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1-15 みゆきの決断


みゆきの決断


「まだ明るいからいいけどよ、何か用か?」
「そんな警戒しなくたっていいじゃん。どっちにしろ、みゆきさんの所
に一緒に行くんだからさ。晩御飯も一緒しようよ。ね、光子さんに何作っ
てもらう?」

 おれは、ふと思いついて、意地悪のつもりで言った。

「そこで、あたしの手料理を食べて!(はぁと)、とか言えば、お前も
可愛げがあるんだけどな」

 レイナは、とたんに険しい顔つきになった。

「ア、アタシの手料理を食べたいの!?いいけど、どうなっても知らな
いよ?」
「・・・お前、そんな鬼気迫る表情するなって。いいよ、おれが悪かっ
た。かあさんに作ってもらうよ」
「ううん、いいよ、アタシが作る!古風ってタカシ君言ってたもんね。
そうかー、手料理かー。そうだよねそうだよね。ご飯とお味噌汁と、魚
とお肉はどっちがいい?ひじきとか卵料理とかもあったほうがいい?」
「む、無理するなよ。冷凍食品で十分だからさ」
「だいじょぶ、光子さんにも手伝ってもらうからさ。真黒な炭だけを食
べてもらうようなことには、ならないハズ!たぶん!!」
「ハズ、とか、たぶん、をそんな強調するな!不安になるだろ!」

 おれは、腕まくりしてAIをキッチンへ連行しようとしていたレイナの
肩をつかんで引き止めた。

「わかったわかった。熱意は買ってやる。おれも一緒に作ってやる。そ
れでいいだろ?」
「わぁー!一緒に台所に並んで立つなんて、若夫婦みたいだね!えへへ
へ~」
「にやけるなそこ。わざと包丁で指切って、とかやるなよ・・・?」
「ば、ばれてたかー?って、タカシ君がそれやったら、アタシの唇で止
血してあげるよ!(はぁと)」
「なめんな。おれは5歳の頃から台所に立ってたんだ。お前こそどうな
んだよ?」
「うー・・・。ア、アタシは、全国の学校児童の給食の献立を、栄養バ
ランスから調理方法、原材料の仕入れ先から栽培方法まで一括管理を・・・」
「要するに、自分じゃ調理したこと無いんだな?」
「ううう・・・」
「まずは、米だ。米を研いでみろ」
「タカシ。さしでがましいようですが、ここに用意されてるのはどれも
無洗米です」
「無洗米でも、軽く一研ぎしてもいいんだよ。いいか。炊飯器からお釜
を取り出して、米櫃から米を入れる。二人分なら、まぁ三合でいいか。
適当な量の水を入れて、こう、底に押し付けるようにかましながら研い
でいくんだ。やってみろ」
「うん。やってみる!」
「そうそう、下にぎゅっぎゅっと押しつける感じで、かましながら、
ってウバァ!?」

 傍に誰かがついてて、いやおれなんだけど、米を研ぐだけで台所中を
米と水浸しに出来るってのは恐ろしい才能だった。ていうか何で下に押
し付けてる筈の釜が宙を舞う!?

 何合もの米を無駄にした後、結局はおれが釜を抑えつけることでよう
やく米は研がれ、炊飯器の中に収まった。って、そこ!わざとらしく保
温のスイッチ押さない!

「こんな調子のお前に包丁とか火を扱わせるなんて、おれには出来ん」
「ええー!?出来ない奴にやらせないといつまで経っても出来ないって
言うじゃない?やらせてよー」
「むぅ・・・」

 やる気にはやるレイナを押し留めないとおれ自身が作業に取り掛かれ
なかったので、おれは、普段の1/10の速度で調理の動作、といっても豆
腐を切るだけなんだが、をレイナに実演してくれるようAIに頼んだ。

 その結果、練習用に何丁の豆腐が犠牲になったかは不明だ。AIの機転
で、床に散らばらないように囲いをした中で切らせていたので、レイナ
の切った(つぶした)豆腐の大半は、豆腐野菜サラダ等に有効活用された。

 全てがこんな調子で、夕方前から始めた晩飯の準備が終わったのは、
午後7時を過ぎた頃だった。やれやれ・・・。

「だいぶかかっちまったな。食べて片付けて出かける準備したらって
考えると、あまりゆっくりも出来ないな」
「ううん。つくのなんてすぐだから、だいじょぶだいじょぶ!」
「どういうことだ?」
「その時になればわかるよ」
「また、じらすのか?」
「うーん、ダメ?じゃ、ちょっとだけよ♪」

 厨房にあったサラダの大皿が、次の瞬間にはリビングのテーブルの上
に移動していた。音などしない。途中の画像など無い。移動した後の皿
の上にも動きは何もなかった。

「お、お前・・・」
「さ、食べよ~、お腹へっちゃった!」
「レイナ。それって、自分にも、他人に対しても使えるのか?」
「そだよ」

 レイナは、豆腐サラダを取り皿に寄り分けながら、抑揚無く答えた。
 おれは、食卓の席について言った。

「距離の制限は無いのか?」
「地球上のどこかってくらいならね」
「大きさとか重さとかは?」
「ん、このタカシ君特製の野菜ドレッシングおいしーね!お嫁さんになっ
てヨカッター!」
「まだなってねぇ」
 おれはレイナの手元からサラダの取り皿を取り上げた。
「もー、せっかちさんなんだからー。せめて、アッチの方でも同じくら
いせっかちだったら良かったのにー」
 おれの手にあった筈の取り皿は、瞬く間にレイナの手元に戻っていた。
「まぁ、一度に動かせる対象の制限は、重さとか大きさとか質量とかっ
て単位じゃなくて、その対象が関わっている情報量の多さによるかな」
「もっとわかりやすく教えてくれ」
「あ、ご飯もお味噌汁もおいしー!レイナ、料理上手なダンナ様に当たっ
てラッキ-!、みたいな」
「なんなら、次からは炭化したご飯と固形化した味噌汁を出してやるぞ」
「タカシ君。おハシ止まってるよー。あったかいうちに食べないともっ
たいないよー」
「いいから続けてくれ」
「んー、例えばね、一枚のお皿とか、その上に乗ったお料理とかは、そ
れらをひとまとめにした情報だけ書き換えてあげれば済むの」
「サイコキネシスとかテレポーテーションとかってやつか?」
「テレポーテーションが何をしてるかっていうと、対象の位置情報を書
き換えてるだけ。人間にも能力者はいるみたいだけど、意図的に転送先
の情報を正確に認識して書き換えられる人間はいないだろうね。いたら、
歴史が変わってるもの」
「お前はどうなんだ?」
「うふふ、ひ・み・つ♪」
「・・・まぁ、よかないけどそれはおいとく。情報量の多さっていうの
は?」
「そのまんまだよ。人間一人なら、せいぜいその着てるものとかくらい
を平行移動させればいいけど、例えば何百人も乗ってるような軍艦とか
ならともかく、数十億どこじゃない数え切れない生命が活動してる星を
まるごと移動させるとかは、手に余るだろうね」
「お前って・・・」
「あ、この鮭の焼き物もオイシー!こっちのタコとワカメの酢の物なん
て熟年の主婦の味?みたいな。食べたこと無いけどねー。えへへ」

 おれは、言葉を失ったままレイナを見つめ続けていた。レイナの言っ
た事は、たぶん嘘じゃない。直観でそれが伝わってきた。エスパーとか
魔法使いとか、そんなレベルじゃない。もっと、根源的な何かが、違った。

「タカシ君も、アタシをそんな目で見るの?」

 見るなって方に無理があるだろ・・・。

「そう、だよね。やっぱり、無理だよね・・・」

 がっくりと肩を落としてハシを止めたレイナを見て、おれは何故か慌
てた。

「何が無理だっていうんだ?」
「アタシとタカシ君が一緒になること」
「そ、そんなの、おれにもわかんねぇよ。だからほら、こっちの豆腐揚
げも食ってみろ。冷めない内に」

 浪費された豆腐の量は半端無かったのだ。

「わぁ、サイズ不揃いのサイコロステーキみたい!」
「それはお前が切った分だけだ。ほら、こっちのつけ汁に浸けて食え」
「おいしー!こんなのが作れるなんてタカシ君、天才―!」
「まぁ、両親がいなくなっちまった後、おじさんの家に引き取られた居
候だったからな。家事手伝いのおばさんはいたけど、世話になりっぱな
しってのもなんだったから、出来る家事は出来るようになっただけだよ」

 そこでなぜかレイナはまたシュンとしてしまった。

「なんだよいきなり。別にお前のせいじゃないだろ・・・?ほら、さっ
さと食わないと冷えちまうぞ」
「う、うん・・・」

 そんな風に食事を終えて、片付けて、リビングのソファに落ち着いた
時には、すでに時計は午後8時を回っていた。
 レイナはアップルティー、おれは緑茶をすすりながら、都心の夜景を
眺めていた。
「今日の審議ってさ、法案の扱い、どうなるのかな?」
「タカシ君はどうなって欲しいの?」
「いや、おれは、特に・・・。政治家にELを利用すべきじゃないとは
思うけど、それ以外は・・・」
「どうしてそう思うの?」
「うーん。例えばさ、行徳おじさんみたいな政治家だっていたわけだろ。
MR大政変に引っ掛かって失脚しなかったほんの数%の存在だったにし
てもさ。でも、ELを適用するよう法律で義務付けるのって、端から相
手を信用しないってことじゃん」
「じゃあ、アタシみたいな存在はどうなるの?」
「レイナだけじゃなく、他のELを義務付けられてる人達を差別するわ
けじゃないけどさ。そうだなぁ・・・。結局のところ、自分の大切に思っ
てる人や、自分自身にELを受けさせたいなんて思わないから、なんだ
ろうな。なんだかんだ言って」
「アタシもELを受けたいだなんて思わない。今でもね。でも、人々が
そう望んだから受けさせられてる。それはまだいいの。でも、受けるべ
きじゃない人達もいる。特に、アタシはアタシが受けているような制約
をタカシ君には受けて欲しくない。自分が100%自分の思い通りになっ
てる人なんていないだろうけど、ELは、その100%を他人から直接削
られるものだからね」
 おれは、なんとなく、その場の雰囲気で、隣に座ってたレイナの肩を
抱いて軽く引き寄せた。レイナが背中が腕の中に収まって、その髪が頬
に触れた。レイナがどんな存在であれ、その体は温かかった。
 何呼吸か置いてから、おれは言った。
「ま、なるようになるさ」
「そうだね」
「テキトーだけどな」
「みんなが、それぞれ信じるように投票して、結果は出るしね。採決が
はっきりと出なければ出ないで物事は進むようにちゃんと出来てるし」
「何やっても結果は変わらないみたいに聞こえるけどな。その言い方」
「気に障ったらごめんね。でも政治って、どっちに転んでも道筋付くよ
うになってないと、何も決まらないでしょ?」
「それはそうなんだけどさ」
「企業院も、何十通りもの試案を最初から用意してた筈だよ。でも、最
初からそんなもの見せても、相手を混乱させるだけだからね」
「まぁ、春賀さんとかクリーガンさん辺りじゃないと、厳しいだろうな。
2日後の内輪の再審議が山場になるのか、そしたら?」
「うぅん。今夜から明日中にかけて、できるだけ説得しておこうとする
筈だよ」
「おれに対しても?」
「タカシ君は、まだ説得できそうな感じがあるからね。アタシとか二緒
さんを説得するのは無理そうでも、タカシ君が説得されてくれればある
いは!?みたいな望みも抱いてるでしょ。アタシには由梨丘さん自身が
説得にかかるかも知れないけど、タカシ君にはもっと効果的かも知れな
いアプローチを試すだろうね」
「なんだよそれ?」
「明日になればわかるだろうから、お楽しみに!」
「わかんねぇけど、わかったよ。楽しみにとっておくよ」
「うん」

 だけどそう応えたレイナの声は、あまり浮いたものじゃなかった。

 それから9時前くらいまで、おれとレイナはテレビを見たり、他愛も
ない雑談で時間をつぶした。ニュース番組では、どこも今日の抽選議院
で提示された企業院からの修正案を取り上げて、コメンテーターや専門
家達が持論をぶつけあっていたが、レイナはあっさりとAIにチャンネル
を変えるように命じて、おれも反対はしなかった。必要な情報や録画は、
ネット上で後からいくらでもアクセス可能だったし、みゆきに会う前に、
政治から気持ちを切り替えておきたいのもあった。

 8時45分には、レイナはいったん着替えの為に部屋に戻り、9時5分前に
はまたおれの部屋に戻ってきた。
 おれも高校時代から着ていたTシャツとジーンズに着替えて出迎えたが、
何せ9時は目の前だった。
 レイナはおれと光子さんの手を握って言った。
「じゃ、行くよ!」
「目、閉じてなくていいのか?」
「?、そんなの意味無いよ」

 どうしてだ?、と問い返す暇も無かった。その時にはもう別の場所に
ついていたから。どこかの施設の待合室のような場所に、3人ともその
ままの姿勢で立っていた。

「何かこう、異次元空間をうにょうにょーって移動するようなのが・・・」
「欲しかった?残念でしたー!じゃ、アタシは二緒さん迎えに行ってく
るから」

 何か言い返す間も無くレイナは姿を消し、次の瞬間にはレイナは二緒
さんと共に出現していた。

「とーちゃくー! ね、9時前に余裕でそろったでしょ?」

 二緒さんは何度か深呼吸をして、レイナを一睨みしてから言った。

「まず、私とみゆきさんとでお話しします。その後、たぶん中目さんに
も同席してもらいます。白木君を呼ぶかどうか、最終的にはみゆきさん
に決めてもらうけど、それでいいかしら?」
「いいですけど、でもイワオはどこに?」
「彼には別室で待ってもらっています。彼に話すかどうかは、みゆきさ
んとあなたとで決めて下さい」
「え、おれも?」

 二緒さんは、厳しい面持ちでうなずいた。

「一つだけ、これはいずれ誰にでもわかってしまうことだから、今、白
木君にもお話ししておきます。南みゆきさんのお腹にいる子供の父親は、
大石巌君ではありません」
「じゃあ、誰だっていうんですか?」
「それは、警察の取り調べでいずれわかってしまうことかも知れないけ
れど、私からあなたにお話しすべきことではありません。みゆきさんが
話すかどうか決めるべきことです」
「け、警察!?」
「二緒さん。もう約束の時間だよ」
レイナが口を挟んで、二緒さんは部屋から出て行った。

 おれは、レイナにどういうことだ!?と詰め寄りそうになるのを必死
で堪えて、ソファにどさっと腰を下した。
 レイナは、おれの隣に座り、手を重ねてきた。
 おれは、何度も口を開いては、迷って、そのまま閉じた。もう、おぼ
ろげにだが察しはついてきた。おれもイワオも、みゆきの両肩を掴んで
揺さぶってでも聞きだしたいことはある。けれどそうすべきじゃないこ
とも明らかだった。

「おれ、気がついてやれなかったよ・・・」
「部活も引退してたし、違うクラスだったし、三角関係が崩れた後だっ
たし、無理だったと思うよ」
「そういう意味じゃねぇ・・・!」

 レイナの言うことが正論だとはわかってはいた。けれど体のもっと奥
深い所で、もっと何かできた筈だという声を黙らせることは出来なかっ
た。レイナも、無理にそこまで踏み込んできてはくれなかった。

 二人とも口をつぐんだまま、十五分が経ち、三十分が経った頃、二緒
さんがドアを開けた。
 二緒さんは、手をつないでいるおれ達を見てちょっとだけ悲しそうな
怒ったような顔をしたが、すぐに表情を消して言った。
「中目さん、一緒に来て」
 二緒さんは、すぐにまた扉の向こうへと姿を消した。

「じゃ、行ってくるね、タカシ君」
 腰を浮かして離れようとしたレイナを、おれは手を握って引き止めた。
「男のおれには話しにくいことも、お前には話せるかも知れん。それに、
口には出来ないことでも、お前なら・・・」
「分ってる。けど、無理強いはしないよ。それに、アタシや二緒さんに
は話せないことでも、タカシ君には話せることがあるかも知れないで
しょ?」
「あるのかな?」
「うん。それにね、伝えられることは言葉だけじゃないんだよ?」
 レイナは、おれの頬に手を添えたかと思うと、軽く唇と唇をかすらせ
て、そして部屋から出て行った。

 おれ一人を、部屋に残して。

 レイナが扉の向こう側に消えてから、10分経たない内に、二緒さんが
一人で戻ってきた。二緒さんは、おれの向かい側のソファに腰かけて
言った。
「追い出されちゃった」
「レイナに?」
「中目零那に」
 おれは居住まいを正して問いかけた。
「二緒さんは、どれくらいあいつの事を知ってるんですか?さっきみた
いに移動してきたのも初めてじゃないみたいだったし」
「たぶん、私は中目零那の一番古い方の知り合いだと思うわ」
「どれくらい、前から?」
「・・・これは、秘密よ?」
「わかりました、秘密は守ります」
「この間、晩御飯を一緒した時言ってたでしょ、二度目の誘拐の時、誰
が助けに来てくれたのか?、って」
「えぇ!?あの時、二緒さんは12歳でしたよね?てことは、あいつは5
歳くらいだったんじゃ?」
「あの中目零那に、年齢はあまり関係無いみたいね」
「でも、どうしてあいつが二緒さんを?」
 二緒さんは、急にもじもじしながら答えた。
「まだ、教えてもらってないわ。というか、教えてくれるつもりも無
いみたい」
「どうしてです?」
「さぁ?あの人でも、何か言いたくないことがあるんでしょう。気を利
かせてくれてるのかも知れないし、ね」

 あいつが、中目が気を利かす?有り得なそうな話だった。
 でも、それが他人に対してじゃなく、レイナに対してだったら・・・?
 そもそも、なんで中目は二緒さんを助けた?親子?いやどう考えても
計算が合わないし・・・。

 で、そんなタイミングでレイナは部屋に戻って来た。

「みゆきさんが、タカシ君と会いたいって」
「そうか・・・」
 扉の所ですれちがう時、おれは何かを期待して立ち止まったが、レイ
ナは何も言わずにソファまで戻ってしまった。
 おれが諦めてドアを閉めると、光子さんがそこに待っていて先導し
てくれた。
「その、みゆきは、元気なのか?」
「肉体的には健康と言える状態を保っています。精神的には、・・・どうで
しょうか?タカシ自身でお確かめ下さい」
「そうか・・・」

 細い廊下の先の個室に、みゆきが待っていた。ベッドの上に横になっ
て、じっと天井を見つめていた。

 おれは、ベッド脇に置かれていたパイプ椅子に腰かけた。
 みゆきの顔や手に傷とかはついていなかったし、髪は洗われてぼさぼ
さにはなってなかったが、目の焦点が合ってなかった。ついさっき泣い
たような跡もあって、瞳は赤くなっていた。

「みゆき・・・?」

 みゆきは、こちらを振り向かずに、手だけを少しおれの方に動かした。
以前よりも少し細く見えたその指先を、おれは軽く握ってやった。

「あたしね、ばかだった。考えてるつもりで、考えてなかったみたい」
「どういうことか、聞いてもいいか?」
「タカシ君が好きだったのに、そんな自分とタカシ君を裏切った罰が当
たったんだ。ずっと、そう思ってたの」
「でも、そうしなかったら、イワオが死んでたかも知れないだろ?もう、
終わったことじゃないか?」
「タカシ君、わかってないよ。終わってないんだよ、あたしの中で。タ
カシ君のこと、まだ・・・」
「みゆき・・・」
 みゆきは、握られてた手を離して、腕を組んで隠してしまった。
「あたしは判断を間違えたの。だから、タカシ君と一緒になれる可能性
もあったのに、その資格を無くしちゃったの。自業自得だよね」
「誰がそんなこと決めたんだよ?資格とか、自業自得って何なんだよ?」
「決めたのは、あたし。タカシ君でもイワオ君でも、二緒さんでも中目
さんでもない、あたし自身」
「どうして、そんな悲しいこと言うんだよ」
「さっきね、二緒さんや、中目さんとお話ししたの。って言っても、
話してくれたのは、二緒さんや、中目さんだったんだけどね。二緒さん
は、あの12歳の時の事件について、どんな事が自分の身に起こったのか、
どんな風に今日までを生きてきたのか。とつとつと、話してくれた。世
間に知られてないようなことまで。だから、だから・・・」
「無理すんな」
「だから・・・、あたしも・・・!」
「みゆき!」
 おれは椅子から立ち上がって、みゆきの肩に手をかけて抱き起そう
としたが、みゆきは両手を突っ張って、拒否した。
「いいの。座ってて、タカシ君。あたしに余計に優しくしないで。そこ
にいてくれるだけでいいの。我儘でごめんね」
 おれはみゆきに気押されて椅子に戻った。
「二緒さんはね、不幸比べとかそんなんじゃなくて、これからどうする
かは、あたし次第だって、言ってくれた。お腹の子供についても、何も
言ってくれなかった。言わないでくれた」
「そうか」
「それでね、中目さんは、やっぱり身の上話をしてくれたの。自分ほど
母親に望まれないで生まれてきた命も珍しいだろうって。でも、そのお
蔭で、今はタカシ君に出会えて、幸せだって」
「そうか・・・。って、あいつ、自分の母親が誰かわかってるのか?パ
ブリック・チルドレンだろ?」
「中目さんのお陰で、レイナちゃんにもわかったらしいんだけど。でも、
その母親には言いだせないらしいよ。自分がその人の子供だって」
「ちょっと待てよ。いくら何でも、産んだ実の母親が、自分の子供の事
をわからないなんて事あるのかよ?」
「いろいろ、あるみたい。レイナちゃんもね。あの人、誰よりもタカシ
君のこと、大事にしてくれるみたい。だから、あたしは、タカシ君のこ
と、あきらめるよ」
「くぅー!なんだってお前らはおれ抜きで話を進めるんだよ」
 あはは、とみゆきは、明るく笑った。
「しょうがないでしょ。女の子同士なんだもの」
「しょうがないけどよ。それって性差別発言だぞ?」
「そうだね。ふふふ」
 おれはみゆきの頭に手を伸ばしそうになって、慌てて引っ込めた。そ
れを見たみゆきはさびしげに微笑んで言った。
「・・・やっぱりだめだな。ね、最後に一つお願いしてもいい?」
「何だ?」
「あたしを、抱いて」

 ぎょっとして答えられないでいると、みゆきは入院着の合わせ目の結
び紐をはらりと解いて、体にかけていた毛布をどけた。下には、何も履
いてなかった。
 窓の外の月明かりを脊にして、椅子に座って金縛りにあっていたおれ
の前にみゆきは立った。上着をはらりと落として、一糸纏わぬ姿になる
と、おれの太腿の上に股がってきた。

「ね?お願い。そしたら、忘れるから。諦めるから。諦められるから」
「勝手に忘れたり、諦めたりするなよ。ヤケになるなよ」

 オヤジくさいこと言ってるわりには、心臓はバクバク言ってた。両手
は、みゆきの背中を抱き締めそうになるのを寸前でこらえていた。
 みゆきは、おれの顔を抱き込むようにして、耳たぶに唇を触れさせな
がら言った。

「それとも、穢れちゃったあたしじゃ、いやなの?」
 その言葉が、おれの中の何かを弾いた。
「そんなわけ、無いだろが!」
 おれはみゆきを抱きしめて立ち上がり、そのままベッドに倒れ込むと、
みゆきから体を引き離して、床に落ちてた病院着を拾ってみゆきに向かっ
て放り、毛布でその裸身を覆った。
「やっぱり、だめなんだ。あたしじゃ・・・」
「だぁーーー!か、らっ!勝手に決めるなってーの!お前がお前に対し
て何かを決めるのは構わんけど、おれがおれに対して何をするかは、お
れが誰かをどう思うかは、おれが決めるの!自分勝手だけどな。古風だ
奥手だって言われようが、お前が今したことは汚い。穢れたとかそう言
うんじゃないけど、それを逆手に取って誰かを思い通りにしようとする
のは・・・。だから、だからおれはっ・・・!くそっ・・・!」
「うん。良く分かったよ。あたしは、あたし自身に対して何をするか、
自分で決める。ていうか決めた。だから、二緒さんと、中目さんを呼ん
で」
「お前、またヤケになってるんじゃ?」
「うぅん、ヤケなんかじゃない。タカシ君は、ちゃんと答えを出してく
れた。だからあたしも自分自身に対する答えを出せた。ありがとね」

 みゆきはもう上着を元通りに羽織って、おれが入って来た時と同じ状
態に戻ってた。

「お前、EL、受けるのかよ?」
「今の法案が通らないと、無理だけどね。どうなるかは、タカシ君達次
第だよ」
「どんな内容で、受けるつもりなんだ?」
「教えてあげない」
「お前なー」
「私を抱いてくれなかったタカシ君に、それを聞く資格は無いよ」
 返す言葉に、詰まった。
「・・・ギャンブルから降りた奴に、次のカードが何だったのか、降り
なかったらどうなったのか、知る権利は無いってか?」
「そんな、感じ。負けたのは、あたしだけどね」
 みゆきは、うっすらと涙を浮かべていた。
「二人を呼んで来る前に。イワオに話すかどうかだけどさ・・・」
「ここで聞いたこと、見たこと、あったこと、全部話してくれていい
よ。あたしは、もうイワオ君には、会わないことにしたの。そう思った
ら、何かすごいすっきりしちゃった。今のこの気分を無くしたくないか
ら、だから、会わない」
「そうか。んじゃ、二人を呼んでくるよ」
「お願いします」

 ぺこりと、みゆきは頭を下げた。
 おれは立ち上がり、部屋から出て、扉を閉めた。その脇には、AIと、
レイナがいた。

「全部、立ち聞きしてたってか?」
「最後までやろうとしたら、途中で割って入ったかもねー。でもでも、
良くあそこで思い留まれたね?もしかして、タカシ君て勃たないとか・・・、
あイタッ」
 おれはぽかりとレイナの頭にゲンコツを見舞って二緒さんの待つ部屋
へと歩き出した。
「今でも、まだおさまってねぇよ」
 おれだって、健康な若い男児なのだから。
 たいして長くもない廊下の道すがら、レイナは、どれくらい持続す
るのだの、どれくらいになってるか触らせてだのセクハラしてきたの
で、おれはレイナにヘッドロックをかませながら、待合室の扉を開き、
二緒さんを呼び出した。
 二緒さんは、じゃれあう二人を見てふっと笑い、そして三人でまたみ
ゆきの待つ部屋に戻った。
 そこからは事務的な話だった。ELの施術が出来るかどうかは、法案の
審議の結果次第だということ。みゆきは、今回の件を特に警察に届け出
るつもりは無いこと。イワオには会うつもりは無いが、3人が見聞きし
たことは伝えてくれて構わないこと。ただし、みゆきの両親には自分か
ら伝えたいので、まだ黙っていておいてほしいということ。
「でも、みゆきさん。この施設に入られてることは、すでにご両親に伝
わっています」
 中目が淡々と告げたが、みゆきは動じなかった。
「もう、電話越しに喧嘩しました。母親だけは会いに来たけど、妊娠し
た事情を話さなかったから、また喧嘩になって、それ以来話してません
し会ってません」
「でも、いつまでもそういうわけにもいかんだろ?」
 おれは心配になって言った。特に、堕ろすつもりが無いなら。
「まぁ、イワオ君の子供じゃないとは、匂わせて言っておいたけどね。
勘違いされて球団事務所とか試合とかに乗りこまれたらたまったもん
じゃないから。ああ、タカシ君でも無いってちゃんと言ってあるから
ね。あはは」
「笑いどころじゃねぇ」
 二緒さんが、真剣な面持ちで告げた。
「南さん。ELの法案が通って、NBR社の特権を使って先行的に治験対象
になるとしても、司法機関に事情を説明して認可を受ける必要がありま
す。道州知事にもね。その時は・・・」
「はい、全部、お話しします。でも、刑事告訴するかどうかとかは、私
が決めますから」
「分りました。じゃあ、また何かありましたらメールで知らせて下さい
ね」
「今日は、本当にありがとうございました。二緒さん、中目さん、そし
て白木君も」
「ま、いいって」
 何もしてやれなかったことについては、他の二人が傍にいる状況で改
めてボケをかましたりはしたくなかった。
「んじゃ、夜ももう遅いし、またな」
「うん。お休みなさい」
「お休みなさい」
「またね~♪」

 一行は扉を開けて、部屋から出たと思うと、二緒さんの姿が消え、お
れと光子さんとレイナは再びおれの部屋にいた。
「どこでもドアってか?」
「へへ~」
「確かに予告無しだと心臓に悪いかもな。一言くらいかけて心の準備を
させろ。次から。頼むから」
「ん~。わかったよ。じゃ、一緒に寝よ♪」
「そこ、さらりとすごいこと言わない」
「えー、もっと直接的な言葉の方が燃える?いや萌える?」
「とにかく、今日はもうそっとしておいてくれ。明日も何かお楽しみが
あるんだろ?それに備えて気力体力を温存しておくよ」
「うー、むしろ温存して欲しくないみたいな。ていうか抜いておいて欲
しいみたいな~」
「お前、オヤジ化してるぞ?ほら、今日はいろいろありがとな。感謝し
てる」
「じゃー、言葉だけじゃなくて、態度で、って?」
 おれは、正面にいたレイナを抱きしめて、ぎゅっとしてやった。レイ
ナも腕を回してきて、何秒かはそのままでいたが、長くしすぎるとまた
雰囲気が怪しくなるのでおれはレイナをそのまま抱きかかえるようにし
て玄関まで運んだ。
「えー、ベッドにまで運んでくれるんじゃないのー?」
「おれがその気になったらな。そうしてやる」
「どうしたらそうなるの?教えて教えて~!」
「それは・・・。女のお前が考えることだ。男のおれじゃない」
 苦しかったが、それで逃げた。つもりだった。
「うー、女の沽券に関わる問題だね!考えておくよっ!んじゃお休みの
キッスをぉぉ!」
 とてつもないディープなのが来そうな予感がしたので、おれはレイナ
のおでこにキスして、そのまま扉の外に放り出した。レイナは悔しそう
な表情をしてたが、案外大人しく背中を向けて自分の部屋に帰って行った。

 扉を閉めてリビングに戻ると、AIが風呂の準備が出来ていると告げて
くれたので、おれはそのまま浴室に行って湯船に浸かった。

 透明なお湯の中で手足を伸ばしている内に、おれは気がついた。いく
らでもテレポートしたりさせたりできる相手を外につまみ出しても扉を
閉めても、そんなの全く意味が無いんじゃないかということに。つまり
はレイナもかなりの意味でおれの自由意思を尊重してくれているのが初
めて分かった。
 体や髪を洗って湯船にしばらく浸ってからリビングに戻ると、AIが待っ
ていて、空間にはメーラーが表示されていた。

「緊急で、企業院の方から面会要請が入っております」
「いつ?どこで?誰と?」
「明日の昼食を、都内のホテルのレストランで。面会希望者は、由梨丘
企業院議長の秘書の方です」
「へぇ。構わないけど、何ていう人なの?」
 議長自身のお出ましじゃない分、気楽に済むかと思ったおれは甘かった。
「由梨丘瑠々。由梨丘企業院議長の長女です」
「・・・そう来たか。てことは、おれと年も近いとか?」
「議員秘書登録によると、二十歳になっています」
「それで、レイナはあんなこと言ってやがったのか」
「は?」
「何でもない。おれももう休むから、かあさんも休んでていいよ」
「AIに休みは必要ありません」
「いいから。とにかくおれは部屋で好き勝手やってるから、できれば、
その、リビングにはいないで欲しいな。できれば離れた、別の部屋にで
も行っててくれると助かる・・・」
 AIは意味がわからないという風に黙り込んだ。いつもより数倍は長い
沈黙の後、AIは立ち上がり、リビングから出て行った。

 悪いとは思ったけど、おれも処理しとかなきゃいけないことが山積
みしてた。それからおれは書斎兼寝室に籠って、世論調査サイトとか
ニュースサイトをいくつか巡り、メールタイトルや内容の統計表を眺め
たりした後、詳しくは書けないことを済ませてから眠りについた。


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