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カテゴリ:書き物的なモノ
bewaadさんのこちらの記事と諸コメントを読んで思う所があったのでレスを書いていたら長文になってしまったので、こちらに載せてトラバにしてみます。
トンデモ系な私が言うのも何ですが、『○○がお勧めです』と言われれば、分かっていない方としてもそんなに抵抗はありません。(ただし一冊1500-3500円くらいする本を誰でもぽんぽん購入できるわけでは無いことはわきまえる必要ありますが) 私個人としては、バーナンキのリフレ政策を説いた本はすごく嫌味(イヤミ)が無くて読み易かったし、論旨もすっきりしているように感じました。(私が読んだのは『リフレと金融政策』) ケインズの一般理論読んだ時も、その序論の冒頭の文の謙虚さにものすごく感心して(変な言い方ですが)、その後の興味ある部分をすんなり読めました。(数式部分が分からなくとも) 経済学の事をもう少しでも理解したくて書店においてある高校の数学の教科書まで手に取ったこともありましたが、三角形のなんたらを知りたいわけではないので棚に戻した経験もあります。 (経済学を)分かっていない一員としての見解を述べさせて頂くなら、いかなる複雑な数式を駆使したとしても、その結論(及び数式に用いた仮定やその意味)は絶対に、言葉で説明され得るものになる、という単純で素朴な事実に立ち返れば良いのではないかなと思います。 証明部分は数式で為される必要があるにしろ、数式も基本的に論旨の組み立てから成り立ってる(筈)なので、AがBという要素の影響によってC状態になります、とか、AがB'という要素の影響を受けた時は逆にD状態になります、とか。 実データから作られた表やグラフは理解を助けますし、現実のデータの変遷と積み上げられた論旨の整合性を取る作業には、必ずしも数式の助けを必要としない筈です。 大雑把な例を上げるなら電子レンジの仕組みは量子論の式まで提示しなくても説明できるだろうし、Newtonを読むのに宇宙物理学の修士号は必要無いとか、そんなレベルで済ませて良いのでは無いのかと思います。 ネットというのは不特定多数がアクセスするメディアなのですし、せっかく"そういった"興味を持ってbewaadさんの様なサイトを見に来た人達が『まずはこれ読んでから出直してきなされ』という態度で追い返されて、結果として理解者の数を増やせないというのは、もったいないと思うのです。(bewaadさんが意図的にそうしているという訳では無いけれども、そのような印象を受ける時があるのは確かです。) 大切なのは、リフレという金融政策を経済学の数式部分まで含めて理解してもらう事では、おそらく無いという点です。 大切な論点はあくまでも、 1.日本の現状がどのようであり(現状認識)、 2.将来的にどのような状況が到来すると考えられ(将来予測)、 3.1と2から、どのような政策を社会的に選択していく事が望ましいのか(目的設定とその為の手段の策定/選択) という3(4)点に絞られます。 1の現状認識が異なれば、当然ながら2と3は異なってきますし、1が同じでも2が異なれば3は異なってくるのが自然でしょう。(そして1と2を一致させないまま3を論じても時間の無駄になるのは当然です。) 経済の動きや仕組みを語るのに、必ずしも経済学を前面に押し立てる必要は無いのではないか、というのが私の意見になります。数学的な素養が無かったり今更大幅な向上が絶望的な人達にそれらを求めるのは、彼らを門前払いするのと同じ意味合いを持ちます。(FAQまで作られてるbewaadさんが普段からそうされているという事ではありません。為念) その意味では、『細野真宏の経済のニュースがよくわかる本』シリーズは理想的な入門本になるかと思います。bewaadさんのサイトを普段から覗いてる方々の評価は分かりませんが。笑 詳しい人達には詳しい人達への別項部分を設ける事で、間口を広げながらサイトそのもののクオリティは落とさない事が可能でしょう。 ただし当然ながら、サイト管理者の記事作成作業負担は倍化しますので、現在の更新ペースとクオリティーを保ったままbewaadさん自身があまりにも間口を広げようとする事自体が『処理能力に対する過大要求』なのだと思います。(先日の大嵐の一件の様に・・・) もちろん、より多くの人にリフレ政策(若しくは経済学一般)への理解を広げようとする意図と努力は大きく評価されるべきなのですが、一番悩ましいのは、bewaadさんの主張を完全に理解できる様な人達に改めてリフレ政策を勧める必要は(ほとんどの場合)無いという所でしょうか。 最期に、ケインズの一般理論の序文の冒頭をご紹介させて頂きます。 『本書は主として、私の仲間である経済学者たちに向けて書かれたものである。私は本書が他の人々にも理解されることを希望してはいる。しかし、本書の主要な目的は難解な理論上の問題を取り扱うことであって、この理論の実践への適用は副次的に取り扱われるにすぎない。』 (『雇用・利子および貨幣の一般理論』 J・M・ケインズ著、塩野谷裕一訳、東洋経済新報社) 対象や希望や限界が極めて明快に提示された名文です。 余談ですが、先日bewaadさん等の所で展開されていた左翼とリフレ政策絡みの議論も、基本的には全く土俵違いの議論でした。(ただし展開されていた意見の交換の内容の全てが無意味なものだったという事ではありません。為念) 人間同士が不平等な存在である以上、その人間同士が個体又は集団で生産した富の分配もまた不平等なものにならざるを得ません。その富の分配の究極なまでの平等さを『哲学的に』求めるのが左翼思想です。 それはあくまでも社会の一理想形態を求める思想であり、あえて言うなら社会的な「目標」です。 対してリフレ政策というのは、政策という名の示す通り、「手段」です。 ですから双方の接点は自然と、リフレ政策という手段で左翼思想(目標)を『実現できるか(否か)』という一点に限られます。 答えは、『実現できない』、で決まってしまっていますので、それ以上の議論は不毛なものと成らざるを得ません。 左翼思想そのものが哲学的な理想を述べた「思想」であって、経済学的な根拠や景気変動の実態や人間社会の力関係や個人の能力差などの実態に根拠を置いていないからです。 当然ながら、左翼思想がもたらした労働者の地位や待遇改善などの成果を否定しませんし、これからも左翼思想に一定の評価は与え続けられるでしょうが、それは左翼思想が完全に現実と一致する状態が訪れる事を意味しません。 リフレ政策は、主として、デフレを止める為の「手段」に過ぎないのですから、それをもって人間社会に蔓延する富の配分の偏在を究極的に解決できるかどうか考える事自体が、時間と労力の無駄でしょう。(富を(振幅を持ちながらも安定的に)増加させる事により、富が社会全体に行き渡る範囲や量に影響を与えられるとしても) そこら辺は、先程ご紹介したバーナンキの本にも限界が明言されています。 『金融政策はいくつかある政策手段の一つにすぎません。』 『デフレを止めることが、すべての解決策になるわけでなく、それ自体では万能薬でもないですが、構造改革の他の要素と一緒になれば日本の回復へとつながるでしょう』 (『リフレと金融政策』ベン・バーナンキ、高橋洋一[訳]、吉次弘志[解説・インタビュー]、日本経済新聞社、p.168-169) 私自身リフレ政策という存在を知ったのは今年(か去年くらい)からですが、bewaadさんとかsvnseedsさんとか馬車馬さんとかに勧められてた本とかそうでないのとかも興味が向くままに買って読んだりしました。 読み終わらなかったのとか、途中でついていけなくなって挫折したりとか(経済学入門書・・・orz)もあったりはしましたが、年金関連の本なども含めて、結局自分が興味があるから読む、という単純な動機に過ぎません。 書き物全般においてそうですし、それは他の行動全てにおいての動機付けにおいてもそうです。 自分がそうしたいからそうする、という最も単純な要求です。 ある本を読んだ方が早い場合は確かにありますし、数時間の(お互いに的を得ない)討論番組を見るよりはよほど必要な論点や要旨が凝縮されてますので、議論を進める上でお互いに有益なのですが、いつもいつもそれを要求するのはやはり酷でしょう。 その意味でもやはりネット上で無償で提供される優良コンテンツが活躍する余地は多大にあるのですが、私は『(数式を含めて全て)理解したいけれど現実的に無理』なポジションにいるので、やはりどなたかにお願いするしかなさそうです。 その意味では、ブログは便利なのですが使い勝手が良いとはあまり言えませんし、私は私に出来る範囲でもうちょっと何か出来る事を考えてみます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.12.10 04:47:25
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