|
テーマ:政治について(19782)
カテゴリ:書き物的なモノ
珍しくtwitter経由でお便りというかリクエストめいたものを頂いたので、書いてみます。
ご要望としては、関西圏の自立性とか有事の首都機能代行とか国際競争力向上云々だったのですが、その前に日本全体の指向として、掲題の課題をたぶん避けては通れないので。 さて、今後、原発の新規増設は無くなりました。少なくとも日本国内においては。それだけでなく、既存の原発も随時自然エネルギーや天然ガスなどの発電所に置きかえられていく可能性が高いでしょう。 エネルギー政策の根本的置換を、という声は連日の様に聴きますが、具体的な策というと前述の二つくらいしか聴きません。 軍事施設と同じく、皆、厄介なものは近くに置きたがりません。でもね、地方自治というお題目を唱えるのであれば、ライフラインの自立の確保は避けて通れない筈の課題なのです。 ライフラインを外部に完全に依存した自治など有り得ないのですから。しかし、それが現状でもあります。そして、今後、東京等の大都市圏の為の発電所を抱えたがる自治体がどれほどあるでしょうか? 大規模発電を地方自治の財源として掲げる所も出てくるでしょうが、現実的には規模や財源的な問題から賄い切れない可能性があります。都市圏は特にスペースの確保や土地代などの問題も絡み、ハードルは高いでしょう。 飛躍的な発電効率の上昇などが無い限り、太陽光発電等の自然エネルギーが主要な発電手段になる社会はまだ先の事でしょう。 各家庭やマンションや商業ビルの屋根/屋上/壁面への発電施設を組む込む事を法制化して税金の控除などで支援する事で、遠隔地にある発電施設への依存度は一定程度減らせるでしょう。 それらは将来的な取り組みとして、今現在、最小限の技術開発と社会的取り組みで当座の電力危機を乗り越える方法があります。 それが、発電より蓄電という考え方です。 1日単位で見れば、夜間は昼間のピーク時に比べて50%近く使用電力が減ります。1年単位で見れば、夏(7-9月)が一番需要が大きく、冬(12-2月)がその数割減という感じです。(参考URL→■) 単純に言ってしまえば、発電所の増設が無かったとしても、使わない時に使う時に足りなくなる分の電力を蓄電しておければ、間に合ってしまうのです。 クーラーや冷蔵庫などが一番のネックになるでしょうが、これも自宅不在時の間に電力を貯めておければ済むでしょうし、マンションなどの集合住宅であれば尚更、屋上の水のタンクなどと同様電力タンクなどと呼べる大規模な蓄電装置を追加施設すれば済むお話です。 使用電力需要の平均化。 電力会社と技術開発側の調整が必要になるかも知れませんが、純粋な技術開発としてはほとんど無いくらいの低いハードルで、費用としても一家庭当たり数万円程度の負担であれば、それで夏場のクーラーの使用などが賄えるのであれば、喜んで迎えられる可能性の方が高いのではないでしょうか? 電車の運営会社でも同じ事です。夏場の冷房が無いと、長距離通勤では倒れる人の数は例年の倍増では効かないでしょうし、経済的な打撃は未知数の物となります。それが最低限の投資で、夜間の蓄電のみで出勤と退勤時間帯の冷房がとりあえず確保できるのであれば、投資しない理由がありません。その費用分を税金から控除できるようにしてあげれば尚更でしょう。 大都市圏のオフィスでも同様です。発電施設を各自が備えるのは燃料の搬入や事故の発生率の増加などから現実的では無くとも、少なくともコアとなる8時間分の電力を19時頃から翌7時頃までに蓄電しておければ、どれほどの電力需要の抑制につながるでしょう? もちろん、社会全体が一斉に夜間の蓄電を増やしても大丈夫なように、電力会社と社会とが協調して事を進める必要がありますが、技術的なハードルは限りなく低いと言い切れます。 そしてこれらの施策は、この夏の東京に限った話ではなく、どこの発電所群が集中的に全滅したとして再建に数カ月以上を要したとしても、効力を発揮します。 取りつけ装置その他の規格を統一し、更に取り外しと輸送を可能にしておけば、全国各地から物理的・継続的な蓄電電力の輸送が可能になるのですから。 こういった体制の構築と整備こそが、震災などへの耐性につながります。政治の役割は、法律的な障害を除き、電力会社の経営と両立するような仕組みを社会的に築いていく事となります。 国際競争力という曖昧な言葉も、震災への耐性に裏付けられているかどうか、具体的には電力の安定供給というビジネスへの絶対条件が保障されているかどうかで変わってくるのではないでしょうか? ノートパソコンや携帯など、コンセントにつないで充電しながら使用する事は、昔から当たり前に出来ていました。 冷蔵庫やクーラーなどでも、同じ事が出来るようにするだけです。社会的な電力供給が95%程度に達するか止まった際に、蓄電したバッテリーから電力を供給されるようにしておけばいいだけ。バッテリーの容量上限はあるでしょうが、電力需要と消費の実態から、難しくは無い問題である事は言い切れます。 そしてもう一つ書き加えておくなら、冷房の有無は人の命に直結する点です。通常の熱中症は屋外作業者の方が多いですが、特に高齢者が集中する施設の電力が頻繁に失われるようであれば、例年の数倍単位での死亡者が発生する恐れがあるという事です。(厚生労働省の資料→■) 開発や設置等の費用は、社会全般で利用される事で相当程度に相殺可能でしょう。 最後にもう一つ。各原発などでは電源車の確保や増加などが対策として検討されてたりしますが、お笑い草です。 管制室分の電力しか供給できなかったり、冷却施設の極一部の機能を限定的に供給するだけの能力しか無いからです。しかも燃料切れを起こしたらそれまでなのですから。 対策になっていません。 だとしたら、各原発の近辺に、大量の蓄電装置を置いて、有事にはそこから運ぶかケーブルだけ通せば冷却施設などに必要な電力を最低数カ月単位で確保できるよう義務付けるべきでしょう。 技術的なハードルは低く、費用対効果で言えば最高度でしょう。 という訳で、発電より蓄電、が答えというお話でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.05.03 18:58:31
コメント(0) | コメントを書く
[書き物的なモノ] カテゴリの最新記事
|
|