テーマ:映画館で観た映画(8349)
カテゴリ:映画
わたしは誰? イーダ(アガタ・チュシェブホフスカ)は最初、アンナと呼ばれている。 18歳の戦争孤児で、ほどなく修道女になる予定だが、音信不通だった叔母ヴァンダ(アガタ・クレシャ)に会うと「イーダ」と呼びかけられる。 イーダとはユダヤ人の名前だ。 1962年、社会主義時代のポーランド。 50年代初頭、叔母は人に恐れられる検察官だったが、いまは酒と煙草と束の間の情事に逃げ込んでいる。 そんなふたりが4日間の旅に出る。 イーダの両親が命を奪われた経緯を探りにいくのだ。 無垢で信仰心の厚い少女と、シニカルで無神論者の中年女。 過去は発掘されるのか・・・・ ■グランドブダペストホテル■のような華麗な映画が好きだ。 ■ぼくを探しに■のようなキュートな映画も好きだ。 だから、モノクロの「イーダ」は、少し物足りないかなと思っていたら、嬉しい誤算。 映画のそこここに映像の美しさが・・・。 それは、華麗な美しさではなく、そぎ落とした美しさ。 茶の湯の美にもにていた。 イーダの尼僧姿、叔母と車で通る並木道、洗濯したシーツが風にひるがえるシーン・・・。 絵画のように美しいシーンが続いて、モノクロにした理由が分かった気がする。 尼僧姿の美しいイーダ。 叔母は、 「せっかく、美しい髪があるのに・・・」と出すように言うがイーダは、聞かない。 しかし、両親の最後を知ってから、髪を出し、普通の服を着るシーンがある。 あんなに美しいと思ったイーダが普通に見えた。 茶室にバラが似合わないのと同じで、この映画に派手なものは似合わない。 親の最後の場所を探して訪ねた家には、レース編みのカーテンとレース編みのテーブルクロスがかけられていた。 両方とも、手編みっぽかった。 1962年ってそんな時代だったんだな・・・。 先に見ていた家人が、友人に送った映画の印象を本人の了解を得て、下に載せておく。 モノクロトーンの映画が、ぼくには好ましく思えるのは、僕自身のペシミスティックな気分の反映か・・・と思える。 貧しかった古い時代をいくらかでも想像できる世代の故か、ある種の親しみさえ、感じることがある。 しかし、この映画は、昔の映画ではない。 昨年=2013年製作。 時代背景は、1960年代のポーランド。 第二次世界大戦で、ナチスのユダヤ人迫害(ホロコースト)の後、今度は、同じように迫害されてきたポーランド人が、ユダヤ人たちを迫害・排斥する・・・・ 人間社会の絶望的な展開が、背景にある。 両親の墓を探す・・・ロードムービーが、淡々と描かれていく。 僕が見る限り、「希望」は、見えてこない。 叔母の自殺後、ひと時の「娑婆」を経験して、ヒロインは、修道院に戻っていく。 もちろん、宗教に「救い」は、無いが・・・・彼女が、逃げていくところは、どこにもないのだ・・・・・ 今回、どうして、紹介するか・・・・ぼくの気分に、しっくりくる・・・だけ。 皆さんは、どう感じるだろうか???? ぜひ、聞きたいものだ。 ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.08.29 19:37:45
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