テーマ:トリビア?(264)
カテゴリ:お出かけ
■退職したらやりたいこという記事■を書いたのは、去年の8月。 その中に「ブラタモリ!」をするというのがあった。 NHKの「ブラタモリ」は大好きな番組で、欠かさず見ている。 まあ、タモリのように知識もないし、ガイドもないから、もっぱら、町歩きのグループに参加したり、 旅行中に、ガイドさんに案内してもらうくらい。 桜の花は、とっくの昔に終わったのに、桜の写真からで申し訳ない。 m(_ _"m) 家からそんなに遠くない所に「大津神社」という桜の美しい所がある。 ここなら、体調が悪くても行けると行ったのが、4月のはじめの桜の満開の頃。 境内の桜を見たり、椿を見たりしていたら、 「あれ???」木の回りに囲いのある不思議な木!!! 近づいてみたら、なんと、神社の境内よりも随分と深いところから生えている!! 神社の横の道を見ると道の左側、白い家の所から急に傾斜がきつくなっている。 境内の例の木が生えているのは、その辺りだろうか。 そして、こうなる。 神社の境内の土地と下の土地の高低差は、2メートル以上ある。 この神社の歴史は古く、平安時代以前から、あったそうだ。 平安時代には、ここに運河が通っていたという。 「ロマンやな~」と一人でぶらぶら歩いて感心した。 当大津神社は、十世紀はじめ、醍醐天皇(八八五~九三〇)の御代に編纂された「延喜式」に「大津神社」と明記されている由緒の古い神社で、「丹下の郷の大宮」と称えられていました。 応神天皇(四~五世紀はじめ)に、文字をはじめ各種の大陸文化が朝鮮半島を経由して我国に伝来した際、当河内地方は難波の港と大和を結ぶ要路であったことから渡来人が土着しました。 荒地を開拓し産業を興して、遂に河内文化の繁栄を見るに至りました。 当時この地方には、百済貴須王の子孫といわれる「葛井(ふじい)氏、船氏、津氏」の三氏が勢力を張っていました。 この三氏のうち津氏一族がこの地を卜して「大宮山」と称し、自分達の守護神を奉斎したことが「大津神社」の発祥だろうと云うのが古来からの定説で在ります。 このように大津神社は津氏一族の守護神として創祀されましたが津氏一族が朝廷に召されれて大和に移住し、また時代の推移に伴って氏姓制度が衰退していくと、中世以降には、大津神社はこの地方九ケ村の人々の「氏神」として受け継がれ、「河内の大宮」と称えられました ・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.05.25 13:56:30
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