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日々のこと [全1102件]
曇り空。俯いて歩く。地面が流れていくのを眺めて進む。前から来た石ころが次々と僕の後ろに去っていく。 一つ一つの石ころを見つめ過ぎてはいけない。見つめ過ぎると平衡感覚を失ってふらふらする。ゆっくり歩いていても足元の景色は勢いよく後ろに流れていく。時折、前に現れる誰かの足を半身になって立ち止まってやり過ごす。前から流れてくる石ころを跨ぎ、近づいてくる足を避けて進む。 どこへ向かっているわけでもない。部屋の中にいるのが息苦しくなって外の空気を吸いに来ただけだ。 でも歩き出してすぐに気づいてしまった。部屋の外に出たからといって、僕の周りにまとわりついているものはいなくならない。 何のことはない。これは僕の中から滲み出しているものだ。僕の中から出てくるのだから、移動したところであいかわらず僕の周りはうすぼんやり霞んだままだ。 歩いているうちに石畳風の商店街の道路が終わり、足元のアスファルトが黒いそっけないものに変わった。さっきよりも周りから聞こえる音も少なくなった。 僕はより音の少ない方に向かって歩く。そのうちに僕の視界に足が出てくることはなくなった。 僕はさっきより少しスピードを上げて進む。いつも行かない方向にどんどん進んでいるので自分でどの辺りを歩いているのか正確には分からない。ただまとわりついてくるものを振り切るようにして歩く。 しばらく行くと丁字路に行き着いた。まっすぐ進んできた僕の右と左に道が分かれている。 どちらにしようかと考えていると、アスファルトにぷつぷつと無数の点が現れてきた。たくさんの点が連なって道路が斑模様に変わっていく。 僕が仕方なく顔を上げて周りを見渡すと、ちょうど目の前に神社があった。何の神様かは分からない。小さな境内には人影はなかった。 鳥居をくぐる前に軽く会釈して境界を越える。小さくても誰か信じて通っている人がいるのだろう。境界の中には外とは違った空気があった。 雨を避けて腰をかけて、少し足が疲れていることに気づいた。 ずっとうまくいかない。 うまくいくことなんかないという諦めがないわけではないのだけど、うまくいくことを期待しないで日々を過ごすのも難しい。完全に諦めることができないまま、かといって過度の期待で傷つくことも嫌って、結局中途半端な心持ちで毎日を過ごしている。 暗いなあと思う。 暗い考えが更に暗い考えを招くということが分かっているのに、どうしてこうなってしまうんだろうと不思議に思う。自分がよく分からない。 ぼんやりとそんなことを思っていたら、急に隣に気配がして両腕の皮膚が粟立った。身体が強張って首がうまく回らない。視線だけそちらの方に向け、それを追いかけるようにゆっくりとそちらの方に頭を向けた。 そこには猫がいた。何の迷いもなくじっと僕の方を見つめていた。 猫だと分かってほっとすると、身体の緊張がほぐれたと同時に額から汗の雫が流れた。 ばかばかしい。たかが猫に何をびくびくしているのだろう。 額の汗を拭うと猫の方に身体を向けた。飼い猫なのだろうか。この神社に住んでいるのだろうか。猫は全く動じることなく、その場でじっと僕の方を見ている。 ポケットを探るが何も見つからない。なくて当たり前なのだけど、身体中のポケットを探ってみる。すると胸ポケットに一枚の紙切れが入っていた。 入れた覚えのない紙切れ。記憶を手繰っても何の紙なのか分からない。提出しなくてはいけない書類を忘れていたのだろうか。咽喉の奥から何かがせり上がってくるような嫌な感触がする。 緊張しながらゆっくりと開いてみる。そこには太い色ペンで肉筆のメッセージがあった。 「がんばれ」「応援してる」「俺らがついてる」 深い意味なんてない、何気ないメッセージ。子供たちが、ただ、本当に応援してくれていることがまっすぐに伝わってくる手紙。 いつからこの服のポケットに入っていたのだろう。あの時に僕はこの服を着ていたのだろうか。 気づくと猫はいなくなっていた。 雨は止んで、雲間からの日差しは柔らかい。周りの樹々は恵みの雨に瑞々しさを取り戻している気がする。落ち葉を含んだ土から、苔生した石から、懐かしい臭いがした。 さっさと家に帰ろうと思った。 要らないものをゴミ袋に詰めて、シャワーで身体についた汗や埃を洗い流して、そうして明日のことを考えようと思った。 また子供たちと遊ばなくてはいけない、忙しい毎日が待っているのだから。 |一覧| |