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カテゴリ:映画
スティーブ・ジョブズは、何を語りたかったのか・・・。 人生最大のピンチのとき、天才は何を考えていたか? あの幻のインタビューが蘇る・・・1995年、アップルを追放されてNeXTのCEOを務めていたジョブズは、あるTV局の独占インタビューに応じた。 しかし、取材されることを嫌うジョブズを口説き起こすことに成功して、収録した貴重な映像だったにかかわらず、オンエアではわずか数分しか使われることはなかった。 そして、そのテープはロンドンからアメリカに送られる際に紛失し、どこにあるかわからなくなってしまった。 そのため、人はそれをいつしか「ロスト・インタビュー」と呼ぶようになった。 ところが2011年、ジョブズが亡くなってからまもなく担当ディレクターのガレージでそのVHSテープ(コピー)は発見される。 17年ぶりにそれは蘇ったのだ。 パソコンとの出会い/なぜアップル社を去ることになったのか/マイクロソフト社についてどう考えているか/あなたが開発しているテクノロジーによって、10年後はどんな世界ができていると思うか…… そんなことをテーマに語られた69分にわたるインタビュービデオは2011年11月にアメリカの19都市で公開された。 あらゆる面においてパイオニアとして存在したジョブズの視線の先には、どのような地平が見えていたのか。 このインタビューの翌年末にジョブズはアップルに復帰。 その2年後に初代iMacが、その3年後には初代iPodが発売された。 これは、95年に“ジョブズが語った未来”だけを意味するものではない。 当時、彼が思い描いていた“未来”であると同時に、その後、彼が実現した“未来”であり、残された我々がこれから成すべき“未来”なのだ。 この映画では、彼の口からいろんなことが語られているが、その天才ぶりに驚くばかりだ。 ●ジョブズがはじめて、コンピュータに触れたのは、10歳の時だ。 ジョブズは1955年生まれだから1965年頃だ。 その頃、コンピュータは、NASAにあったのだそうだ。 そこではじめて、コンピュータに触れたジョブズは、興奮したそうだ。 10歳でコンピュータが分かるって天才! ●1968年、ジョブズが13歳のとき、あこがれのヒューレット・パッカード社のビル・ヒューレットの自宅に電話をかける。 ビル・ヒューレットがパロアルトに住んでいることを知っており、電話帳で調べてみたところ、パロアルトで、彼の名前で掲載されているも電話番号はひとつしかなかった。 ジョブズが周波数カウンタの部品をくださいと言うと、ビル・ヒューレットは部品をくれたばかりか、夏休みにアルバイトをしないかと持ちかけた。 アルバイト先はヒューレット・パッカードの支社で、周波数カウンタを作っているところだったという。 13歳ですでにプロに認められるってスゴイ! ●1971年、高校生になったジョブズは、ヒューレット・パッカードの夏季インターンシップで働いていた時に、スティーブ・ウォズニアック(ウォズ)と出会う。 容姿も性格も正反対だったが、すぐに意気投合した。 ある時、ウォズの母親からもらった「エスクァイア」誌1971年10月号に掲載されていたブルー・ボックスと呼ばれる装置を使って、無料で長距離電話をかけるというフリーキング(不正行為)の記事を読んだ2人は、スタンフォード大学の図書館に入り込み、AT&T(ベル社)の技術資料を見つけ出して、自分たちでオリジナルのブルー・ボックスを作り上げた。2人は、この装置で長距離電話をかけまくったという。 15歳になった時、ウォズに出会ったジョブズは、驚く。 自分よりコンピュータに詳しい人がいたなんてと。 自分が世界一と思えるところがスゴイ! スティーブ・ジョブズが、自分が作った会社を首になったことは知っていたし、 請われて、またアップル社に戻ったことも知っていたが10年以上もいなかったなんて初めて知った。 1995年といえば、マイクロソフト社のウインドウズ95が発売され、コンピュータという言葉が市民権を得た時代だ。 もし、彼がアップル社を辞めずにいたら、今、コンピュータは、もっと進んでいるのだろうか? ともあれ、1995年のスティーブ・ジョブズには、今のパソコンの進化が見えていたのだろう。 ・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★2013年11月5日*ごとび * ・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.11.06 22:05:49
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