カテゴリ:マイブーム
先日、NHK教育テレビの「団塊スタイル」という番組に懐かしい人の名前を見つけた。
■瞳みのる■だ。 今の若い人には分からないかもしれないが40年以上前に流行ったグループサウンズの雄、 「ザ・タイガース」、(以下タイガース)のドラムスだった人だ。 写真左から2番目。ちなみに真ん中後ろの人は、TVドラマ「相棒」の小野田官房長役の岸辺一徳。 タイガースは、沢田研二(ジュリー)、加橋かつみ(トッポ)、森本太郎(タロー)、岸辺おさみ(サリー)そして瞳みのる(ピー)の5人からなるグループだ。 大ファンだった私はコンサートにも行ったことがある! 1960年代の中頃、京都の高校生だった彼らは、幼馴染や同級生といった遊び仲間だった。 そのうち、流行りのエレキギターを持ち、高校生ながら、ボーカリストとして、ジャズ喫茶で働いていた沢田研二(ジュリー)を瞳みのる(ピー)がスカウト。 京都でバンド活動をしていたが、大阪のジャズ喫茶に進出した。 この大阪進出の際も、ピーが交渉したらしい。 この後、東京進出も社交的で口の達者なピー。 つまり、タイガース(この頃は、ファニーズ)のマネージメントは全てピーがやっていたようだ。 そんなタイガースを辞める理由を多くは語らなかったものの、引き金は1969年の加橋かつみ(トッポ)の脱退。 1971年、タイガース解散と同時に故郷の京都に帰り、猛勉強したそうだ。 この時、彼は22~23歳。 まだまだ、遊びたい年頃だろうに・・・。 調べて見ると、髪を洗う時間ももったいないと、坊主頭にしていたそうだ。 その結果、見事に慶応大学に合格、大学院に行き、北京にまで留学していた。 北京から帰ってから、慶応高校の教師として数年前まで働いていた。 これまで、タイガースとは一線を画し、我が道を行くという姿勢を貫いて来たピーが再び、タイガースに帰るには、複数の理由があった。 そのひとつは、ジュリー、サリー、タローから送られた、「Long good-by」という曲。 これは、ジュリー、サリー、タローが一緒に作った歌だ。 それに感動したピーは、会うことを決意。 また、離婚したことも原因のひとつだという。 60歳を超えたこともその原因のひとつだと思う。 ■2011年~2012年とピーも参加■したというのに私は、見ていないどころか、知らなかった。 _| ̄|○ 知っていれば行っていたのに・・・。 「団塊スタイル」でのピーから学んだことは、 勉強とは、反対の位置にあったピーが頑張って慶応大学に行ったことをスゴイなと思うとともに、 勉強っていつからでも出来るということ。 仕事がなくなったら勉強でもしようかななんて思った。 ■瞳みのるオフィシャルサイト■ かつては、ジュリーが一番カッコいい、次がトッポとなっていたのに、月日は、頑張った人を応援するかのように 40数年ぶりに見たピーはカッコよかった!! ジュリーもダイエットして!!! 来年は、トッポも参加して、デビュー当時の5人で再結成!! ライブ、行きたいーー!!! ・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★2012年5月4日*坪庭*清盛の愛した「蓬の壷」* ・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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