱伐したという。 しかし、もっと乱伐したのは、日本政府だった。 それを知った浅川は、朝鮮の人に対して、自然に対して申し訳ないと思う気持ちで、しずんだ表情になる。 浅川のよき理解者である朝鮮人の青年は、 「私たちも白磁を焼くために、沢山伐ったのですよ」と慰める。 私はこれまで、日本が朝鮮の人に対してひどいことをしてきたと聞いている。 しかし、木の乱伐までとは知らなかった。 木が大好きな浅川巧は、朝鮮の山を緑にしようとする。 彼のおもいは、ただそれだけだ。 しかし、彼の上役の日本人は、 「その木は成長が早い。 早く役にたつ」と言う。 最初から、「木」は伐って、売るためにあるという考えだ。 ただ、生えているだけの木はもったいないと言う考えなのだ。 1989年に、■こんな公園あったらいいな■と里山をそのまま公園にしようという市民運動に参加したことがある。 私たちの考えは、奇跡的に市街地に残る1万坪の里山を残しすことこそが、いいという意見だったが、 市は、空き地には、市民のために建物を建てるという意見だった。 木は伐るために植えるという営林署の考えは、私たちが、対市交渉の時にきいた、空き地は、そのままだともったいないという言葉を思い出させた。 浅川は、白磁や朝鮮の民具に対しても多くの功績を残した。 もし彼が尽力しなければ、もうなくなっていたかもしれない、庶民の暮らしの品々。 簡素でおおらかでそれでいてどっしりとした感じは、民芸的でそのごつごつした美しさは、 日本の焼きものにはみられません。 なかでも白磁には気取らない素朴さと暖かさがあり・・・。 浅川の雰囲気が白磁と似てるというのは、きっと誰に対しても気どらない素朴さと暖かさがあったからだろう。 浅川は、日本と韓国の教科書に載っているのだそうだ。 これも、この映画を見て、ネットで調べるまでは、知らなかった。 ・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★2012年6月27日*露天風呂の日* ・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.06.29 21:23:06
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