テーマ:映画館で観た映画(8340)
カテゴリ:映画
この運命を生きる。 1940年代末、イギリス人と香港女性の間に生まれた子供が、流産したばかりの貧しい蛋民の夫婦に買い取られる。 赤ん坊は華泉(ワーチュン)と名付けられ、船の上で成長。 人とは違う外見から“あいの子”と揶揄される彼を、母は、その後生まれた弟妹たちと分け隔てなく可愛がった。 ある日、華泉(ワーチュン)はプロテスタントの牧師から学ぶことを勧められた。 「漁師に学はいらない」と反対する父だったが、母の後押しで船を降り、教会の夜学で文字を学び始める。 間もなく父が海で命を落とし、自分が買われた子だと知った彼は、長男として身を粉にして働き出す。 やがて憧れの東インド会社に雑用係として採用されると、21歳にして初めて正式な小学校教育を受けることに。 イギリス人の上司から差別的な言葉を投げつけられながらも、華泉はたゆまぬ努力を重ねて次第に頭角を現していく。 ついには中国人として初の重役にまで上りつめたが、華泉(ワーチュン)は常にどこかで「自分は何者なのか?」と問い続けていた。 戦後の香港に生まれ、貧しい蛋民(水上生活者)の夫婦に売られた中英混血の男児・華泉(ワーチュン)がイギリス企業の幹部となるまでを、実話に基づいて描いたヒューマンドラマ。 親戚関係にあった黎華安と盧金泉という2人の実在する人物の物語を1人の人生として脚色している。 イギリス植民地下の香港で混血であることから差別され、アイデンティティに悩みながらも成功を求めて努力を続ける華泉の姿は、香港が戦後歩んだ歴史とそのまま重なって見えてくる。 この映画を観てはじめて、蛋民(たんみん)という言葉を知った。 土地をもたず、主に船を家とし、水上で漁業、水運、商業などの生業を営む。 このため船上人とも呼ばれる。 香港では、1940年代初頭には人口164万人の香港で15万人を超える蛋民がいたと推定されている。 漢民族であり、少数民族には分類されないが、生活様式の違いや教育程度の差などによる被差別民であった。 1970年代までは、非蛋民との通婚も限られていた。 1970年まで非蛋民との結婚が許されていなかったというのを知ってビックリ! この映画には、蛋民の生活がよく描かれていた。 例えば華泉(ワーチュン)たちは、道を歩く時も、みんな裸足。 履くことを禁じられていたのか、お金が無くて買えなかったのか、 それとも、船の上での生活には不要なものは置けないので持っていなかったのか・・・。 そのため、学校でも、違和感を覚える華泉(ワーチュン)。 彼は21歳で初めて教育を受けるわけだが、彼の父親は、 「蛋民(たんみん)に教育はいらない」と言う。 彼の育ての母親も字が読めない。 太平洋戦争後の日本人では識字率は100%に近いのではないのだろうか。 そう思うと、他のアジアの国は本当に貧しかったんだなと思う。 ★主人公・華泉(ワーチュン)が小さい頃、腰に紐をつけ、それに瓢箪をくくりつけていた。 親戚の仲良しの女の子も同じようにしていた。 今の、ペットボトル感覚。 ★生まれて間もない子どもをおんぶする時のおんぶ紐に、日本との違いが! 映画の中のおんぶ紐には、子どもが眠っても頭がガクっとならないように、頭が当たる所を紐で籠のように編んでいた。 ★香港はイギリスか? 香港は1997年に中国に返還されるまでイギリス領だった。 だから、パスポートもイギリスのを持っていた。 香港人はイギリス人かと思いきや、そうではなかった。 無学な中英の混血児が出世街道を登りつめるまでの約40年間を描く、やや立志伝風のつくりだが内実は苦い。 中国(水上生活者「蛋民」)とイギリス(東インド会社)の間で引き裂かれた彼のアイデンティティは常に音を立てて軋んでいて、つまりアーロンは戦後香港そのものの表れなのだ。 ■シネマトゥデイ評■ ■おしゃれ手紙◆再見!香港 ■ 1997年に、友人と3人で香港に行った時の感想。 その時、蛋民を知っていれば、絶対に見学したのに・・・。 もったいないことをした・・・。 大阪にも昭和30年代の初めまで、水上生活をする人がいたらしい。 ・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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