加筆修正試験作ここは山一つを切り開いて創られた大きな施設。 聖リュミエール女学院。 『聖なる光』と言うのがこの施設――学校の名だ。 名前の通りここは乙女のみのが入学を赦された学校で、『自らを知る織女の育成』を基本理念として掲げている。 幼稚舎から大学部までの一貫校となっており、この敷地は中・高等部が置かれている。幼稚舎と大学部はこの敷地の――山の下にある街に面した場所に置かれている。 シンプルだが重厚な正門の内と外には二四時間体制で警備員が詰めており、外からの非関係者の侵入がないよう常時監視が敷かれている。ここに通うのはそのほとんどが良家の子女であるため、その警備は厳しい。外からの確認は困難だが、木々に隠れて監視カメラが数基配備されてもいる。 上空から見て正門は南に位置し、校舎・寮舎・大聖堂、その三つが正門と合わせてそれぞれで、十字を切るように配置されている。 正門を抜けると二色の詰め石で創られた石畳が伸びている。石畳はきちんと整備が行き届いており、ちょっとした遊歩道のようになっている。 石畳に沿ってまっすぐ行くと十字路に出る。十字路の真中には大きな噴水があり、乙女たちの憩の場所として使われている。 ここを更にまっすぐ行くと大きな建物が目に入る。西欧風の厳かな外観をした、上流貴族が住んでいそうな趣の、立派な館。そここそが、乙女達が毎日の大半を過ごす学び舎であり、校舎は中・高等部の混合となっている。 その奥には中世欧羅巴あたりのお城を訪仏とさせる外観の、校舎よりも少し小さい程度の建物――古今の書物を収めた図書館がある。 噴水を東に行くと、赤茶色の落ち着いた外観の建物が見える。ここが聖リュミエールに通う乙女達が皆で寝食を共にする寮舎である。 そして、噴水を西に行けば、ゴシック調の荘厳さと清浄さの溢れる大聖堂(カテドラル)がある。その途中には、四季折々の花々を天に向かって咲き誇らせる綺麗な花園がある。五月の今は白や赤のアマリリスを筆頭に、数種類の花々がこれでもかと誇らしく、鮮やかに咲いている。 これが、聖リュミエール女学院。 通称を、――『檻』。 【1】 「……時間は有限なのだから、大切に使うべきだ。ボクは、心底からそう思うよ」 美しいソプラノ――ではないが、どこか透き通るような声。けれどそれは決して透明ではなく、透かすことの出来ない色がついている。 そんな声が、どこか眠たそうに、けれど楽しげな口調でそんな台詞を紡ぐ。 ここは裏庭の一画。 校舎と図書館を繋ぐ屋根つきの渡り廊下。そこから少し離れた、校舎側からも図書館側からも死角となるこの場所に、木陰に隠れるかのようにして二人の少女が居た。 一人は透き通るように輝く銀髪の少女。その後ろ髪は背中の中程まで伸ばされており、首の後ろで鮮やかな色調の、紅いリボンで括られている。その容姿は整っているが中性的で、女性が見れば少年に、男性が見れば少女に見えるだろう。 「ええ。そうですね。私も、大切に使うべきだと思います」 こちらは正真正銘キレイなソプラノ。その声が、笑みの成分の中にどこか含みを持たせて返す。 もう一人は墨を流したかのように艶やかな黒髪の少女。腰まで届く長い髪の左の一房には、銀髪の少女と同じ鮮やかな色調の紅いリボンが巻きついている。容姿は綺麗に整っており純和風。女性的なその顔立ちは、優しさを感じさせる柔らかさがある。 「そうだよねぇ。……ねぇ、リン。これからは毎日こうしていようよ」 黒髪の少女が言葉に含ませた微細な棘を無視して、ゆっくりと、どこか懇願するような響きを持たせて、銀髪の少女は言った。その声はソプラノと言うほど高くなく、アルトと言うほど低くも無い。……容姿同様、どこか中性的なもの。 その言葉に含まれた、これ以上ないほどの甘美な誘惑に、黒い髪の少女の心は揺れ動く。 けれど、それでもハッキリと、その甘美な誘惑に絡め取られそうになる心を叱咤して、言うべきことを告げる。 「キョウ様」にこり、と柔らかい笑みを浮かべ「ダメです」 と。しっかり、はっきりと……笑んだまま一切の容赦なく切り捨てた。 時刻は午後一時過ぎ。 本来ならばこの時間は授業があり、彼女たちもこの時間受けるべき授業がある。この時間の授業は数学だ。今ごろ、クラスメート達は必死に数式と戦っているはずである。間違っても、午後の授業が無い土曜日でもないし、自習と言うわけでもない。 彼女たちはサボりだった。 サボりをする者事態は珍しいことではない――普通なら。 けれど、ここは俗に言う「お嬢様学校」だ。品行方正を言うまでも無く初期設定(デフォルト)で掲げている。にも関らず、二人はサボっていた。 しかもこれが初めてではない。何度も……と言うほど多くも無いが、少ないと言えるほどでもない。 銀髪の少女――キョウ様と呼ばれた方の名を雛罌粟・鏡と言う。 黒髪の少女――リンと呼ばれた方の名を峰岬・鈴音と言う。 「リンのいじわる」 鏡はまるで子供のようにそう言うと、ころん、と寝返って顔を外に向けた。その際に、髪がスカートから覗いている膝をくすぐり、鈴音に小さなくすぐったさを与える。 鏡は鈴音に膝枕をしてもらっている。鈴音の柔らかく暖かな膝はとても気持ちがいいものらしく、鏡は目を細め淡く笑みを浮かべている。鈴音もこうしていることがどこか幸せそうで、鏡の子供みたいな言い分に、小さく微笑を浮かべた。 二人は現在授業をサボっているが、何も二人ともが問題児めいているわけではない。 授業前の休み時間。鈴音が終えた授業の教材を片つけ、次の授業の準備をしていると、唐突に「ちょっと来て」などと言って手を掴まれ、鈴音は何かあったのだろうかと不安になりながら抵抗もせずに手を引かれると、鏡によって何故かここに連れてこられた。「いい天気だし」と言う鏡の笑みに、気が付けば鈴音は授業をサボり、こうして幸せな時間を過ごすことになっっていたのだ。 抵抗もせずに素直に鏡の要望に応えた鈴音も鈴音だが、一番の問題はやはり鏡だろう。 かといって、鈴音は勿論、鏡も不良でもなければ問題児でもない。もしも不良や問題児なら即退学処分になっている。 鏡は学年主席で成績は常にトップ。 鈴音はそんな鏡に続く次席で、やはり常にその位置にいる。 鏡は突発的に問題行動を起こすこともあるが、二人とも基本的には優等生なのだ。そうでもなければ、サボりなどという品行方正から外れた行為に及ぶ二人を、学院側が見逃すはずが無い。 もっとも、二人には学院側にとって重要な意味を持つ存在なので、多少素行が悪いからと――いや、幾ら素行が悪かろうとも此処から追い出すなど出来ないのだが。 「キョウ様は、授業がつまらないのですか?」 「リンと一緒にいる以上のことなんて、なにもないよ」 鈴音の唐突な疑問に、鏡は淀みなくそう答えた。 鏡は再び寝返り、顔の位置を変える。鈴音のお腹あたりが見えるような向きになると、鈴音の手を取り自分の頬に触れさせる。 「……あたたかい」 小さく、気持ちよさげに、何より愛しげに鏡は呟く。 「……ここに来たことを、後悔してますか?」 そんな鏡の様子に、仄かな微笑を浮かべると、ぽつり、と漏らした。 それは、もう何度となく鈴音の口から出た疑問。 そして、その度に出る鏡の答えは―― 「ううん。リンと一緒なら、喩え其処が地獄でもボクには楽園だよ」 言葉の細かな部分は違えどいつも同じ。後悔などしているわけがない、鈴音が一緒ならそれだけで幸せだ、と。 けれど、鈴音は問うてしまう。鏡の答えを知りながら、それでもこうしているとその度に口から出てしまう。本当は、ここにいたくないのではないかと。 サボることは珍しいことではない。一ヶ月に何度か、ふらりとサボることがある。――当然、鈴音と一緒に。 「キョウ様、私は……キョウ様と一緒に学生らしい生活を送りたいです」 「うん。知ってる。それはボクもだよ」 「なら、なぜ授業をサボるんですか?」 鈴音はどこか悲しげ問い掛ける。鏡の言葉を信じていないわけではない。けど、だからこそ、どうして、と。 鏡は鈴音を見上げる。 鈴音を見つめるその瞳はキレイな薄氷色。全体的にどこか色素の薄い鏡。けれどその薄さは病弱などとは遠くかけ離れている。喩えるなら、洗練された芸術品。まるで氷細工。キレイだが、ふとした拍子に壊れてしまいそうな……けれど各個たる存在感で其処に存在し、誰もを惹きつける。 鏡は俯き加減になっている鈴音の頬に手を伸ばす。 伸ばされ、触れられた鏡の手指のどこかひんやりとした感触に、鈴音はピクリ、と僅かに震える。 「ボクの言うこと、信じられない?」 「そんなこと! ……ただ、不安なんです」 「不安?」 「はい。キョウ様は、無理に私に付き合ってくれてるんじゃないか、て」 言いながら、鈴音の鳶色をした瞳が揺れる。 思い出す。 鏡は聖リュミエールへの編入の話を出された時、何度も反対をしていた。それでも、鈴音はその話を呑みたいと、学校と言う組織に入ってみたいと、言った。 鏡が反対する理由がわからないわけじゃない。それでも、二度と『人の群れ』に属せないと諦めていた鈴音は、聖リュミエールという可能性に賭けたかった。例えその結果が、『諦め』を『絶望』へと変えるだけのものだとしても、悔いは無いと思った。 そして鏡は「鈴音がそれを望むなら」と、幾通りも考えられる不安と危惧と懸念を抑え付けて、鈴音と共に此処に編入した。 たとえ鈴音の言う通り、鏡が無理をしているのだとしても……鏡は、絶対にそれを言わないだろう。そんなことないよ、と優しく否定するだろう。鈴音にはそれがわかるから、余計に申し訳ない気持ちになる。 そして、そうとわかっても、自分は鏡無しにはいられないことを知っているから、鏡にすがってしまう……。罪悪感があっても、それでも我を通すほかない。 不安に揺れる鈴音の瞳を見つめながら、鏡は思う。 ――可愛いな。 と。こうして悩みすぎて、自分が悪くないのについ自分が悪いのでは、と考えてしまう鈴音を見つめながら、そんなことを思う。自分には真似できないことだ、と。 鏡にとって鈴音は、唯一大切な存在だ。 鏡は鈴音がわがままを言ってくれることが嬉しかった。だから、あの時。鈴音が此処に来たいと言った時、抱いていた全てを殺した。 不安、危惧、懸念。それら全てを、自分の手で排除すればいい、とまとめて殺した。 確かに此処は鏡にとって気に食わない。 それでも、鈴音がここを大事に思うのなら、そんな自分の好悪ですら霞む。無視できるほどに。 だから鈴音の思うような不安は全くの杞憂。むしろ、もっと我侭を言って欲しいと思う。 鈴音は遠慮のしすぎで、他人を心配しすぎ。鏡はだから思う。愛しいと。 けれど、不安そうな、悲しそうな鈴音の顔を見るのが辛いのも事実。 鏡は、鈴音の頬を撫でていた手を離し、僅かに自分の上体を浮かせる。 そのまま、離した手を鈴音の肩を掴んで引き寄せ、 「っ!」 唇を重ねた。 唐突で、しかも昼間で、その上に――ありえないことだが――誰かが見てるかもしれないのに、キスをされた。その事実に鈴音は目を見張り、頬を朱に染める。そこに含まれるのは、驚愕とそれ以外の何か。 ほんの数秒。 唇を離すと、目を細めて満足げな、どこか悪戯っ子のような笑みを浮かべながら鏡は問う。 「不安?」 と。 答えの言葉はない。 鈴音は顔を耳まで真っ赤に染めて俯いてしまっている。両手は胸の上に置かれ、早まる動悸を落ち着けようと努めている。表情は髪に隠れてしまっていて、下から覗き込まないことには窺えない。 けれど、鏡は覗きこむようなことはせず、笑んだまま、浮かしていた上体を戻し、鈴音の膝に頭を乗せて側臥する。そうして、鈴音の膝をスカート越しに“の”の字を書くように撫でる。 俯いたまま、ぴくん、と鈴音の肩が僅かに跳ねる。 それに気付きながら、けれども鏡は手を止めない。優しく撫でる。そこにいやらしさはなく、ただ、大切な宝物を大事に扱うのと同じように、愛でるように触れ、撫でる。 鈴音は跳ね回る鼓動を落ち着けるように、二度三度ゆっくりと軽く深呼吸をする。そうしてから、ようやく弱々しくも声を出した。 「キョウ様は、どうして、サボるんですか?」 一言一言区切るようにして出された問いに、鏡は撫でていた手を止め、仰向くと、かすかに赤みの残る鈴音の顔を見ながら笑顔で答える。 「例えば……今日はいい天気だから」 「え?」 「ぽかぽかしていて、最高のデート日和だよね」 「……それだけ?」 「今日はね。……あとは、いつも授業とかのせいで、二人一緒の時間が少ないし……何より、いつもはこんないい天気でも、こうやってのんびりできないじゃない? だからさ、たまにはこうして授業をサボってでもリンと二人だけで一緒にいたい」 そこで一呼吸あけると、笑みを消して、一転して不安そうな……今にも泣きそうな顔で―― 「――リンは、いや?」 「いやなわけ……ないじゃないですか」 再び顔を朱に染めて、鈴音ははっきりと言い切った。 鏡にそんな顔されて、いやなどと言えるわけが無かった。 大体。鈴音にしたって、学校の授業を真面目に受けたり、ちゃんとした学生生活をおくってみたいとは思っていても、それでも鏡と二人きりというのはとても魅力的で、天秤にかけたら簡単に傾いてしまう。 なんだかんだ言いながらも、結局は鏡と二人きりで居ることの方がいいな、とか思ってしまったことに、鈴音は恥じ入った。 「ひゃっ」 と、いきなりふとももにくすぐったさを覚えた。咄嗟に小さく悲鳴をあげ、身をよじる。 見れば、鏡が鈴音のスカートをずらして、ふとももに直接頭を乗せていた。 「すべすべー」 とか言いながら、鏡は再びうつ伏せの状態で鈴音のふとももを撫でる。更に頬擦りまでしだした。 鈴音の肌理の細かい肌を、鏡の低くひんやりとした体温が這う。 鏡はとろけた笑みで、鈴音のふとももや脚の付け根のあたりを軽いタッチで撫で回す。 鈴音はときおり訪れる、むず痒いような、くすぐったいような、言いようの無い甘い感覚に漏れ出でそうになる声を、口に両手を当てて、必死に堪える。 それでも、どこか熱い吐息混じりの声は零れ落ちるように、抑えた両手から出てしまう。 鈴音は羞恥心からか、僅かに涙を浮かべて、顔を赤くする。 これ以上鏡に悪戯されないようにか、鈴音は両脚をぴったりとあわせて閉じてしまった。 鏡が不満そうに鈴音の顔を見上げると、鈴音が避難のこもった眼差しで見つめてきていた。 「……かわいっ」 くすくすと笑いながら、鏡はそんなことを言い、鈴音は余計に顔を赤くした。 授業終了の鐘が鳴り、それでも悪戯を続ける鏡を鈴音が無理矢理止めたのは、暫く経ってのことだった。 |