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カテゴリ:鹿児島 KAGOSHIMA
第6代鹿児島県知事 ) その高潔な人柄、数々の業績において、鹿児島の県政史上最も偉大な知事の一人と顕彰されるのが第6代・加納久宜(かのうひさよし:1848-1919)です。「勧業知事」「教育知事」と呼ばれ、産業基盤の復興近代化と意識革命、その原動力としての人材の育成に、文字通り寝食を忘れて尽力し、いまだ 西南戦争による疲弊と無気力の中にあった明治の鹿児島を、数年にして「模範県」と称されるまでに向上させた。卓越せる指導力と人間的魅力に満ちた人物です。 加納久宜は、もと柳川藩主立花家の出身で、親類筋の上総(千葉県)一宮藩主・加納久恒の養嗣子となり、十九歳で襲封。明治4年の廃藩により職を解かれ、文部省、司法省へ出仕。明治27年1月、鹿児島県知事に着任しました。 「民あるを知り、私あるを知るべからず」を、地方官たる信条と掲げた彼は、実に6年8ヶ月という、当時としては他に例を見ない長い知事在任期間を通じ、自らの行動規範として、なによりも「率先垂範」を心がけました。 県政の最重点を農業に置き、全国にさきがけて耕地整理を実施する一方、湿田の乾田化、石灰肥料の禁止、稲の正条植えの普及など、地主勢力を総動員して徹底、当時大阪市場などで外国米並みに買いたたかれていた県産米の品質を飛躍的に向上させ、また、その生産性においても、実に75%という驚異的な増収率を達成しました。(途中省略) 大正8年2月26日、72歳で死去。「鹿児島のことで相談したかったら冥土へ電話せい」。遺言の一部、と伝えらています。 (現地案内板より抜粋) 加納知事頌徳碑 県政記念館を見守るように建てられています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.02.06 06:43:45
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