描く原点 「好きになる」
昔の学校の絵の先生には、自由に描くより、遠近法とかをうるさく言う理論派が多かった。好きな絵をけなされて、一生絵が嫌いになった友達も。何でもそうだけど、何かを上手にさせるには、まずそれを好きにさせることなのに、たくさんの先生が間違っていた。私に描く歓びを教えてくれた素敵な絵の先生は、これ! 吉川英治の名作「神州天魔侠」などの挿絵だった。ようやく三鷹の図書館で見つけた懐かしい一枚。今、見ても、服の下の人体の骨格がしっかりと描かれていて、細線だけで、動きや躍動感、力線などが明確に表現された逸品。どうして、こんな絵が、見なくてもかけるんだろう。 その美しさに見とれて虜になった事が私の描く原点だった。石膏デッサンなど教えてくれない田舎の学校だったから夢中になって挿絵をノートに写することで素描を覚えた。それが小学校一年の頃、野球嫌いで絵ばかり描いていた。どうして、こんな美しい姿が描けるんだろう。自分も、こんな絵が描けるようになりたい。吉川英治氏の「忘れ残りの記」も素晴らしい自伝だが、それによると「神州天魔侠」で当時の少年の心を躍らせたのは、大正14年、まだ私は生まれていなかった。したがって私が読んだのは父の蔵書か復刻本だったよう。 しかし、今回の天龍村振興の一環として個展にあわせて行った、訪問者全員へ、似顔絵プレゼントの試みは大変だった。今まで、絵になりそうな気に入った顔だけ描いていたのに、この日は、目の前に座った全ての人を描かないといけない!しかし、描きながら相手の人柄が解ると不思議に筆が走った。似顔絵は、外形だけでない。心が通うことが大事と改めて気づいた。しかも、たくさんの家族の方々と絵を媒介に知える楽しい体験でした。うらやましいほど、素敵だったのは、この4人家族の方々。 「好きな女の子いる?」 「お母さん!」と答えたのは可愛い一年生。ほんとに、優しそうな素敵なお母さんだったので、思いっきり、さわやかに描いてあげた。お母さんの絵を見て一番喜んだのは、お母さんが大好きなお子さんだった。幸せを絵にしたような家族を見て、僕の子供たちが小さかった頃の事が、思い出されて、胸が熱くなった。人は最も幸せだった日々のことを、その幸せが過ぎ去って初めて気づく。 天龍村には、彫りの深い,描きたくなる男性も。鼻が高く眉が濃く、日本人らしくない顔。 ルーツをたどれば、遠いシルクロードをたどってきたイスラエルの世界中に散った20部族の由緒ある血脈かも。事実、日本の雅楽の東儀一族の先祖弓月氏は、その子孫だそう。 はるばる名古屋から父親と一緒に来た息子さん。 似顔絵を楽しみにしてきたと仲良しのお父さんと話していた。名前を聞いてびっくり。かみさんの里に近い瀬戸内海の塩飽諸島に縁のある方。かみさんが、河野水軍の出、こちらは塩飽水軍の末裔。昔は、一緒に戦った仲間だったかもしれない。 見るからに真面目そうな警備会社のおじさんが来た。描きにくい顔だったけど、話していたら表情が見えてきた。たくさんの孫娘にカラーコピーしてあげるんだとすごく気に入って、喜んでくれて、柚子の蜂蜜と白ワイン漬けのボトルをプレゼントしてくれた。温めて飲むと体中の血が駈け巡るような不思議な効果!風邪を引きそうな時に飲んで重宝しています。ありがとう! 次は、天龍村「お浄めの湯」の支配人です。お嫁さん募集中! 私が昔の絵の先生の立場になれたとしたら、言いたい事は、上手に描かなくていいから、まず描くことを楽しむこと。そうやって、まず絵を大好きになること。自然を描く時は、まず感動すること。人を描く時は相手と心を通わせること。対象物を好きになれば、自然と筆が走り始めます。さて、天龍村での似顔絵描きは、ほんとに楽しい体験。猟師にもらった鹿肉を囲炉裏で焼いての囲炉裏パーティ。バードさん(左端)の友人が集まって、楽しい夜でした。 デザイン・アート部門のプログランキング参加中。クリックして応援してくださいね。