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テーマ:政治について(19769)
カテゴリ:政治関連
集団的自衛権や報復攻撃などについて議論できているのは大きいと思う。
例えば北朝鮮の核ミサイル問題に関して、共産党みたいに「打たせないように外交することが大事だ」とだけ言ってれば済む問題ではありません。社民党も似たようなものですが。 オバマが核廃絶を訴えてるのと、北朝鮮の核に対して無防備でいていいのかどうかというのは、全く話が違います。核武装すべきかどうかで言えばする必要はありませんが。 憲法や解釈がどうであれ、「打たれた時に、犠牲が出た時にどうするのか?」を予め考え、議論していくことは重要な課題です。二度と戦争をしませんと唱えていれば済む問題では全くありません。 アフガニスタンのPKOに参加すべきかどうかも、民主党政権が誕生した時に大きな踏み絵になるでしょう。 サンプロに参加していた前原は、軍事作戦が泥沼化して先が見えないのであれば、民生支援に切り替えるべきでないかと言ってました。当たっている部分が無い訳では無いにしろ、民生支援を展開できる状態かと言えば、例え兵力を派遣している側が一方的に撤収したとしても、現地の混乱は収まらず、現在以上に難民が発生する可能性すらあるでしょう。 まぁしかし、長崎に原爆が投下された日ということで、相変わらずの聖句もどきが唱えられています。 『核兵器の無い平和な世界を』 頭でっかちと言われようと揚げ足取りと言われようと、この言葉には矛盾といっていい議論のすり替えが隠されています。 はっきり言いましょう。 核兵器が無くなったからといって、世界に完全な平和が訪れるワケは全く無い。 逆にこうも言えます。 核兵器があったからといって、今まで平和が保たれていなかったワケでは無い。 核兵器が使用されてなくても、広島・長崎を合計したよりも遥かに多い人々が争いの犠牲になってきたと。 核兵器を根絶されることは無い。 有るとすれば、新たな抑止力が開発されて、核兵器が役立たずになった時だけだと思う。 平和を望むのなら、何をすべきなのか。 自分たちに何ができるのか。 核兵器の廃絶を訴えるのも一つの手段でしょう。 憲法9条の固持や非核三原則を貫くことも手段かも知れません。 ただし、無抵抗・非暴力主義が全ての平和を実現するとだけは勘違いしない方がいい。 ガンジーの唱えた無抵抗・非暴力とは、相手に虐殺されつくされても抵抗しないという徹底したものであり、日本人一般の考える甘い考えとは完全に異なる。 そして政治家とは、「話し合いだけで全ての決着が着く」と言ってはいけない人達です。 結果的に話し合いだけで決着が着いたとしても、有事の際の備えを怠ってはいけない人達です。 安保も外交も平和も、念仏の様に言葉を唱えていれば実現するものではありません。 そんな人々が政権の中に入ることの意味を忘れずに、私達は投票すべきでしょう。 <おまけ:密約云々に関して> 外交の全てがオープンな課程で進み締結されるわけも無い。必要なのはルール作りであり、実態と必要性に合わせて法律なり憲法を変更していく柔軟性の方でしょう。 <おまけ過去記事> ・『イラクの中心で、バカと叫ぶ』(著:橋田信介)を呼んで お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.08.09 13:14:00
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